2022年12月27日火曜日

復活の主のお心(ガリラヤへエルサレムへ)

『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。』(マルコ16・7)

 ペテロも他の弟子も忘れてしまった。が、イエスは忘れ給わない。十字架の影があまり暗かったので彼らはこのうれしいお約束さえも忘れていた。否、よく解らないでいた。が、これらの女たちから『そこでお会いできます』と聞いたペテロたちはどんなに嬉しかったであろう。もちろん彼らはこれを聞いて半信半疑であったけれども、次第にこれが事実となってくるにつれて彼らは歓喜に胸を踊らされたであろう。

 しかしそこまで導くには復活の主にもまだ大きな仕事が残されていた。彼らに『先にガリラヤに行』かねばならなかった。ここにも親が子に対する如く、主の愛は弟子の愛よりも大きいことが示されている。先に行って待っていて下さる主の愛の深さが思われるではないか。これが主イエスである。主はいつでも先に行って私どもを待っていて下さるお方である。

祈祷
先立ちてガリラヤに行き給う主よ。あなたは私たちのためにも常に先立ちゆきて私たちをお待ち下さることを感謝申し上げます。今日も私たちのために所を備えんとして先立ち行って下さるのですね、あなたの愛は何と大きいことでしょう。アーメン

 (以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著361頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。

David Smithの『The Days』の続編

13 ペテロの十字架の預言

 主の目的が同僚の面前においてペテロを辱めることにあらざりしは、後の聖語を見ればいよいよ明らかである。『まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます』〈ヨハネ13・36〉と。これその当時には意味が不明であったけれども後ペテロが十字架上に殉教の死を遂げるに及んで、これが鮮やかとなりまた悟られるに至った。『これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現わすかを示して、言われたことであった』。聖アウグスティヌスは『この否認者にして愛慕者たる彼は、向上せる行為により、否認を粉砕するにより、身を洗う涙により、試験を経たる告白により、冠を授けられる苦痛によりて、その末路を発見せり。彼は己が末路の、是非にと迫られ、死なんと約束せらしめられたるこの主に対して、十全なる愛を献げて死するにあるを発見せり』と言っている。その時には意味が不明であったけれども、この聖語は永年忠実な奉公を遂げた後、主のために苦しむべき預言であったことは明らかである。これイエスがペテロに対してその未来の光栄を預言せられたものである。彼の同僚はこれを羨んだことであろう。もし彼にして彼らの目に賤しく見えたとすれば、彼はまた大いに高くせられた所以である。

14 ヨハネは不死なりとの妄想 

 ペテロとヨハネは使徒団の首領であって、この世を去られる前にイエスはただ彼らのみに教えを授けられる思し召しがあった。ペテロには『わたしに従いなさい』と命ぜられたが、一同が退いたときペテロはなおヨハネの残っているのを見て『主よ。この人はどうですか』と尋ねた。これ感情的な弟子の性質を表した愚かな質問であった。故にイエスは『わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたはわたしに従いなさい』と答え給うた。

 イエスは教会の努力と希望の決勝点として最高の結果たるその再臨を指示せられた。悟りの鈍い弟子たちはその聖語を誤解して、主が栄光をもってこの世に帰られるまではヨハネは死なずして存命すると言う意味に取った。この思想は再臨は近きにありと信じた当時にあっては道理至極と考えられるのである。この使徒がこの福音書を著した古い昔においてはイエスはただ単に『 わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても』と仰られたのであると説明しているにかかわらず、この噂は深くも信じられていたのであった。否、彼が実際に死んだ後までもなおこれが取り去られなかった。彼の墓は数世紀の間エペソに存していて、聖アウグスティヌスの時代にすらなお彼は死ぬるにあらず、ただ眠れるのみとして、その墓場の土は彼の呼吸するために上下に静かに動くとさえ称せられた。18世紀においてすら聖徒ラヴェタアはこの観念を有して、ヨハネはなお生きて地上に存命するものと信じ、彼はイエスが愛せられたこの使徒に逢う機会の与えられんことを望みかつ祈った。而してもしヨハネではなかろうかと言うので新たに逢う人ごとにその顔を深く注意して調べたということである。

15 ペテロとヨハネとに密かに顕現

 ペテロもヨハネも彼らが別々にイエスに従ったので、イエスと彼らとの間に起こったことはこれを他に漏らさなかった。すなわち秘密の会見であって他の使徒たちすら聞くを得ざりし所を世に発表せられないのが当然である。どこにイエスはこの二人を導かれたことであろう。けだしその伝道と論争に疲れ給うや、好んで退いて休養と祈祷とに時を過ごされたカペナウム背後の山中に赴かれたに相違はあるまい。而して神聖な記憶の薫るこの地点においてイエスに愛された弟子〈ヨハネ〉、またイエスを愛した弟子〈ペテロ〉はその最後の訓戒を受けたことであろう〈マタイ28・16〉。

16 以上の他の顕現

 四十日の間復活の主はその弟子たちに己を現わされた。斯く福音記者の記録した所はイエスの顕現の全体を載せたものではなかった〈使徒1・3〉。聖パウロはダマスコ途上において彼に顕れ給うた以外に五回の顕現を挙げている。その二回は五百人の兄弟の団体に対し、また主の兄弟ヤコブに対しーーいずれの福音記者も載せていない〈1コリント15・4〜8、使徒13・31参照〉ーーとある。聖書のいずれの記者も四十日の間に主が顕現せられた事実をことごとくは知らないのであって、知っている所もことごとくは記さず、ただ復活の一大事実を確証するに足るだけを挙げたに過ぎぬ〈ヨハネ20・30〜31〉。

〈エルサレムにて最後の顕現〉ついにこの驚くべき時期も終わりに及んだ。主は十一人に対し、エルサレムにおいて最後の集会を命ぜられた。これ恐らく復活の夜彼らに現れてその苦難と復活とが、律法や預言者の書や詩篇に記される所以を示し、聖書を悟るに足るよう彼らの心を開き給うた同じ室であったであろう。彼らはなお世俗の王国を夢見るユダヤ人の理想に固着していた。十字架は一大打撃を彼らに与えたけれども、復活はさらにこれを復興せしめた。彼らが天国の霊的意義に悟ったのは聖霊によって啓発された後のことであった。『主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか』〈使徒1・6〜8〉と彼らは尋ねたが 主は『いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。』とこれに応ぜられた。イエスはなおこの世を去られる後彼らに聖霊を与えられるべきを楼上の客室において約束せられ、その約束の成就するまではエルサレムに滞在し、ここに説教を始むべきを命じて、『エルサレムから始まって』〈ルカ24・47〉と仰られた。
〈エルサレムにおいて始む〉これ実に恩寵に溢るる偉大な聖語である。エルサレムはイエスの恥辱を受け、苦しめられ、殺され給うた大舞台である。しかるにイエスは己に対してこの暴虐を敢えてした人々に先ずその恩寵を施さんとせらるるのであったーーすなわち虚偽をもってイエスを訴えた人々、バラばを取ってイエスを十字架に駆った人々、その顔に唾きし、これを打ち、荊棘の冕冠を編んでこれに冠らしめた人々、その手に釘を打った人々、その脇腹に槍を刺した人々、否ピラトと祭司長らにまでもーーその恩寵を授けんとせらるるのであった。『ああキリストの恩寵の深きかな! エルサレムの罪に染む人々の霊魂を斯くも慕われざるべからざる! その福音が彼らに授けらるるのみならず、実に第一に彼らに授けられざるべからざる、而して他の罪人に先立ちてこれを聴くを許さるる! エルサレムより始めよ』。

17 訣別

 イエスは彼らに聖語を授けられて後彼らをオリーブ山上に伴い、ベタニヤの近傍において『手を上げて祝福された。そして祝福しながら、彼らから離れて行かれた』〈ルカ24・50〜51〉。)

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