2012年5月2日水曜日

主よ、教えて下さい

 ウオッチマンは友人のウイットネス・リーのことを思い出した。山東の日本軍の戦線の背後では戦争状態はそれほどきびしくなく、沿岸都市の集会は急速に数を増やしていた。これはリーがみことばを精力的に宣べ伝え、見るべき成果をもたらしていたチェフー(煙台)では特にそうだった。1946年の半ばにウオッチマンは福州から手紙を書き、上海の必要を示し助けに行くように訴えた。リーは神様がこのことを支持していると確信し、家族で南方へ移り南京に入った。そしてそこを拠点とし、南京および上海の回復の必要とする働きに邁進した。
 
  彼のもたらしたメッセージはユ博士のメッセージを補強した。信者に内住する生けるキリストは主の民が一致することの望みであり、それと同時にいのちの源泉でもあっ た。けれども、リーは行動派であった。ウオッチマンが深い聖書の学び手として教えの基礎を置いたのに対して、リーのウオッチマンよりもっと激しやすい気質(※)が山東人に興奮と情熱をもたらした。このことは急速な回復をもたらし、わずか数ヶ月のうちに確信が戻され、人々は再び集会に群がって来て、すぐに雪だるま式に増え始めた。

 リーは精力的で権威主義的な人であり、大人数に成長し、人々を組織化することに長けていた。この賜物をリーは今や上海の混乱せる状態に注いだ。1947 年の初頭、増大する出席人数のもと、地域を基盤にしてグループ分けがなされた。続く12ヶ月のうちに発展した方式は以下のようなものだった。週に二回人々は一つの「上海の教会」としてウェン・テー・リーに集まり、主の日の朝午前10時にみことばの宣教(各月の第一日曜日は福音的なもので、他の日曜は教化のためにもたれたが)、土曜日の夕べには交わりのために集まった。週に三回、15に区分けされた配置の「チアス」(「家族」)に集まった。主の日の夕方にはパン裂きのために、木曜日の夕方には祈るため、金曜日の夕方には新しく信者となった人々の学びのためにと、集まった。それに加えて水曜日には4つのチアスを集めた福音集会があった。長老たちは依然として全教会の全般的な責任を持っていたが、それぞれのチアスには長老たちを助け責任を持ち、尋ねる人を教えるように「見習い中の執事」に任命された数人とともに指導的な兄弟や姉妹がいた。

  すぐに人々はある地方から別の地方へと放浪したがるということが明らかになった。だから1948年の5月までに人々は「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。」という命令にしたがって各地に配置された。この日までにまた増加する人数のために牧会上の配慮の問題が深刻になった。チアスの40人から200人までの信者の集まりはもう一度平均15人からなるグループや「パイ」に細かく分けられ、通りや裏通りを単位とする人々から成り立っていた。めいめいのパイには集会で信者の出席を見ていてその霊的状態の面倒を見る責任のある二人の人がいた。このシステムは日本軍のもとで教会が離散している間に発見されたいくつかの価値を保持したものであった。すなわち、もっと小さな集まりの親密性があり、よりたくさんの人が祈りや話し合いに参加でき、人々に促されて開発される霊的な賜物を分かち合うことができる場であった。

 留意されることは男性の集会でもなく、女性の集会でもなく、学生たちのためや他の一般大衆のための特別な集会でもなかったということだ。もともと教会には階級がなかった。けれども賜物をもつ婦人の説教者の存在は問題を生み出したように思われる。時たま婦人の集まりがお膳立てされようとしていたが、ある日広東の集会で若い一人のクリスチャンが男性たちがホールの横幅を横断する一枚の大きな白いシートを浮かせているのを見たことを思い 起こす。彼はそれが何のためであったか尋ねたがルツ・リーとピース・ワングがその地方教会を訪問していると話された。女性は男性に説教してはいけないので、兄弟たちはそのためにシートの後ろに座り、何とそこから彼女らのメッセージを聞いたということだった!

  福音伝道は説教者だけの仕事でなく、全教会のものであった。あらゆる信者が「カウンセラー」として訓練されていた。福音の話の最後には皆が向きを変え自分の側に座っている人の名前と住所を書き留め、質問をし、話をさせ、できることなら強制でなく、主の御名を呼び求め、祈るようにと(というのも、時々まさにそのような行動のうちにその人は救われるのものだったからである)助言をした。この働きを見た宣教師たちは当然のことながら感銘を受けた。

(『Against the tide』P177~179 。訳していて、身につまされる記述である。このできごとは中国の1948年当時のことのようであるが、それから2、30年ほどして日本の教会にもこの種の活動が行われたからである。これらの働き自身は素晴らしいと思う。しかし果たしてそこにつねに主イエス様の臨在はあったのだろうか。著者が控えめに、※where Watchman,as a profound Bible student, had laid doctrinal foundation, Lee's more volatile temperamentと書いているところに着目したい。) 

兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。(新約聖書 ローマ10:2〜3)

0 件のコメント:

コメントを投稿