2012年5月10日木曜日

チンデルの捕縛と殉教(2)

かくチンデルは、アントワープにおいて少数の人々を集めて聖書の福音を伝えたことは、彼にとっても非常な悦びであったに違いない。地上のあらゆる幸福に背いて立った彼には、この世のものならぬ大なる祝福があったのである。そしてこのフォックスの記録にもあるように、彼はなお執筆の労働を続けたのである。

 彼がこの時代になした主なることは、今まで発行した聖書の英訳の改訳であった。彼は先ず『五書』を改訳して1534年に発行した。この改訳は創世記と序文に訂正を加え、また註解の追加を行なっている。なおチンデルは同じ1534年には新約聖書の改訳も発行した。彼が1526年ウォルムスで発行して以来、他の人々の手で彼の訳した聖書が増刷されたのであるが、彼が初版の序文に言っているような、よりよい改訳を行なうものは誰もなく、かえって英語の分からぬ印刷人によって印刷されるため、誤植なども多く、どうしてもチンデル自身によって訂正して発行される必要があったのである。

 それでチンデルは第一回の発行以後、絶えずより適切な語をもって改訳すべく努力していたのであるが、今その努力の結晶としてこの改版を出すこととなったのである。彼がこのために如何に努力したかは、第一回の訳とこの訳を比較してみるとよく分かるのであって、例えばマタイ伝の山上の垂訓のところなど、その一章だけに50ヵ所以上の改訳を行なっているが、いずれもより的確に原文の意味を現わすものである。(中略)

 チンデルはかく第二回目の改訳を発行したのであるが、それに満足せず翌年の1535年にはさらに第三回目の改訳をなした。この改訳についてチンデルは、

 私は聖書を、説明や略註や註釈なしでも、それ自身単純に明白に訳して、読者がそのまま直ちに了解できるようにしたい。

 と言っているが、この目的をもってさらに大衆に聖書を読ませるために解りよく訳したのであって、その中には俗語も多く用い、その言葉自身でよく意味を示して、略註を全部除いている。実にこれは最も理想的な翻訳である。キリストはその言葉を、何らの註解なしでもわかるように弟子たちに語られたのである。また弟子たちが福音書を書いたり書翰を書いたりしたのも、それを読むものにすぐそのままわかるように書いたのである。

 もちろん今日、時代の相違、社会の相違などはあるが、それらを克服して、何らの註解なくても、そのまま読者にわかるように、もっと努力すべきである。それらをやたらに難解な語に訳して権威づけ、註解に註解を加えるごときは、如何に名文であっても、最も拙い訳であるといわねばならない。そして今日聖書の文字の註解・研究のみに没頭して、直裁単純にその言葉を受け容れないのは大なる誤りである。かくてかえって生ける真実の意味を理解し得ず、多くの人間的曲解を敢えてしているのである。我らはチンデルのこの精神に大いに教えられねばならない。彼が聖書翻訳を決心した時に言った「数年ならずして田圃に働く少年にも聖書を知らしめる」との念願が、この尊い苦心努力に現われている。

 彼がかく聖書の改訳に全力をつくしている間に、英国の状態は日に日に改善されつつあった。暗雲を破って現われた光は次第にその度を強くし、またたく間に暗雲を一掃してしまうのではないかと思われた。1535年には国会の決議を経て、英国国王が英国教会の首長であることを明言する法律を造り、法王に税を納めることなどの一切を禁じた。また牧師階級の専横を取り締まり、弊害多い修道院を解散するなど、宰相クロムウェル、大監督クランマーなどの政策はどしどし実行された。

 そして国王ヘンリー自身英訳聖書の必要を感じ、1534年末の宗教会議において、誰か学識ある人を物色してそれにあたらしめることとし、チンデルの旧友マイルズ・カバデールは、クロムウェルの指示に従ってその準備をしたほどであった。そしてかかる時代の転換とともに、法王のために活躍したモーア、フィッシャーなどは今やロンドン塔に幽閉される身となった。実に移れば変わる世の習いである。

(『藤本正高著作集第三巻』P.552~555より引用。)

私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。それは、私たちの愛する兄弟パウロも、その与えられた知恵に従って、あなたがたに書き送ったとおりです。その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所のばあいもそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。(新約聖書 2ペテロ3:15〜16)

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