2012年5月17日木曜日

義人はいない!

昨日の家庭集会は立錐の余地がなかった。昼間は「よみがえりの主」という題名で1コリント15:3〜8が引用聖句であった。夜は詩篇23篇であった。迷える羊である人間は牧者であるイエス様の近くにいるだけで良い。癌になった一人のドイツ人はなぜ自分が癌になったかわからなかったが、次のように歌ってその癌を主の御手から受け取ることができたとしてその彼女のつくった詩が冒頭で紹介された。

 主イエスよ
 私が心配し、問題を持ち、無力になると、
 あなたは私にご自分の喜びを用意してくださいます。
 あなたが愛でもって私のためになされた救いを
 信仰によっていただきます。

 主イエスよ
 あなたは憐れんでくださり、目標をもって私の一生涯を導き
 あなたの愛の現われとして、いつも最善をなしてくださいます。
 したがって安心して喜ぶことができます。
 あなたは決して私から離れられません。
 一時的な幸せよりも、まことの救いは、私にとって大切です。
 (癌の癒しよりも大切なことがある)

 ですから、あなたの御手から今の重荷を受け取ります。
 あなたの導きを受け容れにくくても、私は確信しています。
 すなわち
 「すべてが あなたから 来ている」

 あなたの近くにいて御言葉を聞くと、あなたを自分の避け所
 また助け手としてほめたたえられます。

 あなたこそ私の人生を豊かなものとしてくださいました。
 あなたは私のために大いなる御業をなされました。
 あなたに愛され、そしてあなたの満ち満ちた富から
 豊かに与えていてくださるから
 私もまたあなたを愛することができます。

 今からあなたの光のうちに歩みたいです。
 私が何をやっても、主イエスよ、どうか私を祝福してください。
 喜ぶことができるために救われ、平安に満たされた者として
 私は心からあなたをほめたたえます。

 人生とは一見理不尽・不可解なことが多い。この癌患者もそうだ。しかし見方によって変わる。それを主から受け取ることがいかに大切か、そのために主は良き羊飼として私たち神から離れ迷う者が主なる神様のもとに帰ってくるように命を投げ出していつも両手を広げて待っていてくださる、というのが全体の趣旨であった。

 今朝の「日々の光」に次のみことばがあった。

「もしあなたがたが、神は正しい方であると知っているなら、義を行なう者がみな神から生まれたこともわかるはずです。」(新約聖書 1ヨハネ2:29)

 神以外には正しくあり得ない。もし人が義を身につけることができるのなら、それは神によって新しく生まれる(神を信ずること)により初めて可能なのだ。いかに我が身は善をなそうとも悪に向かおうとすることよ。しかし、主を信ずるならそのような我が身も主によって正しくされるのだと心からこのみことばを受け取ることができた。昨日の家庭集会においても真に主の救いを求める人が各地から距離をものともせず集われた。その思いを主は主を心から愛する一人の異国のメッセンジャーを通して満たされた。あわただしく過ごした集会の快い疲れとともに今静かに振り返らされている。

0 件のコメント:

コメントを投稿