2012年11月5日月曜日

三泊四日(承)

波照間島の暁 by Yuriko.O
 第三日目の早朝、主のご計画は、鈍い私の上に、次のアンドリュー・マーレーの記す『暁の待望』の記事により明らかにされた。

それ(祭壇)に、上面・・・を純金でかぶせる。・・・アロンはその上でかおりの高い香をたく。朝ごとにともしびをととのえるときに、煙を立ち上らせなければならない。(旧約聖書 出エジプト30・3、7)

『かおりの高い香』とは祈祷のことであります。

『私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕べのささげ物として立ち上りますように。』(詩篇141・2)。

『また、もうひとりの御使いが出て来て、金の香炉を持って祭壇のところに立った。彼にたくさんの香が与えられた。すべての聖徒の祈りとともに、御座の前にある金の祭壇の上にささげるためであった。』(黙示8・3)

大いなる祭司長を通して昇り往く祈祷は、神様にとっては馨(かぐわ)しい香です。かの香は祭司たちによって、朝ごとに、焚(た)かるべきでありました。神の家はかくて馨しい芳香をもって満たされたのであります。これはまた私も、神の祭司としてなさなければならないところのことであります—私は神の宮殿であります。

私の心の全部は私が朝ごとに神に献げ奉る祈祷と感謝との馨しい香もて満たさるべきはずであります。この目的のために如何なることにも勝って必要な一事は、私の祈祷は聖父にうけ納れらるるものであると知ることであります。聖霊はこのことの確信を衷(うち)に与え給いましょう。私は信仰によって神の愛と恵とを現実に実感するために、祈祷の前に、また祈祷の中に、また祈祷の後に、ゆっくりと時間をとらなければなりません。

私は真にキリストと一つであるとの信仰を与えられて、彼との結合を意識しなければなりません。この結合の中を歩む目的をもって、私自らを全く献ぐべきであります。わが聖父は 真に私の祈祷をお悦びをもって見ていて下さるとの活々した確信を御聖霊をして私の衷に息吹き込ましめ奉らねばなりません。

かくてこそ私は、毎朝、馨しきかおりの香を焚く力に満たされて、聖霊によって霊感させられた真の祈祷を献げ奉ることができましょう。かくてこそ私は、終日、神の御前を、祭司として歩むために、立ち上がっていでゆくことができるのであります。

 私はこのアンドリュー・マーレーの記事をありがたくいただいた。キリスト者とは別名その名を祭司と言う者であることを示されたからである。だとしたら、私はこの病院内でも祭司であることに変わらない。祭司とはキリストと一つである者として父なる神様の前に侍(はべ)るだけでいいのだと言う確信であった。ゆくりなくも傷口の痛みは峠を越え始めていた。そして無意識のうちに、病室内にいるお隣の患者さんたち、さては病室内で懸命に看病を続けてくださる方々を覚えながら神様の御前に出ることができたのである。

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