2013年1月24日木曜日

自分の力の限界を知る人

ある百人隊長に重んじられているひとりのしもべが、病気で死にかけていた。(新約聖書ルカ7・2)

自分の力の限界を思い知らされた男が、ここにいます。それは実につらい経験でしょう。

彼は強大なるローマ軍の将校です。占領軍将校として、大きな権力を握っておりました。多くの人が彼をうらやんだことでしょう。なぜなら、権力への願望は、人の心に深く根ざしているからです。

おそらく百人隊長も、権力の味を愛していたことでしょう。すぐこのあとのところで、ちらっと、そのことを口にしています。「私にも部下がおりまして、彼らは私のことばに従います」と。けれども同時に「私も権威の下にある者です」ということばのうちに、我々は、権力の限界をそれとなく語る彼の気持ちをうかがい知ります。

さて、しかし、彼は人間の力の及ぶ、恐るべき、本当の限界にたどり着きました。死が彼の家に到来したのです。死! その前には、いかなる力も終止符を打たねばなりません。

聖書を知る人は、他の箇所にも、人間の力の限界に触れている記事を思い浮かべるでしょう。ローマ人への手紙には、こうあります。「私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています」(7・19)。

聖書は我々の妄想を徹底的に捕えます。死における我々の限界、また、悪しき心の無力さを暴露します。

この無情な認識を避けて通ることをやめようではありませんか! はっきりした自覚を持って、自分の限界を見つめましょう。そうすれば—この百人隊長のように—我々は「天においても、地においても、いっさいの権威が与えられた」お方、イエスのもとへと導かれます。

主よ! あなたは我らを、その限界を越えて、死を越えていのちへ、罪の奴隷から神の子どもの自由へと、お導きになることがおできになります。 
                           アーメン

(『365日の主』ヴィルヘルム・ブッシュ著岸本綋訳1月24日の項目より引用。私たちは同胞十人をテロ活動の犠牲で失う経験をした。2011年11月28日の当ブログの「大統領の祈り」http://straysheep-vine-branches.blogspot.jp/2011/11/blog-post_28.htmlを想い出した。)

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