2022年11月16日水曜日

イエスを殺す陰謀

きらきらと 光映しては 流れ来る 古利根川に 主の愛見し
さて、過越の祭りと種なしパンの祝いが二日後に迫っていたので、祭司長、律法学者たちは、どうしたらイエスをだまして捕え、殺すことができるだろうか、とけんめいであった。彼らは「祭りの間はいけない。民衆の騒ぎが起こるといけないから。」と話していた。(マルコ14・1)

 彼らは民の乱を恐れて、神の御手を恐れなかった。イエスは神の御手をのみ見つめて、人を恐れなかった。イエスもし人の力で事を為そうと思ったならば『民衆の騒ぎ』を起こして祭司らに反抗するのは容易であったことは誰よりも祭司らがよく知っていた。

 ただイエスは神の御旨に従ってこの祭りの時に十字架にかかる用意をされていた。そのことはマタイ伝26章2節に『弟子たちに言われた。「あなたがたの知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」』と言明しておる、これは面白いではないか。

 祭司らとイエスは同日に正反対のことを考えていた。祭司は祭りの中だけはイエスに手を下すまいと、イエスは祭りの中に真実の過越としてご自身の血を流そうと、而して神のご摂理の手はイエスのご決心通りに動いていた。

祈祷
天の父よ、あなたは常にあなたを信ずる者のために御手を動かし給う。あなたの御手は常にあなたを待ち望む者のために動きつつあるを感謝申し上げます。願わくは私たちをして主イエスのように堅くあなたを信じ常にあなたを見上げる者とならせ給え。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著320頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌 61https://www.youtube.com/watch?v=bpaCSLneHwg 

 クレッツマンはその『聖書の黙想』でマルコ14・1〜16を32「暗い企ても、救い主をその愛と従順の道からそらすことはできない」と題して述べている〈同書211頁〉。
先ず総論である。

 私たちは今、なんという好対照を目の前にしていることだろう。

 以前にもまして、イエスを滅ぼそうと固く心を決めたユダヤ人は、ユダがその貪欲さと、師に対して次第につのってきた憎しみの情に負けて、彼らのために一役買ったのを知って驚喜した。一方、イエスはそのような裏切りをよく承知しておられながら、ご自身の果たすべき道から退こうとはなさらなかったのだ。

 イエスは最後の過越の祭りの準備をするように、弟子たちにすすめられる。これは彼が初代教会に、偉大な儀式を祝し起こす機会となるものだった。

そして、各論である。今日の場面

 イエスの敵たちには単刀直入な手順で真理にさからう勇気がなかった。良心のために手を出しかねていたのである。パリサイ人たちに目を留めて見よう。彼らは過越の祭りーーこれは彼らが種なしパンの祭りとともに、敬虔と聖なる真心を尽くして守ろうとしていたものであるがーーに備えながらも、一方ではその汚れなき姿を認めない訳にはゆかないお方を殺そうとたくらんでいたのだ。ただ、彼らは臆病で民衆がおそろしかったので、祭りが過ぎるまで待つことにしていた。

David Smithの『The Days of His Flesh』は第45章「楼上の客室」と題して次のような記述を載せている。〈邦訳840頁、原書435頁〉

1 準備の夜

 主が斯くの如くオリーブ山の中腹に座し十二使徒に対して未来についての教訓を授けておらるる間に終局は近づいて来た。ユダヤ人の認めるところに従えばその夜はニサンの月の十四日の前日で翌日は、エジプトの奴隷の境遇よりイスラエルの数われたことを記念〈出エジプト12章〉する神聖な宴筵〈えんえん〉たる贖いの晩餐の用意を遺憾なく整え、十五日の始めたる夜中にこれを守るべき準備の日に当たっていた。次の日の夜半にイエスは十二使徒とともに過越節〈すぎこしのいわい〉の晩餐を守られ、これを終わられるや、ゲッセマネの園における反逆をもって開かれ、カルバリ山上の十字架に終わるべき受難の悲劇が行われんとするのであった。)

2 主の行動

 終局は近づいて来た。次の日の夜中にイエスは凶暴なる敵の手に陥られんとして、現にこれを知っておられた。この境遇に立ってイエスは如何に御心を持せられたであろうか。聖ヨハネはその愛し奉る主の行動、御言葉、御姿をいちいち残りなく思い浮かべつつ、この惨憺たる危機にイエス自ら如何に持せられたかを明快に悟りうべき記事を遺している。イエスは畏縮せず、また逡巡せられなかった。世はただその末路を見たが、ここにイエスは勝利を認められた。『今こそ人の子は栄光を受けました。また神は人の子によって栄光をお受けになりました』〈ヨハネ13・31〉と。斯くしてその末路の近づくに及んで弟子たちはイエスの行動のいよいよ深く彼らに対して温情の加わるるを覚えた。『さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された』とある。これ危機切迫せる訣別の愛情である〈ルカ22・28〉。しかもあらゆる方面に弱くしてイエスの苦難と辛酸との間にそれを傍観せる人々の忠義の揺らいだときもそれを寛大に忍容せられたのであった。

3 有司の商議

 暴風は今まさに迫らんとしておった。イエスとの論争において失敗に失敗を重ね、群衆の面前においては峻烈な宣告を浴びせられて、有司たちはすでに忍耐するを得ず、慕わしきの邸宅に集まって、イエスを死刑に処する道もがなと協議を凝した。彼らはなおイエスが人望の中心人物であって、これを捕縛せんか暴動の生ずる危険あるを恐れて手を下すことは出来なかった。熟議の結果二つの決定を見た。すなわち先ずイエスを捕縛するには秘密を要すること、而して節〈いわい〉が終わって礼拝者の大群、特に過激なガリラヤ人が都を去る後まで待つべきことであった。

4 ユダと彼らの提携

 彼らがやむなく手をしばらく控えるはこの上もなき不本意としたところであったが、期せずして事件に急速の手段を講じ得べき機会が転じてきたので彼らは少なからず喜んだ。祭司長の邸に一人の男が現われ、会見を懇請した。これすなわちカリオテの人ユダで、悪名を千載に馳すべき職分を帯びて来たのであった。彼は失望の子であった。彼はイエスをメシヤなりと考え、メシヤ王国の報賞と栄誉とを受けんがためにこれに従ったのであった。しかるに漸次真相が明らかとなって、その待望せるところの空しきを発見するに至った。イエスを待つものは王冠にあらずして十字架なるをさとるに至って彼の絶望はいよいよその極に達した。彼はイエスを陥れる計画を助けて、その好機を逸せず、身を退くをもって斎場の策とその俗眼をもって看取した。また、己を愚とせりと称せられる主に対して復讐せんと欲してこの行動をとったとも推せらるる。而してその計画は同時に利益と復讐とを兼ね収め得るものであった。イエスがギリシヤ人と会見せらるる間にユダは祭司長の許に赴いて、彼らにしてもし相当の報酬を与えるにおいては、彼らの敵をその手に売るべきを申し込んだ。彼らはその提議を喜び迎えて、銀三十シケルを与うべきを約束した。これ一人の奴隷の相場〈出エジプト21・32〉であって、彼らがことさらに斯く言ったのはユダを侮辱するよりむしろイエスを軽蔑する意味であった。この一奴隷の価格をもって彼らが買うものは謀反人の手からであった。斯くの如き悪党と売買の取引をするのは自らの恥辱であることを意識しつつもなお公然侮蔑の態度をもって交渉し、せめても自らの良心を欺いていたのであった。自尊心を失い、侮辱に甘んずるユダは彼らの提議を満足したので、彼らは一刻も早くこの取引を済まさんと欲する如く、直ちに金銭を払った。)

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