2022年11月15日火曜日

終わりの時はいつ来るか(下)

『気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。・・・だから目をさましていなさい。・・・いつ帰って来るか、・・・わからないからです。・・・主人が不意に帰って来た時眠っているのを見られないようにしなさい。わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。目をさましていなさい。』(マルコ13・33〜37)

 『目をさましていなさい』『目をさましていなさい』と三度も繰り返し、而して『すべての人に言っているのです』と念を入れておられる。最初の句は『目をさまし祈っていなさい』とある重要な原本に書いてある。この『目をさまし』は『睡眠を廃する』という字で、後の二つは『夜番をする』と言ったような意味である。ルカ伝(21章34節)の方を見ると『あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。・・・いつも油断せずに祈っていなさい』と言っておられる。これは御受難週の火曜日の午後に語り給うたのであるから、十字架につき給う三日前である。十二使徒に対する遺言とも見られる。もちろん私どもに対しても。

祈祷
去り逝く父がその子を戒めるが如く、私たちの油断と怠慢とを戒め給う主よ、眠りやすく、ダレやすく、ズルケやすい私たちを憐み給え。願わくは私たちを憐みて私たちに覚醒と努力と勤勉との日々を与え給え。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著319頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌370https://www.youtube.com/watch?v=zxTIwbUBQLU 

以下は、「人の子の訪れ」と題するクレッツマンの『聖書の黙想』の引用文の締めくくりの文章である。

 このように主は、その愛する者たちに語りながらも、この人たちの弱さを知り過ぎるほど、知っておられたので、彼らや私たちを慰めるために主は、こう約束される。主の選民はたとえどこへ行こうともーー地球上、至る所に散らされようとも、あるいは、何世紀の間、忘れられて墓の中に横たわっていようともーー主の御使いが彼らを主の聖なる御前に呼び集めるだろう、と。来るべき裁きの前兆は彼らにとっては、ちょうど夏を間近に迎えるしるしのようなものだ。ユダヤの民を意味する「この時代」が、幾世紀もの間を通じて、滅びることなくとどまるという事実こそは、これらの預言が必ず成就されることを物語っている。天と地は滅びても主の御言葉は永久に真理としてとどまるからだ。

 警告の言葉が適切なものであった以上、私たちはこれを忘れることができない。

 主の訪れる日と時は、明らかに啓示されていない。御使いたちもそれを知らない。主ご自身でさえも、今は身を低めて人の姿をとっておられるので気づいておられない。それは天の父のみ知りたもう秘密である。したがって、私たちは世俗的な安心感に溺れることなく、常に目覚めて祈らなければならない。ちょっとしたたとえ話が、この点についての考えをはっきりさせてくれる。

 主人は、遠方へ旅立つにあたって、いつ帰るかは誰にも告げず、しもべたちみんながそれぞれの仕事に精を出すように望み、彼らが不実な所を見つけられないように、いつでも主人の帰宅に備えていることを望むものだ。

 すべての人が耳傾け、心すべき警告の声はいまも響いている。

 「目をさましていなさい」

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