2024年1月11日木曜日

幸三郎さんの作品の鑑賞

冬寒に 人の暖(談)見つ 兄弟
 東京はやはりすごいところだ。漱石の「三四郎」の中に、三四郎が熊本の母からの便りに辟易しながらもありがたがっているふうなのだが、夜遅くまで返事を書いている場面がある。その終わりに「東京はあまりおもしろい所ではない」と書いた、とあった。作品中の中頃の場面だから、その後三四郎がどう思ったかわからない。

 このように書いてみたのは、昨日谷口幸三郎氏の「家族の風景」と題する個展(※)に出かけたことによる。同氏の作品はそのアトリエを知っているし、自転車で走れば、10数分のところにある。だからいとも簡単にその作品に接することができる。ところが、「個展」となると別だ。東京に限る。何しろ東京は人が集まる。だから、個展は個展でも同時に人が集まり互いに交わる世界を提供してくれるやはり不思議な空間なのである。それは東京ならでは得られない。だから、悔しいが東京はすごい。※https://sukiwa.net/

 この個展で私はいとこの義妹夫妻と一緒に鑑賞した。展覧会というのは中々楽しいものだ。作品もさることながら、鑑賞者お一人お一人の気持ちが、その展覧会場の空気を支配するからである。私が行った時は、3、4組の方がお見えになっており、どなたも作品を鑑賞する喜びに満たされておられたように見えた。作者である幸三郎さんも、夫人である晶子さんと一緒に接待に応じておられた。思わず、「三四郎」の中で丹青会の展覧会に原口の作品を美禰子に誘われて三四郎が出かけて行く展覧会場での場面を想起した。互いに見知らぬ者同士が作者を知って(慕って)集まってくる独特の空間を漱石ならではの筆致で描写している(同書294頁以下)。

 初めて幸三郎さんの個展に接したのは、もうかれこれ30年ほど前にはなろうか。お茶の水画廊が最初だった。その頃初めて幸三郎さんとは主にある兄弟(主イエス様を信ずる信仰を通して神の子どうしである兄弟)として知り合いにになったばかりであった。いとこや職場の同僚を誘って行ったこともある。その画廊が閉じられ、この近年は西荻の「数寄和」が中心である。ところが、西荻はいとこや我が長男も住まい、知人も何人か住んでおられるところだ。これは私にとって東京ではあるが不思議な特別なところである。

 冒頭掲げたのは会場の絵では唯一写実的なデッサン絵と言っていいのだろうか、ジャンルを知らないが、私が最も気に入った作品である。鉛筆というべきか、細かい線描に幸三郎さんの繊細な神経がうかがわれ嬉しくなった。いや羨ましくなった。モデルは二人の息子さん、幸平さん、遼平さんである。確か1999年と表示があったから、四半世紀前の作品である。


 何年か前から幸三郎さんは絵以外に陶器の作品に手を伸ばされるようになった。それは立教女学院短大の先生や附属天使園のお仕事をなさった頃と並行しているのだろうか。絵とはまた肌合いの違った暖かい感触を持った作品の数々である。ライフラインを寸断され、水、電気に事欠き生命の危機にさらされている能登半島の震災被災者の方々が一日も早く平常の生活に復帰でき、能登半島の様々な文化遺産を維持され、このような空間をゆとりを持って味わわれる日が来るようにと祈らざるを得ない。

「深見さんの水彩は普通の水彩のつもりで見ちゃいけませんよ。どこまでも深見さんの水彩なんだから、実物を見る気にならないで、深見さんの気韻を見る気になっていると、なかなかおもしろいところが出てきます」と注意して、原口は野々宮と出て行った。美禰子は礼を行ってその後影を見送った。(『三四郎』303頁、「野々宮」は確か寺田寅彦がモデルだったと記憶しているが・・・)
 我が漱石は中々の絵画愛好家でなかったのでなかろうか。さしずめ、私は作者の気韻を下記のみことばだと思った。読者はいかが読み取られるだろうか?

安息日の休みは、神の民のためにまだ残っているのです。神の安息にはいった者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。(新約聖書 ヘブル人への手紙4章9〜10節)

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