2024年1月23日火曜日

叡智よ起これ!

冬枯れに 啄(ついば)む鳥と 会話する
 このところ欠かさず古利根川を散策している。散策する場所は他に見当たらない。もし、この川がなかったら、と思うと、ゾッとする。川上の遠くには日光の男体山も見られるはずだが、今冬はまだ一度も見たことがない。その代わり、すっかり馴染みになっているのが、鳥たちのそれぞれが、冬枯れの野原や水中で餌を啄んだり、魚を捕まえる姿である。

 上の画面では、奥に見えるむくどり一羽と四羽の鳩しか撮影できなかったが、実際は10数羽の鳥が仲良く餌を啄むのに懸命であった。彼らはどんな植物の実を食べているのだろうか、いつも尋ねてみるが、答えてくれない。私には不思議でならない。

 川中は相変わらず、群れなす鴨が占拠しており、総数は優に100羽を超えるのでないかと思う。その他にカイツブリが鴨と混じりながら、水中の魚を捕食するのであろう、水中深く潜り、次に顔を出すのは3、4メートル先の方だ。思わず、歩調をゆるめ、水中に目を凝らす。そのような時、私たちを尻目に見るかのように、どこからか「ゆりかもめ」が水面すれすれに飛んで来ては、目の前で空中ショーを見せてくれる。一方常に存在するのは白鷺だが、決まって一羽で孤高の王者のごとく闊歩する。しかし、その実、彼もまた水中の魚・餌をじっと見据えているのだ。

 この際、他の鳥の姿も見ておきたい。左は言うまでもなく、人々に忌み嫌われるカラスである。彼もまた、今は河岸に植った木の上から獲物を見つけるのに、余念がない。



 この鴨はまさに時ならぬ人(私)の闖入で、急いで河岸を離れていく姿である。 




 河岸では、桜の木々が、今はじっと耐えて、春の到来を待っている。そんな木々の上に、たくさんの小鳥が、その梢でせっせと、餌を得るべく大挙して群がっていた。




 こんな豊かな川の姿を目の前にしながら、今、断水に悩まされている能登半島の人々の苦しみを思うと心が痛む。鳥たちをふくめて、水あればこその生活体系の中で私たちは、生かされているに過ぎない。水とその配給に人間の叡智がこれまで傾けられてきた尊い財産がある。その叡智は最後は政治を通して現実に私たちのものとなることを、今私たちは学ばされているのでないか。目の前の水を水道へと導く施策が、確実に実行されるように望みたい。

天よ。上から、したたらせよ。雲よ。正義を降らせよ。地よ。開いて救いを実らせよ。正義も共に芽生えさせよ。わたしは主、わたしがこれを創造した。(旧約聖書 イザヤ書45章8節)

0 件のコメント:

コメントを投稿