2024年1月4日木曜日

ツィンツェンドルフ伯(中)

ツィンツェンドルフ伯
 大変な惨事をよそに、このようなブログを投稿していることをお詫び申し上げます。かつて、東日本大震災を目の当たりにして、その当時投稿していたブログ記事3/11日を思わず断念し、その代わりに一日先の3/12日に下記のブログを書いたたことを思い出しました。 https://stryasheep.blogspot.com/2011/03/blog-post_12.html 

被災地で苦難に遭われているご家族の上に、一時も早い復興とお慰めが主から与えられますようにと、お祈り申し上げます。

 さて、昨日、お知らせしましたもう一つの新しい発見についてお書きしたいのですが、その前に次のことを是非触れねばなりません。それはツィンツェンドルフ伯爵の領地であったヘルンフートという町の実態についてであります。海老沢さんは、昭和十年(1935年)即ち今からおよそ百年近い前になりますが、「教会中心の町」(同書16頁からの引用)と題して語っています。(※)

教会中心の町

さて、最初の家が建てられてから町の設計に従って次の十年間に、ヘルンフートの町は建設された。(ヘルンフートという語には二つの意味があって、一つは「主の護り」を意味し他は「主の番兵」のような意味をもって用いられた。従ってそれは、常に主のお護りの下にあり、また人は常に主の番兵として警戒しているべきであるという意味合いをもって、ヘルンフートと名づけられたようである)

先ず会堂の建てられた広場を中心として、道路は四方に設けられた。それは全く文字通りに教会中心の町であった。現在でも町の人々の職業は、ミッション博物館、出版社、病院など、ほとんど皆伝道に関係を持っている。伝道事業を離れてこの町の人々の生活はないと言ってよい。普通のドイツ人でさえ知らぬほどの、人口わずか千六百の小さい町が、過去二百年間に男女三千人以上の宣教師を海外伝道に派遣し、現在なお二百六十人が海外に伝道している。従って町内の各戸は、ほとんど皆、宣教師と縁故のない家はないくらいであって、二十ヶ国の言葉がこの町で話されると言われている。そのはずである、この町にある伝道学校には二十数名の男女青年が、海外伝道に赴く準備をしているが、彼らは皆世界各国の宣教師の子女である、私は一夕彼らの会に招かれて懇談したが、彼らの生国を聞いて、皆世界の各方面より来ていることに驚いたのであった。

東南ドイツの片田舎、ヘルンフートの町外れ、チエツコスロバキヤの国境をめぐる山脈を遥か彼方に眺めて、今は広々と開拓せられた高原がある。その中央の小さな丘の上に望楼が立てられている、それが即ちフートベルグである。ここに昇って四方を見渡せば、これが世界教化の一大運動を巻き起こした一円の地、彼方には右にツィンツェンドルフ伯が祖母の下に育てられていたヘンネルスドルフの城址を眺め、やや左にツィンツェンドルフ伯の住まれた屋敷もほの見える。丘の裾にあたっては、モラビアン・ミッション一団の者の永久の憩いを示す墓地があって、ツィンツェンドルフ伯を始め、クリスチャン・ダビッドの墓標は、昔の美しい信仰生活を偲ばしめている。その墓地まで家族別でなく男女別であること、その墓石は政治家のも平民のも全く同型であることをもっても、この一団の心の態度が読まれるであろう。

 ヘルンフートという小さなドイツの町は、相互扶助の精神をもって町が形成されたのですが、それはツィンツェンドルフ伯を始め、クリスチャン・ダビッドなどが、主から与えられた志に従って形成された町であることがわかるのでないでしょうか。

 元日の午後起った能登半島地震は、またもや地震の恐ろしさを私たちに訴えてやまないものがあります。そんな被害にどう対処して行けば良いか漠然と考えていましたが、今朝の東京新聞の『本音のコラム』欄で、三木義一さんが「何の予兆か、お正月」と題して書かれていたことにハッとさせられました。それは地震の予知は難しいが、「被災された能登の人々は明日の我々でもあるのだ。能登の人々が、一刻も早く平凡な日常を取り戻せるように公的援助を惜しんではならない。そのために、僕らは税金を国や自治体に預けているのだから!」と書いておられました。いつもは必ずと言っていいほど、最後は駄洒落で閉じながら、やんわりと日本社会に警告を与えられる、元青学の学長さんが、租税法の専門家であるだけに、その提言には首肯せざるを得ないものがありました。本来「ヘルンフート」とは何の関係もない、三百年前の異国ドイツの話ですが、敢えて付け加えさせていただきました。

※私はこの海老澤さんの著書はちょうど日本が「いくさごろ(1935、6年)」というふうに侵略戦争に向かっていく時に、この本を書かれたのは、せめてものの抵抗の働きの一つではなかったかと思いました。その本の冒頭で海外進出は「戦争」「貿易」「海外宣教」と三つあるが、その中で最初の二つと海外宣教の違いに言及して「全く利害の問題をはなれ、利権獲得の企てなしに、与えるは受けるより幸いであるとして、神を与えキリストを与え、価なしに福音を与え、最後に自己を与えようというのが、海外伝道の精神であった」と書いておられました。

それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。」(新約聖書 マルコの福音書16章15〜16節)

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