2024年1月9日火曜日

我がパソコン人生

鴨の群れ 一つに成りて 冬越ゆる
   昨年末、ノートパソコンが壊れた。人生最後のパソコンと死ぬまで、これで終われれば良いと密かに期するところがあった。早速、主治医ならぬ、我がパソコンのエキスパート・保護者の支援を仰いだ。長男、次男、三男のそれぞれ頼もしい面々である。遠くパリにいる次男もLINEで意見してくれた。最後の頼みの綱は、普段仕事で使い切っているであろう三男であったが、敢なくも、「駄目だ」と宣告された。万事休すである。

 私のパソコンはこれで五代目である。一番最初は長女が1996、7年ごろ誕生祝いにプレゼントしてくれたiMacであった。我が家庭にiMacが運び込まれた時は、かつてのテレビ時代の黎明期を思わせる喜びぶりだった。私は、ひょんなことに1967年商業高校での初任の時、会計や商業法規や商品という科目とともに英文タイプの科目を持たせられた。それまでこのような前頭葉を使わず側頭葉をのみ働かせるタイプ打ちは良くないと主張していた「数学者岡潔」の信奉者であり、専門学校ならともかく、高校教育がやるべきでないと考えていて気の進まぬ授業であった。しかし、教師である限り、そんなことは言っておれぬ、やむを得ず、自らも練習に励んだ。その後、1970年代、80年代とワープロは事務機の主流の一つとなった。こうしたお陰で、私は同年輩のアナログ世代を尻目にデジタル社会に一早く雄飛する準備が出来ていた。

 残念ながらそのiMacは3、4年で使えなくなった。同時に職場ではどうしてもWindowsが主であったので、苦労したが、次男の勧めもあり、ソニーのVAIOを購入し、定年までこの機種で過ごした。ところが、この頃であろうか、今度は次女がMack Book Airをプレゼントしてくれた。Windowsのバージョン変更の動きもあり、この久しぶりのMacで潜り抜けることができた。しかし、この機種も数年足らずで充電機能が働かずダウンしてしまった。再び次女が今度はMac Bookを買ってくれた。これが年末使えなくなった、私にとって五代目のパソコンになる。かれこれ都合7、8年ほど使ったのだろうか。

Mac二台に久米律子さんのGrace3
 こうして我がパソコン人生は終焉を迎えつつある。今、打っているパソコンはやはりMacだがデスクトップ型であり、私のパソコン人生にとっての初代にあたるiMac以来のデスクトップ型である。これはこれで三男の深い配慮で使わせていただいている。だから、これをカウントするなら、六代目となる。ノートパソコンの使い勝手はないが、部屋の衣替えをして初代のIMacの位置に設置した。

 Net社会にいち早く馴染まされたのは、長男であり、次々、五人の子供たちは、その後に続き、Net社会に捕まえられ、泳ぎ切っている。遠くパリに20年の長きを数える滞在が許されているのも、まあ言うなればNet社会、グローバル社会の特徴であろう。一人、我が連れ合いはNet社会に乗り損ね、今もアナログ社会を満喫しており、家族にあって大切なその証人となっていてくれる。

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。(旧約聖書 伝道者3章1〜2節)

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