2024年1月25日木曜日

地の極の開拓者(起)

冬寒に みふみの光 心点(さ)す
 1月もすでに20日余りが過ぎ去った。私たちの耳目は今、能登半島の方々が舐めている悲惨な状況に集中させられているのではないか。しかし、悠遠な地球は、80億という人口を抱えながら、それぞれの人生に光や影を落としながら、前へ前へと進んでいく。現に、裏金疑惑、新幹線のストップ、豪雪と、問題は次から次へと発生していく。いつの間にか、ウクライナ、パレスチナの戦争でさえ、視野から遠ざからざるを得ない。もはや過ぎ去った過去を思うこともなく・・・。そんな時、私が過去の話にこだわるのもおかしいが以下書かせていただく。

 新年早々、私は一人の人物について書かせていただいた。「ツィンツェンドルフ伯爵」のことである。その際、私は「ツィンツェンドルフ伯爵」に関して過去所持していた一冊の本が年末確かに手元にあったはずなのだが、その後見られなくなった。何度探しても書架のどこにも見当たらないと嘆いていた。この20日間余りの間にも何度も書架を探すのだが、相変わらず見つからなかった。そして、もうそのことをそろそろ諦めていた。 

 ところが、その本が、昨晩全く想像もしないところから、すなわち書類の間に挟まって出て来た。題名も忘れ、その本の外観も説明できないもどかしさを持ったままでこの間、永久に忘れ去ってしまうところだったのに。

 早速、読んでみた。これは児童書でなく、数少ない当時の最先端の本であることに気づいた。明日以降、少しそのことについて書かせていただこうと思う。わずか157頁の本だが、先ずは、私の1月3日に書いた話が記憶違いで、私の作り話もいいところ(※1)だったので、その正しい内容を読者諸氏にお詫びのため、以下転写してみる。題して『夜番の唄』である(同書9頁より、聖句は引用者)。

 村(ヘルンフート)の建設に当たって彼らが試みた一つのことに、彼らの信仰的気風が窺われるのも面白い。もちろん浮浪人や迷い出た家畜のためや、火事やその他の損害を免れるためでもあり、また常に村人に神の臨在を想わせるために夜回り番が置かれたのであるが、初めの間は、一週間交代で、やがては専門にこれにあたる者ができた。夜番の者は提灯と杖を持って人々が眠っている時に次のような単純な歌を唄いながら時間を知らせて歩くのであった。

『八時が過ぎました、
 ヘルンフートよ黙思しなさい。
 ノアの方舟の八人は救われました、
(創世記7:13、1ペテロ3:20)

 九時になりました、
 兄弟たちよ、鐘の鳴るのを聞きなさい
 心も家も主の喜び給うよう清くしましょう、

 十時になりました、
 兄弟たちよ、時計の鳴るのを聞きなさい、
 キリストの御胸に安息いたしましょう、

 十一時が過ぎました、
 十一という時の間に
 主は我らを地上から天へと招き給います、

 兄弟たちよ、お聞きなさい、
 真夜中の時計が音立てています
 真夜中に我らの新郎(はなむこ)は来給います、
(1テサロニケ5:2〜11)

 一時が過ぎました、
 闇を超えて晨(あした)は近づき
 大いなる暁(あかつき)の星は我らの心に輝きます、
(2ペテロ1:19、ローマ13:12)

 二時です、二時です、
 我らの沈黙の時、主は待ち給います
 二つです、意志と理性は仲良しです、

 時は三時です、
 恩恵(めぐみ)深き三つは祝福です
 霊と心と肉体をもって主を賛美しましょう、

 四時になりました
 三つに一つ加えましょう
 主は第四時を恩寵の時となし給います、

 五時を時計が打っています、
 五人の処女(おとめ)は拒まれました
 別の五人はその時、婚宴の褒賞(ほうしょう)に与りました、
(マタイ25:1〜13)

 時計は六時です、
 私どもは仕事に出ねばなりません
 兄弟たちよ、救いの恩恵(めぐみ)を大切にしましょう」

※1 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2024/01/blog-post.html

救いのかぶとをかぶり、また、御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。(新約聖書 エペソ人への手紙6章17節)

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