2024年3月26日火曜日

『神は我が栄え』

身代わりの 主の受難 日々新た
 以前にもこの場の写真を載せたことがある(※1)。今週日曜日(3/24)、市川で礼拝の始まる前に、右側に貼られた美しくも気品に満ちた縦書きの筆字に、刮目し、気を引き締めさせられた。快い緊張であった。本ブログですでに述べているように、『出エジプト記』をとにかく酒枝さんの御本も座右に置きながら、19章まではほぼ読み終えた喜びが体内にみなぎっており、そのことを少しでもお話ししたいとの思いで、いつになく心が昂っていたからである。

 この『出エジプト記』を読むに際し、参考にしたあと数冊の書籍をもあげねばならないが、今回はこの酒枝さんのご本に絞って、読了した。その御本のあとがきは次のように記されている。

第四巻「出エジプト記講義」は、1973(昭和48)年2月から1977(昭和52)年7月まで、待晨誌上に三十八回にわたって連載されたものである。これは著者自身の筆になる最後の聖書講義である(※2)。

1957(昭和32)年、「アブラハムの生涯」に着手した著者の願いは、アブラハムの召命からカナン入りまでのイスラエルの歴史を、出来るかぎり具体的・写実的に再現することにあった。それは著者にとって、聖書の真理とは決して抽象原理ではなく、飽くまでも選民イスラエルの歴史と、その中での各個人の生涯を通して顕された恩寵の真理だったからである。この願いは、しかしながら著者の病気により、出エジプト記19章、十戒下賜の直前まででストップしたのである。

 このあとがきを通して、御著書がなるには少なくともほぼ四年にわたっていることがわかる。昨日今日、あるいは一月や二月で出エジプト記を読み終えての思索ではない。しかもそれは単なる四年の月日ではなく、おそらく著者の生涯にわたる思索があっての本であったと推察する。それにしても何としても、十戒下賜とそれ以降のところを著者の健筆を通して読みたかった。それはないものねだりと言うべきものだろう。

 しかし、私たちには聖書そのものがある。私の今回の学びは「神は我が栄え」と題して出エジプト記1:22〜2:2を引用聖句とさせていただいたが、お話ししながら、私には胸中、一つの副題が絶えず念頭にあった。それは「パロの娘とレビの娘」とも言うべき事情である(※3)。聖書は万人に開かれている。虚心坦懐に聖書を読めば、そこからいのちの泉はこんこんと湧きいづる。

※1 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2023/01/blog-post_9.html

※2 「待晨」とは「たいしん」と読む。夜明けを待つという意味であろう。2ペテロ1:19をはじめとしてこれにちなんだ聖句はたくさんある。

※3 パロの娘はナイル河畔の葦の籠に置かれていた、レビの娘の男の子を引き上げ、モーセと名づけた。その意味は「水の中から、私がこの子を引き出したのです」という意味だった。確かにそうだと思う。しかしそれだけであろうか。生けるまことの神様が介在されての事蹟であるに違いない。一方、パロ王の男の子をナイルに投ぜよと言った命令に従わず、飽くまでも神様のお教えに忠実で、やむをえず最後はナイル川に男の子を置かざるを得なかったレビの娘は、一切のご加護を主なる神様に願ったのだ。そしてこのレビの娘の本名は出エジプト記6:20や民数記26:59で明らかにされているが、「ヨケベデ」である。その名前は「神は我が栄え」とレビがつけたであろう名前である。パロの娘とレビの娘との違いを垣間見る思いがする。

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。(新約聖書 2テモテ3:16)

私の泉はことごとく、あなたにある。(旧約聖書詩篇87篇7節) 

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