2024年7月13日土曜日

かくしてこの日は終わりぬ


  今日は珍しい一日でした。お昼前、孫が次女に連れられてやって来ました。なぜか、五ヶ月なのに、私の顔を見てニコッと笑います。それだけで十分なのですね。昼食は娘手製のお好み焼きで舌鼓を打ちました。午後からはZOOMで祈り会なので孫との交わりは断念しました。祈り会の出席者は、全部で七名でした。前週、欠席した私を気遣って声をかけていただいていましたので、悔い改めて、出席できました。何とみんなで輪読した聖書個所は最後に掲げるみことばをふくむ新約聖書のコロサイ人への手紙でした。

 その祈り会の間に孫娘と次女は帰ってしまいましたので、都合二、三時間の滞在だったでしょうか。朝できなかった散策を果たすべく、古利根川目指して自転車で出かけました。いつも自転車を置くお社のそばの田んぼや畑はもうすっかり夏モードです。毎日のように放映される、豪雨と盛夏に当てはめれば、今のところこちらは「盛夏」一色です。

 三時を過ぎ雲が出ており、風もあり、それなりに快い散歩日和となりました。いつものようにこの時は珍しく小鳥の声にも注意せず、その時、フッと川縁の句碑が気になりました。その句は

  植田千枚 育て古利根 川流る  栄水朝夫

でした。ずーっと、それまでこの句碑もかつて記しました蕪村の句と同様に素通りでした。古利根川がどうして植田と関係あるのかと、私は浅はかにも考えていて、そのせっかくの句を読み落としていたのです。ところが、カルガモが過去一ヶ月あまり、私の関心の的でした。そしてそのフィールドは「植田」でした。中学時代、Wednesday を、「水田に苗を植えんず」デイだよと、水曜日がWednesday だと覚えた懐かしい記憶がありますが、今回、その「植田」の句碑を改めて読み直す思いに駆り立てられたのです。そしてそうだ、古利根が植田千枚も育てているんだと、心の中で作者に快哉を叫んでいたのです。そのため今日は冒頭の東武野田線の走る鉄橋と古利根川を併せて撮ってみました。

 その帰りのコースに入りかけてしばらく、進んだところ、小鳥の大きな鳴き声が前方から聞こえて来ました。鳥と言えば、必ず逃げられてしまうのに、その小鳥は色も鮮やかで、しかも二羽の鳥で自転車のハンドルの上に止まって盛んに鳴きながら動いているのです。その近くには親子の方がカメラを手にし、その動きを眺めておられる様子でした。私はその交わりに入っていいのか戸惑いながらも、咄嗟に、その鳥の飼い主の方に、「写真を撮っていいですか」と、許可を求めていました。私にとっては間近で撮れるという興奮もあって、その方のお許しのまま、何枚か撮らせていただきました。そのうちにその方が言われるには、「テレビ朝日の朝の番組で出ていますよ」という話でした(※)。いったいその小鳥の名前は何かわからないので、尋ねておりますと、「・・・インコ」と答えてくださいました。私たちには思わぬ珍しい小鳥との出会いになりました。(※ https://www.youtube.com/watch?v=AsOufDzsuKk )

 夕食終わり、家内はブラックベリーのジャム作りに夢中になっています。しかし種があり中々難しそうです。そうと知って、次女がレシピをLINEで送って来てくれましたが、果たしてどうなのでしょうか。左の写真は、朝方ブラックベリーならぬ、ブルーベリーの採取に夢中になっている家内の姿です。家内にとってはブルーベリー、ブラックベリーの採取、ジャム作りと孫との対面、はたまたインコとの出会いでした。かくして、今日も一日が終わりそうです。朝からの日課の聖書の輪読はまだできておりません。代わりに祈り会で示されたみことばを書きとめておきます。

それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。(新約聖書 コロサイ人への手紙3章12〜15節)

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