2024年7月19日金曜日

公器である新聞の恩恵に浴す

梅雨明けに 緑陰浴 散歩どち
 今朝の東京新聞は随分読み応えがありました。最初、目についたのは「発言 若者の声」でした。「石丸氏の評価転換『?』」「私の中の『短歌記念日』」「セミを見習い全力投球」の各投稿記事でした。いずれもこのブログでも話題にしていた事柄でした。

 特に「セミを見習い全力投球」と15歳の中学生の方の書かれた投稿の奥行きのある考察に舌を巻きました。求愛行動であるセミの鳴き声に自分を重ね、「一生を常にフルスロットルで活動するセミに、生物としてのリスペクトを覚えた。これからはセミを見習い、夏休みは受験勉強を頑張ろう」と結ばれていたからです。石丸氏については大学生の方が意見を述べられていました。若者の声をそれぞれ読むことができ、随分と心が満たされて、次の頁を何となく、フッとめくってみたら、「あけくれ」迫田妙子という文字が目に飛び込んできました。このブログのフォロアーにもなっていてくださる方のお名前です。

 題名は「姉妹旅」でした。あらかじめ、私は、彼女のホームページで姉妹で旅されたことを知っていましたので、そのことはびっくりしませんでしたが、そのくわしい内容が記されていました。3歳違いのお姉さんにインタビューという形で話を聞かれたことや、水族館でしょうか、クラゲやマンボウ、ペンギンを観察された話の内容など、小さな失敗もあったが充実した時を過ごされたことが記されていました。

 新聞という社会の公器に、知っている方の記事が少しでも載ると、それだけで、新聞が身近になりますね。今、最大の関心事であるアメリカ大統領選の行く末についても丁寧な報道記事が、「こちら特報記事」をふくめ満載されていましたが、そのような難しい記事も、このことをきっかけに親しみをもって読むようになれるから不思議です。おまけに、当方にとって最大の関心事である認知症と補聴器についての記事もすかさず書かれており、ありがたかったです。この新聞も9月からは東京23区以外は夕刊配達が、人件費などのためでしょう、されず、朝刊一本になるということです。寂しい限りですが、昨今の物価高は新聞社の経営環境にも影響を与えているんですね。

 私は毎朝、朝食の時、「日々の光」という聖書のことばを読み、その都度元気を与えられていますが(ある時は悔い改めさせられますが)、そのあと必ずTBSのラジオ番組森本毅郎スタンバイをラジコで聞くことにしています。東京新聞はここ10数年愛読していますが、それ以前は、毎日、朝日、日経と購読誌を変えてきた経緯があります。それだけに他の新聞がどのようなことを主張しているのかも知りたいのでこの番組を頼りにしています。この放送ではサンケイも読売の報道も聞くことができ、大変感謝しています。

 日々目まぐるしく移り変わる世相をキャッチしながら、こうして生かされている恵みの真実さを改めて、噛み締めております。今朝の「日々の光」には全部で九つの聖句が記されていましたが、そのうちの最後の聖句に目が留まりました。

どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、・・・栄光が、・・・ありますように。(新約聖書 エペソの手紙3章20〜21節)

パウロは、同じことをピリピの人たちに向かって次のように言っていることも思い出しました。新聞社の方々の社会の公器として役立ちたいとされる志が祝福されるように祈ります。

神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。(ピリピ人への手紙2章13〜14節)

1 件のコメント:

  1. 私の投稿にも触れていただきありがとうございました。
    私も新聞の持つ大きな力を感じている者です。でも実際には新聞購読者は減っていますし、東京新聞自体も値上げするそうです。新聞の未来ってかなり悲観的にも思えます。
    毎朝配達される新聞のありがたさと、新聞の持つ無限の力を、どうやったら多くの人に伝えられるのか、新聞社にとっても大きな問題かもしれません。

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