2024年7月17日水曜日

季節は巡り、時は動く(下)

 今日の写真は「切り取り写真」です。昨日、梅雨空のもと再び古利根川に向かいました。何と、画面のように白鷺が例の田んぼ(カルガモ親子の居住地?)にいました。すっかり、苗は成長し、今やカルガモ12羽が棲みつくには不便でしょうし、彼らにはチャンとした大海原である古利根川があります。全員、そちらに移動したものと思われます。

 その代わりなのでしょうか、時折白鷺がこの田んぼ内を歩いているのを見かけておりました。昨日は、かなり近くに行くまで逃げませんでしたが、私のiPhoneを構えての接近は、彼には鬼門なのでしょうか。たちまち飛んで逃げてしまいます。その飛び立つ様がたまたま写真のように撮れました。実際の写真は白鷺が画面の二十分の一程度を占める小さな存在なのですが、画面のようにやや変形サイズですが「切り取り」をし見ていただくことにしました。

 改めて白鷺の姿態の美しさには目を見張らさせられます。それにしてもこの田んぼは余程、鳥たちにとっては餌を採取するのに豊かな土地なのでしょうね。私が執拗にiPhoneで追いかけるものですから、飛び立ち、いったん姿を消しますが、私の姿が見えなくなった頃また戻って伸び切った苗の茂みの中で過ごしているようです。

 さて、話は変わりますが、東京都知事選挙は大変な結果に終わりました。よもやと思われた石丸氏が蓮舫氏を抜いて二位次点になったからです。その選挙報道をした東京新聞の記者の座談会記録には「石丸氏、今後の『選択肢』に疑問」とありましたし、同日の「核心」欄には「『切り取り動画』に危うさも」と巧みなネット戦略で成功した石丸氏の出現を危ぶむ声も載っていました(東京新聞7月9日(火)朝刊号)。

 「切り取り」は私の今日の写真でも用いた手法です。だから「切り取り」そのものを否定しませんが、自己にとって都合のいいところだけ、切り取って、不都合なところは見せないとすれば「公平無私」にもとります。

 私の覚えた危惧はラジオ放送ですがTBSの荻上チキSession(※1)を聴きながら、溜飲を下げた思いがしております。そこでは「切り取り民主主義」の選挙であったというフリーランサーの畠山さんの冒頭の発言があり、途中でTV局が最後まで放映しなかった、石丸氏に対する武田砂鉄さんとのやりとりが録音されていました。その会話のやりとりをお聞きしていて、東京新聞の指摘していた危うさを再認識しました。(※1https://www.tbsradio.jp/articles/85382/

 日にち変わり、今週の月曜日(7/15)のNHKの徹底対論「日本の政治を問い直す」(※2)という番組でいみじくも、対論者の一人保阪正康氏が、都知事選の石丸氏について「旧軍人の発想」の持ち主なんだなあー、こういう人に権力を持たせるのは良くないという所見を述べておられたことが印象的でした。武田砂鉄氏が問いただそうとしたこともまさしくそのことで、その問いを無視し切った石丸氏に危うさを覚えました。若い十代二十代の方の支持が圧倒的に多かったことを思うと前途暗澹たる思いにさせられます。(※2 https://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=9177_01_4031736 )

 東京新聞の7/14(日)の「時代を読む」には目加田説子氏が「『同時代史』刻む『世界選挙年』」と題して一連の選挙における民意のあり方を問うて一文を書いておられます。文頭と文末の文章を以下に載せさせていただきました。

70以上の国・地域で約20億人の有権者が意思表示する。かつてない「世界選挙年」も折り返し点を過ぎた。・・・・変わるもの、変わらないもの、次々と続く選挙は、着々とこの世界の「同時代史」を刻んでいる。

 その舌の根も乾かないうちにとんでもない事件が起こりました。言うまでもなく、トランプ大統領候補の暗殺未遂事件です。早速、トランプ氏の襲撃現場での写真はTIMEの表紙を飾るということです。かつてドラクロワが「民衆を導く自由の女神」を描き、拍手喝采を受けました。しかしトランプ氏は絵でなく、写真です。その迫力は推して知るべしです。しかし、ここにも「切り取り民主主義」が顔を出す恐れはないのでしょうか。

 「あなたがたは、空模様の見分け方を知っていながら、なぜ時のしるしを見分けることを知らないのですか」と警告を発せられている主のおことばをますます肝に銘じたい思いです。

さあ、これを聞け。愚かな思慮のない民よ。彼らは、目があっても見えず、耳があっても聞こえない。あなたがたは、わたしを恐れないのか。ーー主の御告げ。ーーそれとも、わたしの前でおののかないのか。わたしは砂を、海の境とした。越えられない永遠の境界として。波が逆巻いても勝てず、鳴りとどろいても越えられない。(旧約聖書 エレミヤ書5章21〜22節)

無限の力と不尽の狂暴さを有する海ーー。ところが、神はなんと、あのチッポケな、それこそ吹けば飛ぶような”砂粒”をもって、荒海をとどめつないでおられる!・・・最も微弱なるものをもって、最も強大なるものを撃つ、その神を恐れよ。(F.B.マイヤー著「きょうの力」490頁)

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