写真というものはありがたいものですね。この写真は一月半ほど前に、古利根川の公園橋のたもとにある彫像を撮影したものです。その時、一人の方が、前に設けられたベンチを利用して、サキソホンをやおらケースから取り出して、練習を始められるところでした。(家では隣近所に迷惑になるので、公共空間を利用して、音を出しても邪魔にならないようにと、いつもこの場所に出て来ては練習を繰り返されているのでしょうか)ご丁寧に、通りすがりの私たちに「(練習していて)いいでしょうか」と言われ、「いいですよ」と申し上げ、早速、家内は聞き入っていました。私は他の予定もあり、その方の演奏をゆっくり堪能するわけにもいかなかったので、頃合いをみて、家内を促し、この何度か見慣れている彫像(?)をiPhoneに収めて立ち去りました。
この馬車の姿、後ろには立ち姿の貴婦人が窓外の景色を見ている風であり、前には御者が手綱を握っているだけで、それ以外の乗客の姿は見えない、見えるのは五つの窓(?)という極めてシンプルな図柄です。とても、(私には)日本とは思われない異国の古風な絵柄に思われてなりませんが、それは文明開化の明治の日本の姿を表しているのかも知れません。ほとんど人々の目に触れることもなく、ひっそりと橋の下に蟄居しているかのようです。それでいて、駅馬車が向かう先には、何か新しい地への期待が込められているのではないでしょうか。
作者も、その制作意図もわからないこの写真を引っ張り出して、このように勝手に想像を逞しくしました。ついでに彫像の前のベンチを利用して演奏を始められたその方のサキソホンの音色が聞こえて来るようで聞こえて来ません。こればかりは我が音痴をいくら嘆いてみても仕方のないことです。
2013.8.8 野川に抜ける道(小金井) |
野川みな 流れ桑の実 熟れむとす
でした。その掲載は隣町の越谷の俳句大会の入賞作の一つとして市広報に掲載されていたのですが、何と1967年(昭和42年)ではないですか。私が大学を卒業し、社会人としてスタートを切った記念すべき年でした。その頃は、今よりも「桑の実」は身近だったのでしょう。そして「野川」はちょうど11年前の2013年5月から数ヶ月の間、次男の妻の突然の病の見舞いのため、春日部から西国分寺の多摩医療センターまで、さらには小金井のリハビリセンターへと出かけた日々を思い出させる、私にとっては一入感慨深い川の名前でした。その野川の川の流れを作者はこのようにはるか四十数年前に詠み込んでおられたのです。
前回のブログで触れましたような訳で、知ることになった「植田」で始まる「古利根」を詠み込まれた栄水晴夫さんの句は、ここでは「桑の実」を「野川」の流れの中に詠み込まれているのです。そして両者に共通する「流れる」という言葉に作者が川の流れを通して自然を深く詠み込まれたんだと思い、この方がどんな方かはわからないのですが、大変興味を覚えました。もし我に詩心があれば、あの苦しかった日々、私も、野川を前にしての一句を詠めるのになあーとも思わされています。でも、下の聖書のことばはすべてにまさっており、私はこのみことばに脱帽せざるを得ません。
しかし、主よ。今、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの手で造られたものです。(旧約聖書 イザヤ書64章8節)
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