2024年7月18日木曜日

「折り返し点」を通過する選挙年


 このところ、古利根川では、鷺(さぎ)によく遭遇します。今日は写真のとおり「青」鷺でした。鉄橋下の川中にいました。彼らは魚が目当てなのでしょう。この一歩手前のシーンでは魚を啄む姿を目撃しました。けれども中々敏感で、そう簡単にはその姿を撮らせてくれません。この写真は、辛うじて撮れた写真で、10メートル先にいる私の存在に気づき、今にも飛びたとうとする瞬間です。

 ところで、トランプ大統領候補を狙撃しようとした犯人は120メートルほど離れていた高所から狙ったということです。私と青鷺の距離の10倍近い距離での狙い撃ちだと知り、改めて大変な犯罪だと思いました。幸い、右耳の負傷で済んだようですが。まったく一瞬の出来事で、しかもトランプ氏が右の方を振り返ったその時、弾が当たったということで、その動作がなければ命はなかっただろうとも言われています。

 今日はたまたま聖書通読の個所はサムエル記第二の一章でした。イスラエルの王サウルが、息子ヨナタンとともに、敵の攻撃にさらされて深傷を負い、自害するのが同じサムエル記第一の終章ですから、まさに第一、第二と二巻になるサムエル記の「折り返し点」とも称すべきところです。果たせるかな、この惨劇に乗じ、一人の男は、サウルの首級を携えて、これぞ我が手柄とばかりに、偽って、サウルの仇敵と思っていたダビデのところに持ち込みます。その時、ダビデは確かにサウルに憎まれて追われる身ではありましたが、決してサウルに自ら手を下そうとは考えなかった人でした。

 その真骨頂がうかがえるのが、このサムエル記第二の第一章です。ダビデは、その男を即座に罰し、逆にサウルのための哀歌をつくります。そして次のように歌います。

「イスラエルの誉れは、おまえの高き所で殺された。ああ、勇士たちは倒れた。・・・サウルもヨナタンも、愛される、りっぱな人だった。生きているときにも、死ぬときにも離れることなく、わしよりも速く、雄獅子よりも強かった。イスラエルの娘らよ。サウルのために泣け。サウルは紅の薄絹をおまえにまとわせ、おまえたちの装いに金の飾りをつけてくれた。・・・ああ、勇士たちは倒れた。戦いの器はうせた。」(旧約聖書 サムエル記第二1章19〜27節)

 まことに感動的な哀歌です。実際には息子ヨナタンとの友情をダビデが心から感謝する文句もあるのですが、引用は父サウル王に対するダビデの思いにとどめました。

 1000有余年のちダビデの子であるイエス様は次のように言われました。

『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(新約聖書 マタイの福音書5章43〜44節)

 サムエル記第二の最初の章に登場するダビデはまさにこのイエスの教えを実践できた人です。しかし、好事魔多し、このダビデがのちにサウルの跡を継ぐ王となりますが、その絶頂期に「姦淫」の罪、「殺人」の罪を犯すのですね。でもダビデは悔い改めの心を主からいただきます。旧約聖書に登場する人々の神の前の正直な歩みをとおして、今日も多くのことを教えられました。

 アメリカ大統領選はじめ目白押しに並んでいる各国の政治が、今「折り返し点」と言われる今日この頃、主に喜ばれる政治の展開となるように祈る者です。

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