2016年2月15日月曜日

神様のご用に用いられる器

あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。(ローマ6・13)
 
 あなたがた自身とは何のことでしょうか。それは手であり、足であり、くちびるであり、目や耳その他のものです。私たちはそれらをどう扱うべきでしょうか。それらを差し出すこと、全部一緒にです。神様に明け渡すことです。何のためにでしょうか。

 神様はそれらを義の器として用いようとされているのです。それはちょうど音楽を演奏するためには楽器を手にしなければならないのと同じです。神様は私たちの手足やあらゆる部分を取り上げて、正しい良いことをなすために用いられるのです。

 もし私たちが神様に自分自身をささげたなら、私たちの体のすべての部分は神様の召使、神様のために用いられる道具となるべきです。私たちのすべての部分はサタンに仕えることをやめて神様に仕えるものを見出すでしょう。なぜなら、もし私たちが神様に自らをささげるなら、神様はそれらを取り上げお用いになります。

 もし、私たちがそれらを、また私たちのすべての自我を神様にささげるなら、神様がどんなに多くの方法を用いられるかを知って驚くことでしょう。(ピラトの妻が言ったように)「かかわり合わないでください」(マタイ27・19)と言って決して二度と苦しむことはないでしょう。


あなたは「もはや自分自身のものではない」(1コリント6・19)、神様のものです。大きな犠牲が払われたのです。
なぜなら、あなたのいのちは全地球上の宝石や金の貯えにはるかにまさる
キリストの尊い血、値のつけられない身代金である宝物によって
完全な贖いが獲得され、完全な救いが保証されているからです
 
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/february-15-instruments-for-gods-use/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97210です。

第1章 表面上の明るさと内面の暗さ(8)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより
 フランシスは自然を非常に愛していた。青い空、日光、緑の葉の愛らしさ、波打つ木々、それらは彼女にもっとも強い影響を与え、しばしば彼女の不安を静め、やさしい友だちの励ましがほとんど何の効き目もなくなったときにも神様の平安をもって心が鎮められるのであった。彼女は手にする詩をことごとく読んだ。彼女がウィリアム・クーパー※の神の世界における様々な被造物の美しさについて、それは「私の父なる神様が全部お造りになった」で終る数行の詩にたまたま出会ったのはやっと八歳になった時であった。※クーパーについては以下がくわしい。http://www.hymntime.com/tch/bio/c/o/w/cowper_w.htm) 

0 件のコメント:

コメントを投稿