2016年2月1日月曜日

キリストが答えです

河口湖 2013.12.2 by N.Y※

私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。(詩篇62・5)

 神様のお約束を何か遠い未来のことだと思って、取っておかないようにしましょう。こらしめるために主は「ずっとあとで」とは言われませんでしたし、私たちに根拠もなくそのような言い方はなさいません。むしろこらしめが過ぎるやいなや、平安な実が「神の御栄えと誉れ」(ピリピ1・11)をともなって現われることを意味しています。

 圧迫が過ぎ去るやそのあと現われるものをよく見ましょう。この当面する期待が、もし「私の望みは神から来る」と言えるものであって、私たち自身のいかなる実を結ぶ働きからでもなく、「あなたはわたしから実を得るのだ」(ホセア14・8)ということだけなら祝福がもたらされることでしょう。主からもたらされる実は同時に主のための実であります。

ああ、主よ。あなたが「後に」と言われることはどういうことでしょうか。

私は驚きながらも、待ち望んでいます。

あなたのこらしめの手でへりくだされて

何と平安な実が今や熟し、

私のためにしっかりと熟すことでしょうか。

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/february-1-christ-is-the-answer/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/print-friendly/lxpf-la-97196です。

 フランシスは自然に敏感であった。「日々の木々や日射しの静かな美しさは私の幼年時における主要な影響となった。波打つ大枝や金色の光はつねに私に働きかけ私の心を落ち着かせ、私に神様について語りかけるものだった。」彼女はアルプスを一瞥するやそのとりこになった。「とこしえに輝く雪の尊厳」は詩篇の言い回しを想起させ、「ダビデがスイスにいなかったと信じるのはきわめて難しい」とまで言った。

 今朝のスポルジョンの「朝ごとに」は次の美しい記述があった。When the Lord first pardoned my sin, I was so joyous that I could scarce refrain from dancing. I thought on my road home from the house where I had been set at liberty, that I must tell the stones in the street the story of my deliverance. So full was my soul of joy, that I wanted to tell every snow-flake that was falling from heaven of the wondrous love of Jesus, who had blotted out the sins of one of the chief of rebels.かつて小学校6年の時、模型飛行機大会で「まぐれ」で一位になり、ほんものの飛行機に乗れると言うことを知らされ、そのことを一時も早く母親に知らせようと走って家に帰ったときのことを思い出した。舞い上がるばかりで、足が地に着かないとはこのことかと後に思った。残念ながらこのスポルジョンの救いの喜びとは程遠いものであり、こちらの喜びはきわめて低次元のものだったが・・・。路傍の石にも、舞い落ちる雪片にも自らの救いを語りたいと思ったスポルジョンの心意気の尊さを思う。

 ※試みのうちに、主イエス様に頼り歩みつつある者に、主は今もあらゆる祝福をもって導いておられる。「友よ待て キリストが答 えですよと」)

0 件のコメント:

コメントを投稿