2010年12月29日水曜日

新しい障子紙

山茱茰(さんしゅゆ) 障子紙に 影落とす
このところ連日関東は晴天に恵まれている。気温も平年よりずっと高めであろう。随分過ごしやすい今年の冬になっている。しかし、この晴天の裏には必ず裏日本の積雪があることを思う。脊梁のように流れる山脈のせいだ。そして裏日本の厳しい寒さを想像する。わが故郷の滋賀の湖東地方は微妙な場所にはあるが、一面この裏日本の冬を共有する。私の心はいつしかはるか故郷の曇天・雪空に飛び、自然と二様の冬を反芻している。

しかし、このありがたい関東の暖に誘われて、昨日は数年ぶりに障子の張替えを思い立った。家を新築してかれこれ15、6年は経つ。その間、一回張替えをしただけだ。正確には次男がしたのであって私がしたのではなかった。それ以来、黄ばんできたり、穴が空いたりして気にはなっていたが面倒くさいのでほったらかしにしておいた。

ここ数日長男が帰っているので、思い切って彼の助けも借りて互いの気晴らしにと張替えをした。普段は駐車場にしているところに4枚の障子を立てかけ、水道の水をホースで思い切りかけ、障子紙のはがしにかかる。戸外は連日の暖かさで、その作業も苦にならない。生家ではまずこのような冬の暖かさは期待できないのに・・・。

時間を置き、最初は戸外で、後には室内に移り、作業をした。もう何十年ぶりの作業だろうか。家内をふくめ三人で張替えをした。たった4枚の障子紙の張替えだったが、それでも3時間前後はかかった。出来栄えは4枚それぞれちがい、よくできたものもあれば失敗作も出る始末だった。それでも親子三人で作業する楽しさを充分味わわせてもらった。

第一、家の中がぐっと明るくなった思いがする。欧米人にはこの醍醐味はわからないであろう。紙と木によるつつましやかな文化のおかげである。新建材のプレハブ住宅である我が家に一間だけ和室がある。その名目のような部屋にこれまた見せかけのような障子があるとばかり思っていたが、こうしてみると中々どうしてありがたいものだ。生家も継母が召される直前に張替えをしたのだからやはりかれこれ10数年以上は経っている。こちらは伝統的な日本家屋であるのでより味わいは深いことだろう。来年の1月に帰省したおりに挑戦したいと思うが、果たして天候が許すだろうか。

山茱茰(さんしゅゆ) 芽生えし春に 張替えか

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。これらのことはすべて、神から出ているのです。(2コリント5:17~18)

2010年12月19日日曜日

わたしがあなたがたを愛したように 

枯葉敷き 山茶花の笑み 寒空へ  
「わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15:12)。

主はここで、兄弟に対する私たちの愛のルールについて語られている。兄弟に対する私たちの関係は、主の私たちに対する関係と同じである。主のことば、主の行ないのすべては、そのまま私たちの法則である。一度ならず言ったように、ぶどうの木と枝とは全く同じ性質のものである。

しかし、「主が父の戒めを守り、私たちを愛されたように、私たちも主の戒めを守り、兄弟を愛すること」を、もし私たちの力だけで実行しようとしたり、ぶどうの木と枝との真理を十分に理解することなしに実行しようとしたりするならば、それはまちがいなく失敗するであろう。しかしもし私たちが「わたしがあなたがたを愛したように」というみことばが、譬ばなしの中の最大の教訓であり、ぶどうの木が枝に絶えず話しかけることばであることを理解するならば、それはもはや私たちがやり遂げることができるかどうかの問題ではなく、キリストが私たちの中でみわざをなすことができるかどうかの問題であることがわかるはずである。

これらの高く聖なる戒め、つまり「わたしが従ったように従い、わたしが愛したように愛せよ」との主のことばは、私たちの無力であることを自覚させ、また、それをとおして、ぶどうの木の中で、私たちに与えられるものがいかに大切で、豊かで、また麗しいものであるかを初めて自覚させるのである。

ぶどうの木が枝にひと時も絶えることなく、「わたしのしたように、いいですか、わたしのしたようにしなさい。わたしのいのちはあなたがたのいのちです。あなたがたはわたしの満ち満ちた分け前を持っています。聖霊はあなたがたの中にあり、『あなたから来る実は、わたしの中にある実と同じものです』と言います。だから恐れることなく、あなたがたはわたしのように生きることができるという天の保証を、あなたの信仰によってつかみ取りなさい」と語りかける声が、今確かに聞こえて来るではないか。

しかし、もしこれがほんとうに譬ばなしの意味するところであるならば、もしこれがほんとうに枝が生きるいのちであるならば、どうしてごくわずかな人々しかこれを実現することができないのであろうか。それは私たちがぶどうの木の天の奥義を知らないからである。私たちは譬ばなしとその麗しい教えをよく知っているはずである。にもかかわらずキリストが全能で、しかも私たちに身近な存在であることを示す奥義をよく知っていないということだ。それは聖霊が私たちに啓示するのを私たちが待ち望まなかったからである。

もし私たちがこの奥義を学びたいと思ったら、どのようにすればよいのであろうか。私たちは今までぶどうの木であるキリストの、人を生き返らせて別人のようにする力を全く知らなかったのであるから、私たちはこれから完全に新しい人生に入らなければならないという告白から始めようではないか。自我から生じるすべてのものからきよめられ、この世にあるすべてのものから聖別され、キリストが父の栄光のたまに生きられたように、私たちもただそれにのみ生きることから始めようではないか。そして次には、「わたしがしたように」というみことばを、キリストがいつでも実現され、ぶどうの木を心から信頼している枝のいのちを守り続けてくださるに違いないという信仰をもって、この奥義を学び始めたいものである。

祈り
『わたしがしたように』というみことばをあなたはお教えになりました。聖なる主よ。ぶどうの木とその枝として、あなたと私とは同じいのち、同じ心、同じ服従、同じ喜び、同じ愛を持っています。主イエスよ。あなたが私のぶどうの木であり、私が枝であるという信仰によって、私はあなたのご命令を約束として受け入れます。そして『わたしと同じように』というみことばを、あなたが私の中で行なわれるみわざの理解しやすい啓示と考えます。そうです、主よ。あなたが愛されたように私は愛します。アーメン」。

(『まことのぶどうの木』安部赳夫訳113~117頁より引用)

2010年12月16日木曜日

分派は祝福のもととなりうるか アルフレート・クリストリープ

(山茶花の 白き花びら 寒乗せて)
「あなたがたの中でほんとうの信者が明らかにされるためには、分派が起こるのもやむをえない・・・。」(1コリント11:19)

信者の間の分裂はよくないことで、多くの苦難の原因となります。ただ聖なる者の分裂を嘆くだけ、というのはまちがった考えです。パウロはコリントの教会の分派抗争のために苦しんできました。しかし彼は、分派の中によい点のあること、祝福さえも認めています。それは、正しい者の真価が明らかにされることです。分裂の全くないところでは、真実でないものも真実のものも容易に見わけがつきません。

私たちの分裂において、やむをえないことは何でしょうか。それは真実のものがその真価を表わすことです。それはいつも、うろうろするのではなく、落ち着いた確固とした歩みによって目だつ人なのです。彼らは人間によりすがることをせず、人間のあとを追いかけません。何千もの人が人間の旗のもとに熱狂するときにも、彼らはただキリストの旗のもとにとどまります。世の中には、「私のところに来なさい」という道しるべのようなキリスト者がいます。しかし、真実の兄弟の道しるべには、「主のところへ行きなさい」としるされているのです。

パウロは「分派が起こるのもやむをえない」と言っています。それによって、真実な少数者は、いよいよ密接に主と一体となることができるのです。パウロのこのことばは、今の時代に、何という光と慰めをもたらすものでしょうか。

船長の有能さはあらしの時に初めてわかります。将軍の腕は、あぶない戦いの困難な情況のもとで初めて知られるのです。同じように、聖徒の集まりである教会が、苦難と無秩序の中に置かれたとき、初めてキリストにあって練達した人が認められるのです。彼らは、落ち着いて、真実に、確固とした小羊である主に従っているのです。

当時コリントの教会には、愛餐のとき、自分だけたらふく食べて、ほかの人を顧みない人たちがいました。また、パウロ、ペテロ、アポロといった人々を党派の頭に押し立てようとした人々がいました(1コリント1:12、3:4)。こうした人が、すべて正しい人ではありませんでした。こうした人は、パウロが練達の人と呼んだアペレのようなキリスト者ではありませんでした※。口先だけでなく、ことばと行ないにおいて、いや全存在をもって「ただイエスだけ、ただイエスご自身だけ、ただイエスに従って」という生活をして行くこと、それこそ正しいもので、練達を生ずるものです。

分裂というような好ましくないことでさえ、「イエスのもとにとどまりなさい。自分の力、自分の栄誉と願いを断ち切りましょう」という教訓を与えるものなのです。私たちはこの教訓を聞きたいものです。それは私たちの祝福となります。人間は分裂を起こしますが、分裂の中に主は正しい者の真価を表わされるのです。分派もまた祝福ではないでしょうか。

(『上よりの光』アルフレート・クリストリープ著138~139頁より引用。※キリストにあって練達したアペレによろしくローマ16:10。政治は人間同志の権力闘争である。民主党の「小沢問題」は白日の下にそれをさらけ出している。しかし、「旧新約聖書にある宝」という副題を持つこの書は、主イエス・キリストにある上よりの光を指し示してやまない。)

2010年12月13日月曜日

「幸福のくつ」 エドウィン・マーカム

(山茶花の つぼみほころぶ 冬支度 )
くつ直しのコンラドは、主が客として自分のところに来て下さるという夢を見ました。

それはこの上なくはっきりとした夢でしたので、コンラドは朝早く起き、店を掃除し、輝くばかりにみがき上げました。それから食物を買いに出かけ、いろいろ計画を立てました。主が来られたら、主の御足を洗い、くぎあとのある御手に口づけし、それからいっしょに食事をしようと思っていたのです。

彼は心をときめかしながら待っていました。戸を開く音が聞こえると、さっそく飛び出して客を迎えました。しかし、それはひとりのこじきだったのです。コンラドはこじきに一足のくつを与えて送り出しました。

しばらくすると一人の老婆がやって来ました。彼女は寄る年波に腰が曲がり、重いたきぎの束を背負っていました。コンラドは老婆を休ませ、いくらかの食物を与えました。コンラドは一日中待っていました。

午後おそくなって、ひとりの女の子が激しく泣きながらはいって来ました。その子はまい子になったのです。コンラドは女の子の涙をぬぐってやり、その母親のところに連れて行きました。

けれども、主は姿をお見せにならなかったのです。それでコンラドは打ち沈み、小さな店の中ですすり泣いていました。

静けさの中で、彼は一つの声を聞いた。

「元気を出すのだ。私は約束を守った。
私は三度あなたの戸口を訪れた。
三度あなたの店の床に私の影を映した。
私は傷ついた足のこじきだった。
あなたが食物を与えた老婆だった。
街頭をさまよう まい子だった」。


(引用文は『一握りの穂』L.B.カウマン著松代幸太郎訳83頁からである。この話は『靴屋のマルチン』というトルストイの作品として有名だとばかり思っていたが、アメリカのエドウィン・マーカムの『幸福のくつ』という作品の中にも出てくることを知った。これらの話は言うまでもなくイエス様のおことば「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」マタイ25:40にちなんでいる。作者エドウィン・マーカムという人がどういう人なのかわからないが、私にはトルストイよりこの人の方がイエス様の十字架の贖いをはっきり受け入れた信仰者のように思えてならない。読者諸氏はどう判断されるだろうか。ちなみに原文は下記のサイト。
http://www.archive.org/stream/shoeshappines00markrich#page/n7/mode/2up))

2010年12月12日日曜日

「非難の言葉」の退場 ウオッチマン・ニー

(古利根川のカモ)
クリスチャンにその力を失わせるものが二つだけあります。一つは罪です。もう一つは、自分の上にいる人たちを悪く言うことです。悪口を言えば言うほど、一層力が失われます。もし人が口で何も言わず、心の中だけで不従順であるとしたら、その人の力はあまり早く失われないでしょう。口に出して言う結果は、わたしたちの想像をはるかに超えて重大です。

神にとって、人の考えと行為とは全く同じです。その考えがある限り、罪が犯されます。他方において、マタイによる福音書第12章34節から37節には、心のあふれ出たものから、その口は語る、とあります。裁きの日には、わたしたちは語った言葉によって、正しいか罪があるかを裁かれるでしょう。これは言葉と思考との間に相違があることを示します。もし言葉がないなら、まだ包み隠す可能性があります。しかし、言葉が出てくると、あらゆることがさらけ出されます。この理由により、心の中の不服は口で公然と語ることよりは少しましです。今日クリスチャンは、彼らの行為を通してその力を失うより、もっと多く彼らの口を通してその力を失います。実はもっと多くが彼らの口を通して失われます。すべての反逆者たちは、彼らの語りかけでごたごたを引き起こします。ですから、もし人が言葉で自分自身を制することができないなら、彼は何事にも自制することができません。

ペテロの第二の手紙二章十二節をもう一度見てください、「ところが、これらの者たちは、捕えられ破壊するために生まれてきた、理性のない動物のように・・・」。これは聖書の中でも最も強烈な言葉です。これほど重大な叱責の言葉はありません。なぜ聖書はこれらの者を動物と言って叱責するのでしょうか? それは、これらの者には何の感覚もないからです。権威は全聖書の中でも最も中心的なことです。ですから神にとって、非難することはすべての罪の中でも最も重大なものです。口は軽々しく語ることはできません。人が神に会うやいなや、彼の口は制限されます。そして尊貴を非難することを恐れるでしょう。いったん権威に出会うと、わたしたちの中に権威の感覚が加えられます。同じように、いったん主に出会うと、罪の感覚があるでしょう。

教会の一と力は、人の不注意な言葉を通して破られます。今日、教会の中では、大多数の問題は非難の言葉から生じます。実際の困難から生じるものは、ほんの少ししかありません。この世の罪の大多数はやなはりうそから生じます。もし非難が教会の中でやむとしたら、わたしたちの問題の大多数は減少するでしょう。わたしたちは主の御前で悔い改め、主の赦しを請い求める必要があります。非難は、教会の中では徹底的に終わらせられる必要があります。一つの泉から二種類の水を出すことはできません。一つの口から、愛の言葉と非難の言葉とを出すことはできません。(※)どうか神がわたしたちの口に門守を置いてくださり、わたしたちの口だけでなく、わたしたちの心をも守り、非難する言葉や思いをすべて止めてくださいますように。どうか今日を出発点として、非難の言葉がわたしたちの間から出て行きますように。

(『権威と服従』114~116頁「人の反逆の現われ」から引用。題名は引用者による仮題である。※は言うまでもなく「泉が甘い水と苦い水を同じ穴からわき上がらせることがあるでしょうか。」ヤコブ3:11が念頭にあるのであろう。)

2010年12月11日土曜日

幼いこどもたちのいるところ D.L.ムーディー

(朝日を受けて リーガルベコニア)
シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで こわれて消えた

シャボン玉消えた 飛ばずに消えた
生まれてすぐに こわれて消えた

風 風 吹くな  シャボン玉 飛ばそ

有名な歌だ。先ごろ先輩から年賀の挨拶を遠慮する便りをいただいた。その冒頭にこの歌詞が書かれてあった。。生まれてほどないお孫さんを亡くされたということである。生後間もない赤ちゃんを亡くす遺族の悲しみはどれほどであろうか。聖書は何と語っているか、以下に記すのはムーディーが私たちに伝える話である。

ある時、私は一人の病弱の子どものことを聞いたことがありました。その母親が重い病気にかかって、安静を要したものですから、その子どもを母親の邪魔にならぬようにというので、ある友人の家にしばらく預けたことがありました。母親は次第に病勢が悪化して、ついに死にました。その時、父親は、

「私は子どもにこの出来事で心配させたくありません、あの子はまだ年がゆかないのだから母親のことは憶えていないでしょう。だからこの葬式が終わるまで呼び戻さないで置きましょう」と言いました。

それから数日たって、子どもは我が家に連れ帰られました。けれども誰も母親のことは話しません、またどんなことが起こったかということも知らせませんでした。ところが子どもは家に帰って来ると直に一室に走り込み、次には他の部屋に、それから客間に、次には食堂へ行きという具合で、最後には母がいつも独りで祈っておられた小さい部屋に入りました。

「母さま、どこ? 母さま!」と精一杯声を張り上げて呼び求めました。

そこで家の人たちも仕方がなくて、出来事を子どもに話してきかせました。すると、一層悲しげに声を張り上げて、

「あっちに連れて行って! 連れて行って! 母さまのいないところにいたくない」と言って泣いたということであります。

そこを家庭にしてくれていたのは母でありました。そしてそれは天国においても同様であります。天国に私たちの心が引かれるのは白い衣があるということでも、金の冠があるということでも、金の竪琴があるということでもなくて、そこには私たちが互いに出会うことのできる愛する人々がいるということであります。

それではそこには誰がいますか。私たちがそこに行く時にどんな仲間が得られるでしょうか。先ず第一に天の父がそこにおられます。イエスがそこにおられます。聖霊がそこにおられます。すなわち私たちの父、私たちの長兄、私たちの慰め主がそこにおられるのです。

そのほかに誰がそこにいますか。
天使がそこにいます。
死に別れた親しい友がそこにいます。

そして小さい者たちも。ああ彼らはそこにいるのです。私は子どもたちを思い出すことをしないで天国のことを語ることが出来ません。次の聖書を読んでください。

あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。(マタイ18:10)

「彼らの天の御使い」! それはどんなことを意味するのでしょう? 私たち一人一人が、私たちの行く所、どこにでも特別に私たちを見守るように命ぜられている天使を持っているというのでありましょうか。私たち一人一人に付き添い、私たちを守護してくれる天使があるというのでしょう。

そうしたすべての者が天にいるのです。私たちはそこで彼らに会うことを待っています。永遠に誉むべき三位一体の神すなわち父なる神、子なる神および聖霊なる神もそこにいまし給います。聖なる天の使いたちもそこにいます。旧約時代の偉大なる聖徒たちもそこにいます。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨブ、ダビデ、その他前時代のすべての聖徒たちに私たちはそこで会うことが出来るのです。十二使徒や主のすべての弟子たち、古のすべての殉教者たち、世の始めからして主を愛し奉ったすべての人たち、すべての新約時代の聖徒たちとも会うことが出来ます。

そうした人たちがヘブル書第12章22節から24節までに総合的に書きしるされて「あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。また、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者である神、全うされた義人たちの霊、さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています。」とあります。

(『天国とそこへ行く方法』D.L.ムーディー著11~13頁より引用、題名は引用者がつけた仮題)

2010年12月10日金曜日

「真の服従」とは ウオッチマン・ニー

(「画伝 イエス キリスト」 和田三造絵より 昭和25年作)
マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。(ルカ2:6~7)

キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与えるものとなり、(ヘブル5:7~9)

わたしたちは人です。わたしたちにとっては服従は簡単です。わたしたちはへりくだる限り、服従することができます。しかし、主が服従することは簡単なことではありません。主の服従は、主が天と地を創造することよりもっと困難です。服従するためには、主は栄光や、力や、地位や、主の神性の中のかたちなどのすべてから、ご自身をむなしくしなければなりませんでした。彼はまた奴隷の形を取らなければなりませんでした。そうしてはじめて、彼は服従の資格を受けることができました。こういうわけで、服従は神の御子によって創造されたものです。

もともと、御父と御子は同じ栄光を分かち合っておられました。主が地に下って来られた時、一方において主は権威を捨てられました。そして他方において、主は服従を取り上げました。彼は奴隷となることを心に定め、人として時間と空間に制限されるようになりました。しかし、これで全部ではありません。主は自らへりくだって従順になられました。神たる方における従順は、全宇宙の中で最も驚くべきことです。主は死にまでも、十字架の死に至るまでも、苦痛と恥辱の死に至るまでも従順でした。ついに、神は主を最高にまで高くされました。自らへりくだる者は、高くされます。これが神の原則です。

元来、神たる方には服従の必要はありませんでした。しかし主が服従を創造されたため、御父は神たる方の中でキリストにとってかしらとなりました。権威と服従はいずれも神によって立てられました。それらは始めからありました。こういうわけで、主を知っている者は自然に服従します。神もキリストも知らない人たちは権威が何であり、服従が何であるかを知ることはないでしょう。キリストには、服従の原則があります。服従を受け入れる人たちは、キリストの原則を受け入れているのです。ですからキリストで満たされている人たちは、服従で満たされるでしょう。

今日、多くの人が言います、「なぜわたしはあなたに服従しなければならないのですか?」。彼らはまた次のようにも問います、「わたしは一兄弟であり、あなたも一兄弟です。それでは、なぜわたしがあなたに服従しなければならないのですか?」。実は、人はそのようなことを言う権利を持っていません。ただ主だけがこれを言う資格がありました。しかし、主は決してそのようなことを言われませんでした。主にはそのような思想さえありませんでした。キリストは服従を、全き服従をさえ代表します。それはちょうど神の権威が全き権威であるようにです。今日、ある人は自分は権威を知っていると考えます。しかし、彼らは服従を知りません。わたしたちはそのような人々については、神のあわれみを求めることができるだけです。

ヘブル人への手紙第五章八節は、主は苦難を通して従順を学ばれたと告げます。苦難は主に従順をもたらしました。真の服従は、苦難にもかかわらず、依然として従順がある時に見いだされます。一人の人の有用さは、彼が苦しんだか否かにあるのではなく、苦難の中で従順を学んだかどうかにあります。神に従順である者だけが有用です。もし心が柔らかにされていないなら、苦難は去らないでしょう。わたしたちの道は、多種多様な苦難の道です。安逸と享楽を渇望する人は役に立ちません。わたしたちはすべて、苦難の中で従順であることを学ばなければなりません。主が地に来られたとき、従順を携えてこられたのではありません。正確に言うならば、主は従順を苦難を通して学ばれたのです。

救いは喜びをもたらすだけではありません。それはまた服従ももたらします。もし人が喜びだけを求めているなら、彼の経験は豊富にならないでしょう。服従する人たちだけが、救いの豊満を経験するでしょう。さもないと、わたしたちは救いの性質を変えます。わたしたちは主が服従されたように、服従する必要があります。主は従順を通してわたしたちの救いの源となりました。わたしたちが神のみこころに服従することを望んで、神はわたしたちを救われました。人が神の権威に出会う時、服従は単純なことであるでしょう。そして神のみこころを知ることも単純なことであるでしょう。なぜなら、生涯を通して服従しておられた主が、主の服従の命をすでにわたしたちに与えられたからです。

(『権威と服従』ウオッチマン・ニー著の「第五章 御子の服従」より抜粋引用。みことばは引用者による。)

2010年12月9日木曜日

二十、酒飲み

(三条大橋 photo by K.Aotani)
(前略)わたしは、明治40年(1907)の暮れに、ヴォーリズさんと相談して、しばらく神戸の家に帰り、商業の実務にあたって経験をえてから、再び事を共にするという話がまとまって、41年(1908)の一月一日に八幡を去った。そして、自宅の商業に身をいれたり、後に三井物産会社の社員になったりした。またときに、神戸の諸教会で説教を頼まれたり、青年会の英語教師を勤めたりして、42年(1909)の暮れまでヴォーリズさんとは二ヶ月に一回ぐらい神戸から八幡に通うくらいの連絡をとって過ごしてしまった。わたしが去ったあとへ、例の酒飲みのXがひょうぜんとヴォーリズさんのもとに帰ってきて、41年(1908)ごろから通訳になったり、事務員になったりしていた。ところが、今ひとりKという青年がある。

彼は、八幡の遊郭で育った乱暴青年だ。(中略)明治38年(1905)の秋の終わりごろであったと思うが、ある水曜日、バイブル・クラスに珍客があった。それはK君だった。酒を召し上がったのか、顔を真っ赤にして、臭い鼻息を手で押しかくして、入口に立っていた。「K君、やあ、きたまえ。こっちへ入りたまへ」といってだれかが引っぱりこんだ。ところで、ヴォーリズさんが例の赤シャツを着たままにこにこしながら、気をきかしてわざと彼に後ろの暗い席を与えた。

このK君が痛快な男らしい青年であって、思い切りよく、たばこを捨てる、酒をやめる、キリスト信者になる、とうとう遊郭に自分の家があるのは不愉快だといいだして、39年(1906)に卒業すると、しばらくヴォーリズさんと同居した。そしてその書記をやっていたが、同じ年の夏前にヴォーリズさんと衝突して、「出ていってやるぞ」と一言を残して大阪に行ってしまった。そして綿問屋や雑貨店あるいは大阪府警察部などに雇われて、痛快な歯切れのよい奉公をやっていたが、その年の暮れから一年志願兵で大津の連隊に入営していた。

ヴォーリズさんは、陸軍歩兵少尉になったK君を、再び招いて、以前の酒飲みのXとふたりを手伝わして、明治41年(1908)の暮れごろから、建築の設計監督を京都の三条キリスト教青年会館の一室で開業した。それまでは、あるいは同志社で英語を教えたり、京都の青年会館の嘱託教師をしたり、また個人教授をしたりして、ずいぶん英語の切り売りをしながら、それでも八幡を本拠として京都に通い、生計の道に苦心していた。

明治42年(1909)には京都の三条柳馬場に、ドイツ人デルランの設計になるキリスト教青年会館が、アメリカのワナメーカー氏の寄贈として、京都市をかざることになり、その建築が始まったので、わがヴォーリズさんはその監督として雇われた。毎日、セメントの粉末や壁土、木屑、れんがの破片のとびちる中で日本の職人や土方を相手にして、優しい若いアメリカの青年ぶりを発揮していた。昼飯はおやこどんぶりいっぱいで元気をつけて働いた。そしてその収入がいくぶん確定すると、すぐに使い途を考え、明治42年(1909)には、東海道線の要点、馬場(大津)と米原に、小さい借家をみつけて、ふたりの青年幹事を雇いいれ、鉄道従業員のために慰安ならびに教育の事業を始めた。

この時分のヴォーリズさんのむぞうさな生活ぶりは、実に、むかしの物語にあるフランシスコ・ザビエルのようであった。銭湯に平気で出かけて、番台の女の目を驚かしたり、うすぎたない飲んだくれのXの寝床にもぐりこんで寝るくらいは朝飯前のことだし、洋服などもいっこうお構いなく、いわゆる、なりも振りも忘れて、青春時代をただ一すじに、建築の設計監督を職業として成功せねばやまぬ、強い鉄の意志で働いていた。思えば一心不乱の権化のように、ただ神の国の拡張を夢みて、逆境に処したヴォーリズさんは、実に神々しいというよりほかはない。

それにひきかえて、飲んだくれのXは、ヴォーリズさんの小金を横領したり、同僚K君の止めるのもきかないで、京都の遊郭なぞにひたりこみ、ヴォーリズさんが涙を流して祈っているのもうわの空に聞き流し、酔いつぶれては、人通りの多い三条大橋で欄干ごしに立小便をしてみたり、無銭遊興で警察の世話になり、わけのわからぬブロークン・イングリッシュで巡査たちをてこずらしたりした。なんでも、Xは警察にゆくと、いっさい日本語を使用しないそうだ。ヴォーリズさん直伝の英語を、のべつ幕なしにどなりたてて、例の象のような巨大な体格を資本にして暴れまわるので、ずいぶんやっ介なことこの上なしであったという。しばらくたって後、Xはヴォーリズさんのところに、いたたまれずに出奔、ある船会社の船員になってしまった。あるときなどは、日本刀を引き抜いて人を強迫したこともあったが、よく涙とともに悔悟する男であった。悪くいえば、まことに改心の名人であった。

こんなわけで、初めのうち、ヴォーリズさんの建築事業は、歯切れのよいまっすぐな村田幸一郎君とふたりでやっていたが、明治42年(1909)の冬、わたしが神戸を引き揚げてきて、その事業に参加することになった。「われらは、20年の将来をみるのだ」とは、そのころのヴォーリズさんの標語であった。

(『近江の兄弟』吉田悦蔵著83~85頁引用。本文は「前略」のところではXが「中略」のところではKがいかに酒飲みであったかくわしい話を載せているが、冗長になるので省略させていただいた。「人の子が来て食べたり飲んだりしていると、『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ。』と言います。でも知恵の正しいことは、その行ないが証明します。」マタイ11:18とイエス様はご自分について言われたことを述べておられる。「大工」マタイ13:55であるヴォーリズさんはその生き方からしてイエス様の弟子であった。)

2010年12月8日水曜日

閑話休題 二つの会合

(琵琶湖畔・さざなみ街道を走る、車内から)

私の出た高校は滋賀県にある。当然卒業生は関西に在住の人が多い。ところが、いつのころからか、毎年決まって12月の第一土曜日に同窓の有志が集まって都内で会食会を持ち始めた。会の名称は「東京36(さぶろく)会」である。言うまでもなく、私たちが卒業した昭和36年を名称に挿し込ませている。八クラスの内、一クラス程度が東京近郊に住んでいる勘定になろうか。私も二度、三度出席してきたが、ここ数年は欠席している。これも何年前か記憶が定かでないのだが、同じ12月の第一土曜日とその翌日の日曜日にかけての二日間、滋賀県の守山市の「ラフォーレ琵琶湖」を会場に「聖書の集い(通称近江八幡・喜びの集い)」が開かれ、たまたま曜日がかち合ってきたためだ。

ここ二、三年この日が近づくと私は二つの会合のどちらに出席するべきか随分迷わされてきた。今年は私のいとこも出ると聞いていたし、何人かの親しい同窓生や久しぶりに会いたい同窓生もいたので大いに食指は動いたが、結局今年も「東京36(さぶろく)会」を尻目に、土曜日に関東から滋賀県へと、のこのこと出かけていった。帰ってきてから、「東京36(さぶろく)会」の様子を聞いたら、30名余の参加で今年も中々盛んで、皆、元気を持て余しているような賑やかさがあり、日本の将来を憂う挨拶をする人も何人かいたということだった。家内も同じ高校で三学年下であるが、もっと活発だ、と聞いている。私たちの高校の特徴かもしれない。が、こちらの方は曜日が異なるので家内は毎年楽しみにして出かけている。

さて、私が参加した「喜びの集い」だが、こちらは関西を中心に老若男女全国から様々な人々が集まる。総勢三、四百名というところか。岐阜の高山から大学の同級生を連れて出席された方が、月曜日電話を下さった。「今年の集いも良かったです。会場に入った途端、主を恐れる清々しいきよらかさが満ちていることを感じました。静かな落ち着いた雰囲気の中で心が喜びに満たされてきました。自分の考えでなく、聖書のみことばだけが大切なんですね。」という意味のことを伝えてくださった。同級生の方とはほぼ大学卒業以来の再会で、在学中にミッションであるその大学の教会の礼拝にともに集われていた間柄だ。しかし、その方は信仰はお持ちにならず、今では福音とは無縁の方なのでお誘いしたと言う。お聞きしてみると、私の小中高の同級生も職場が同じで面識がおありであった。

大半は主イエス・キリストの救いを受け入れている人々ばかりだが、このように一事が万事、それぞれの方が、一人でも多くの愛する家族や友人にイエス様をご紹介したいと願い、誘って来られるので、集いは「閉じた空間」でなく「開かれた空間」だ。その上、会場のあちらこちらで持たれる、自由な交わりの中に、必ず主イエス・キリストがご臨在される様がしのばれる。私は宿泊せず、生家から通いで参加したので、そのような交わりには縁遠いものだったはずだが、後述するように、それでもそれら一つ一つの交わりの余徳にあずかれた。

集いが解散されて、今回の「喜びの集い」を準備され裏方で奉仕してくださった一組のご夫妻の車で湖岸を近江八幡まで連れて行っていただき昼食のご馳走にまでなった。その車中や会食中、ご夫妻から喜びの集いに様々な交わりがあったことを教えていただいた。奥様が10年来の親しい方に、つい最近になって福音を伝え始めたら、その方のご主人が二日前にご病気であることが判明し、すごく落ち込んでおられたという。今回その方をお招きしたということであった。その方が、その集いの中で、まだ30代のご婦人で昨年の11月22日に二人のお子さんを残しご主人を亡くされた方が、寂しさと悩みの中で、いかに主イエス様を通して天国での再会を待望んでいるかをお話されたとき、すごく心を動かされ、その話をされた方と直接お話したいと言われ、実現したということであった。

近江八幡から米原、米原から東京と久しぶりに新幹線を乗り継いで日曜日の夕方にはこちらに戻ってくることができた。「喜びの集い」の余韻は今も静かに私自身を支配している。「東京36会」には出席できなかったが、いつの日か「東京36会」の人々と一緒にこの「近江八幡・喜びの集い」に出席したいと願っている。「東京36会」の開始以来、終始裏方として取り仕切っている幹事の方は実は『近江の兄弟』の著者の甥御さんであるし、何よりも晩年のヴォーリズさんの息吹に触れた方である。「東京36会」にはまだまだこのヴォーリズさんの薫陶に触れた方々がいる。

最後に昨年に引き続き、ベックさんが入院中のため、日曜日の福音集会のメッセージをベックさんのかわりになされた高村さんが引用されたみことばを載せさせていただく。

天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます。・・・招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。(新約聖書 マタイ22:2、14)

2010年12月5日日曜日

飼葉おけの中に クララ

(オーストリア・アドヴェントカレンダー by K.Aotani  )
「客間には彼らのいる余地がなかったからである」(ルカ2:7)
「見よ、わたしはすぐに来る」(黙示録22:12)

選民としての歴史のうちに長い年月を経ましたユダヤ人は、預言と約束をもって育成されていました。彼らは時代について深刻な感覚をもっていましたから、彼らは約束の救い主を待ち望んでいたのです(ルカ2:15)

神はその真実をもって約束を重んじ彼らの待望みに答えて、遂に独り子を彼らの救いのために遣わし万民の救いとなし給いました。学者も宗教家も心してこの時を待ち、メシヤ待望を忘れませんでした。

ところが一面においてはユダヤはローマの属国として肉の生活に窮々としていました。事実神の遣わし給うた御子はご自身の国に来たり給うたのに、世は彼を受け入れる余地がありませんでした。聖書に記されているように客間には余地がなかったのです。何と厳かな出来事でしょう。人の子は来たり給うたのに知らなかったのです。真の王は押しのけられ、この世の君が栄えています。

しかしこれは昔の出来事、よそごとに見ておられません。主イエスがわれわれの心に訪れ給う時、われわれの客間は他の客で混乱しており、世の旅人がわがもの顔に飲食をほしいままにしていますし、われわれもそれらを押しのけて主を迎えようとの強い抵抗をしません。そして栄光の主は馬小屋の飼葉おけの中に宿られたのです。あさましいことです。私どもは二千年前のクリスマスをふりかえって胸痛むように思います。しかし自分の心を反省します時、自分にも同じ心がひそんでいますまいか。

客間の主客である救いの君が飼葉おけに迎えられ、神を喜ばせ奉る信仰の主客には馬小屋をお使いくださいと平然とし、当然のように思っているとは!

そんな生活でどうしてやがての日、主の前に立つことができましょうか。主のお顔をさけて暗い木かげにかくれるよりほかにありません。そんなことは思うだに辛いことです。

真実な心をもってクリスマスを喜ぶことはそうたやすいことではありません。真に罪と滅亡の恐ろしさを知り、救いの恵みの、何物にもかえられない価値を知った時本当の意味でクリスマスが祝えるようになります。大切な客間を主にささげ、熱い心をもって主を迎えまつる日こそ真のクリスマスです。そうでないと二千余年前のある日のあの町のように世のもので心を一パイにしているのです。

救いの恵みを心から喜ぶ者は再び来たり給う主に対する待望も強いことです。その日首を挙げて主を迎えまつるために、また勝利と喜びにみつる朝を迎えるために、きょうわが生活の客間を主に提供しましょう。人類同志の関係においては言訳も都合も肩巾ひろく通過できましょうが、すべてを知り給う主の前にわれらの内なる思いはかくれる山かげも、身をよせる岩かげもありません。主に飼葉漕を提供した過去を悔い、砕けてへり下った心の客間に主を迎え、救い主の降誕を賛美しましょう。やがて栄光の王としてきます主を思いつつ!

(『泉あるところ』小原十三司・鈴子共著12月5日の項目から引用)

2010年12月3日金曜日

内村の小文二つ

(初冬の琵琶湖、奥に見える島は沖島?09.12.6)
昨今の政治の世界を見ると混乱極まりなく、一体どこへこの国が行こうとしているか定かでない。昨日のヴォーリズ氏の話は今からおよそ100年ほど前である。日本は日露戦争に勝利して、西園寺公望内閣の時のようだ。ざっと年表を見てみると1907年には日仏協約、日露協約、さらに第三次日韓協約と小さな国日本が諸列強を前に外交交渉を繰り返していることがわかる。もちろん隣国を足蹴にしてではあるが・・・。

大状況である国家が新生国家よろしく帝国主義国家形成を目指しているとき、ようやく個人と家制度の相克が明らかになり、自然主義文学が澎湃と姿を現わしてきているようだ。田山花袋の『布団』がこの年の作品である。一方夏目漱石は大学を辞し、朝日新聞に入社、新聞小説として『虞美人草』の連載が始まっている。ヴォーリズさんは田舎の近江の地で苦戦中である。当時のキリスト者が生きる上での風当たりはどんなであったろうか、と想像を逞しうするのだが、わからない。

手元の内村鑑三全集の15巻はちょうどその年に当たる。紐解くと、彼の父が4月に亡くなっていることがわかる。内村の二つの文を抜粋引用する。(引用は同全集59~61頁より)

父死して感あり

肉の父は逝けり、されども霊の父は残れり、地上の父は去れり、されども天に在す父は存せり、小なる父は我を離れたり、されども大なる父は我に近し、我は我が父を失いてこの世にありてなお孤児(みなしご)ならず、天に在す我らの父よと、しかり、我は父を失いて父を失わず、天に在(いま)す我が父は存す、而して我が失いし地に在りし父もまた天に在す父に在りて存す、天に在すわが父を失わざる我は地に在りし我が父を永久に失わず、我は我が父を失いて泣く、然れども我は希望なき他の人の如くに嘆かず、そは我らイエスの死にてよみがえりしことを信ずるが故にイエスによれるところのすでに眠れる者を神、彼とともに携え来たらんことを信ずればなり。テサロニケ前書四章十三、十四節

悲痛の極

人の死するは悲し、されども品性の堕落するが如くに悲しからず、品性の堕落は霊魂の死なり、これに復活の希望あるなし、これ永遠の死なり、嘆じてもなお余りあるは実にこのことなり。
預言者エレミヤ曰く

死者のために泣くことなかれ、これがために嘆くことなかれ、むしろ捕え移されし者のためにいたく 嘆くべし、彼は再び帰りてその故里を見ざるべければなり(エレミヤ二十二章十節)

と、悪魔にとらえられ、その社会に移されて再び帰りて父の故里を見る能わざる者の如くに悲しむべくして痛むべき者はあらず、我は我が首を水となし、我が目を涙の泉としてかかる者のために泣かんと欲す。同九章一節

国家いかにあろうともキリスト者の闘いが100年前も100年後の今も変わらざることを思う。

2010年12月2日木曜日

十九、断頭台(下)

(初冬の琵琶湖、比良山系を対岸に仰いで 2009.12.6)
その生活状態は、全く、昔の物語にある籠城のそれであった。外出すれば、「免職の異人」と、ののしる声がきこえる。そして後任としてきた外国人雇教師は、水夫あがりの酒飲みで、太いステッキに犬をつれたりして町を散歩する。ときには、怪しい日本の女も町にくるという有様だ。

がらんとした青年会館に、ヴォーリズさんとわたしは謄写版を使って、卒業した信仰の友へ、毎月日英両文の「月報」を印刷して、送ることと、朝から夕方まで、読書したり、水彩画を画いたり、石油ストーブをつついて自炊したりした。

ときには、おかずに困って、学校の寄宿舎から、うすぎたない小僧がもってくるさげ箱にいれた豆腐や油あげ、小あゆのあめだき、サイラの乾物をふたりで食べた。わたしはヴォーリズさんがそんなものを箸で口に運ぶのをみて、涙を落としたことが、たびたびあった。

5月になると、6人の学生がきて青年会館に下宿ずまいをすることになた。ヴォーリズさんの国の人たちが同情して送金してくれる金が、毎月すこしずつくるので、夏前から掃除夫兼料理人を雇うことになった。そして、サラダ油の代わりに、滋養分に富むからというので、バナナ、りんご、みかんのフルーツ・サラダに、たらの肝油をかけてだされたり、生たまごは毒だと思ったのか、アイスクリームをつくらせると、焦げくさくてしかたのないものなどを食わされていた。

わたしはある日、外国の雑誌で、かえるの足のフライがうまいという記事を読んだので、さっそく実験することに相談がまとまった。それで、百姓の子供に一かご十銭で、三かごのかえるを捕らしにやり、持ってきたものを、みな足をはずして、新米の料理人に油で揚げにさせた。そして舌鼓をうった。が、その翌日、
「吉田さん、たいへんです。ちょっときてください」
とコックの呼ぶ声に階段をおりてゆくと、真っ赤な顔にけわしい人相をした、八幡町雇の掃除人夫がどなっていた。
「なんぼ、ごみ取りのおれでも、かえるの腹ばかりのごもくは取らんぞ、オイッ、コラッ、コックたら、クックたらぬかす、板場! なんとか返事せい」
わたしは頼んで、二十銭の銀貨でかえるの死骸をかたずけてもらった。

ヴォーリズさんはもう八幡でなにもすることができなくなった。それで毎日聖書の研究と詩作と製図の練習にふけるほか、求められるままに、彦根、長浜、水口などの教会の応援をしたりして明治40年(1907)はなんのなすところもなく終わってしまった。
わたしは相変わらず、英語の勉強をしたり、通訳をしたり、製図のけいこを手伝ったりした。

(『近江の兄弟』吉田悦蔵著78~80頁)

明治40(1907)年はヴォーリズさんたちにとって忍従の年となったようだ。聖書には「みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」(1ペテロ5:5~6)とある。

2010年12月1日水曜日

十九、断頭台(上)

(Vogelbeere in Salzburg by K.Aotani)
(久しく中断していた『近江の兄弟』の続きを、ほぼ半年振りに書き写す。第3回に「ヴォーリズさんの胸中には、如何にして湖畔の住民八十万に、天地に唯一の神あり、ただ一人の救い主イエス・キリストがある事を伝える事ができるであろうかという大問題が、潜んでいたのである。」と書かれてあったが、彼の思いは主イエス様によって嘉納され、滋賀商業の生徒の中に福音を受け入れる者が次々起こされた。しかしその後、ヴォーリズさんはその福音伝道のゆえに滋賀商業の英語教師の職を追われる。県から免職にされたからである。そして自ら設計し建設した青年会館に起居する。)

『真理は永久に断頭台に据えられ、
醜悪は永久に王座を占む。
されど断頭台は未来を揺り動かすなり。
未知の闇には、暗きあたりに神立ち給い、
神の者等を守り給わん』(ローウェル)

「あのように長くふりかざされていた刃は、遂におちてきた。しかし、わたしたちの事業は、収入が絶えたのみでは終わりとならない。わたしの心は壊かれない。その理由は『神を愛する者にはすべてのこと働きて益をなす』と聖書にあるではないか。『正義は正義だ。故に神は神である。正義は勝利者である。疑いは神に対する不忠である。気おくれするのは、罪ではないか』とだれかもいっている。

神は、わたしにこの問題を解決する光栄を担わせてくださったのだ。わたしは、今、驚くべき機会を目のあたりに見る。わたしが存在すること、生活することに、少しでも意義があるならば今やそれを発見するときがきた。

わたしは希望をもって出発するのだ。そして見えざる神にたよるのだ。失敗すれば、わたしは倒れてやむ。しかし、世の人はわたしが背後に傷をうけて、逃げ死したのでないことだけは疑う者があるまい。わたしがもし成功すれば、近江の国は愛の福音を聞くのだ。」

ヴォーリズさんは、こんな悲壮な文章を書いた。そして明治40年(1907)の4月から、THE OMI MUSTARD SEED 「近江の芥(からし)種」と命名した英文月刊雑誌を、手紙に代えて米国その他の友人に送ることになった。

わたしはヴォーリズさんと共同生活をすることに決めたので、まとめた行李をといて、相変わらず学生時代と同じように、淋しい青年会館に住んだ。そして4月を迎えた。

4月になると、東京で万国キリスト教学生大会があって、ヴォーリズさんとわたしとは本部より招待されて出席した。ふたりは三等席の一隅に、小さくなって上京した。途中、夜中の12時ごろから車中がこみあってきたので、相並んで座ることにした。そして一時間交代に、お互いのひざまくらを提供し、ひとりはひとりの安眠を守る約束をして、寝たり起きたりしていると、向かい座席の客が、
「いったい、この異人さんは、あなたのなににあたる人なのですか」
とおもわず大声に聞いたので、わたしは往生して一言もなかった。
神田の青年会館で開かれた万国キリスト教学生大会では、ヴォーリズさんはオルガンをひき、わたしは地下室で日本に関する書籍を売った。

大会が済んで帰ってくると、一通の手紙がふたりを待っていた。ヴォーリズさんが開封すると、中から金50円のかわせ券がでてきた。そして手紙には
「このかわせ券は、無名の友人よりヴォーリズ氏の生活費として、今後、毎月送られるものです。キリストの福音のため大いに自重してください」
とあり、手紙の差出人は、京都キリスト教青年会館の主事フェルプス氏であった。

ふたりは涙をもって神に感謝した。そして、わたしの毎月17円の学資を加えて金67円で生活することになった。そうこうしているうちに、各地の学校よりヴォーリズ氏を英語教師として招いてきた。京都の同志社はもちろん、(旧制)高等学校から滋賀商業学校以上の給料をもって迎えにきた。しかし、ヴォーリズさんはわたしとふたりで毎月67円の生活を捨てなかった。

(『近江の兄弟』吉田悦蔵著75~78頁より引用)

2010年11月30日火曜日

富める青年の話より 三谷隆正

(国会図書館前の街路)
今日は吉祥寺の帰りに久しぶりに国会図書館に寄った。お目当ては三谷のこの作品である。30数年前に読み、かつて座右の書であった。しかし今では私の書架にない。数年ぶりに読みたくなり出かけた。「問題の所在」を知らしめられた思いがする。以下抜粋引用をさせていただく。テキストはマルコの福音書の以下の記事である。

イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄って、御前にひざまずいて、尋ねた。「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかには、だれもありません。・・・・(マルコ10:17~22)

富める青年は有徳なる青年であった。しかし永遠の生命は徳操を代償として君子のみに分与せらるべきほうびではない。自力による努力が達成しうべき事業ではない。青年は自己の有徳なることにより、その自己の値によって昂然として神の御手より永遠の生命を要求しようとした。俯仰天にはじず堂々闊歩して、自己当然の所得たる永生を受け取ろうとした。その自恃自助、それが青年の心を閉じて福音の真義を見えざらしめた根本原因であった。もしこの原因にして除かれざらんか、たといその持ち物をことごとく売ってこれを貧者に施したりとも、なおそれだけをもってしてはこの青年が永生に入ることは不可能であったろう。

問題は持物を売ること、それ自身にのみあるのでない。一切自己の富をすて去ることにある。物質的のみならずその精神的富をもすてることにある。イエスかつていい給わく「幸福なるかな、心の貧しき者、天国はその人のものなり」と。心の富めるもの、有徳に誇るもの、善行に恃むもの、その人は天国に入ることをえざる人である。善き者はただ一人、神の他に善き者なしである。善くなることがわれらを救うのではない。神の愛がわれらを救うのである。善き師よとや。しかりいずくんぞ善きというや。いずくんぞ愛の主といわざるや。兄弟をさして痴者(しれもの)よというものはすでに兄弟を殺すものである。女を見て色情を起こすものはすでに姦淫を犯すものであるとイエスは言った。誰かかくのごとく峻別なる審判に耐えてしかもなお善きをうるものぞ。

誠に人の救わるるは人には能わざるところである。しかし神には能わざるなしである。ルカの言葉を借りて言えば「人にとって不可能事それが神にとっては可能なのである」およそむつかしいこととしてかくのごときはない。救わるる見込みのない者を、救うことそれよりむつかしいことはない。それは人には到底できないことである。しかしそれが神にはできることである。それが福音である。

キリストは善き師であるよりは愛の主である。しかしわれわれがこの愛の主を通して天に在ます父の愛に浴する唯一の途は、有徳であることでなくして謙遜であること、自力に恃んで努力精進することでなくして、自己の一切をすててくずほれたる心、己れに何の恃むところなきを知って卑下(へりくだ)れる心。貧しき心、悲しめる心、憂うる心である。

富める青年は心富みて意気揚々野心満々走り来たってイエスの教えを仰いだ。そうしてその同じ青年が憂い悲しみつつ悄然としてイエスの側を去った。

かくして青年の怜(さと)りは砕かれたのではあるまいか。かくして青年の自恃は粉砕されたのではあるまいか。かくして青年の心裡に自己の無力を知る明と神の前へ謙るの情とが芽生えたのではあるまいか。しかもこの青年にとってかかる謙遜の芽生えほど大切なものはなかった。イエスはこの青年を見て愛しみ給うたとある。この愛すべき青年をイエスが何とて無益に悲しめ給うぞ。憂いと悲しみとを抱いてイエスの側を去ったこの青年は、この時においてこの青年が受くることをうべかりし最良の賜物をイエスより与えられたのであった。神の深き愛はこれ以上のよいものをこの青年に与ええなかったのである。

(『信仰の論理 附 問題の所在』三谷隆正著40~41頁抜粋引用であり、著者の名文を傷つけているので申し訳ない。くわしくはマルコの福音書10:17~22とあわせて全文読む必要がある。)

2010年11月28日日曜日

互いに愛し合いなさい 

(信越線横川駅碓氷峠付近  2010.11.26 )
「わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15:12)

神は愛である。神の全人格は愛である。神はご自身のために生きるのではなく、いのちと祝福を分け与えるために生きておられる。神は愛によってみ子を生み、み子にすべてを分け与えられた。神は愛によって人を造り、人を神の祝福の分担者とせられたのである。

キリストは神の愛のみ子であって、その愛を保ち、現わし、人に伝えられる。キリストの生も死もすべて愛であった。愛はキリストのいのちであり、またキリストが与えられるいのちそのものである。キリストは愛するためにのみ生き、キリストを信じるすべての人の中に、ご自身を与えるためにのみ生きられたのだ。「まことのぶどうの木」という考え方は、まず第一に、キリストのいのちを枝に与えるためにのみ生きる愛を意味している。

聖霊は愛の御霊である。聖霊はキリストの愛を分け与えることなしに、キリストのいのちを分け与えることはできない。救いとは、愛が私たちに打ち勝ち、私たちの中に入って来ることである。私たちは自分たちが持っている愛と全く同じ量の救いを受けることができる。完全な救いは完全な愛である。

キリストが唯一の、しかもすべてを含む新しい戒めとして、「互いに愛し合う」ことを教えられたのはけっして不思議ではない。クリスチャンが互いに愛し合わないとすれば、こんな不自然なことはない。クリスチャンが天のぶどうの木から受けたいのは、愛以外の何ものでもない。ほかの何よりもキリストが望まれるのは愛である。「それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう(ヨハネ13:35)。・・・互いに愛し合いなさい」と主イエスは言っておられるのだ。

私たちがこの戒めに従っているかどうかをまず考えてみようではないか。私たちが主の愛の中にとどまる方法として、まず私たちの兄弟を愛することだ。私たちの服従の誓いをここから始めなければならない。私たち自身の家族の中での信仰の交わりを、聖なるもの、優しいもの、キリストのような愛としようではないか。私たちの周囲のクリスチャンのことは、何はさておいてもキリストの愛の精神をもって考えようではないか。私たちの生涯と行動とを愛の犠牲としようではないか。私たちの周囲の人たちの罪のために執り成しをしようではないか。周囲の人たちが何を必要としているかをよく考えて、その執り成しをしようではないか。私たちの中に住むキリストのいのちは愛であるがゆえに、私たちのいのちもすべて愛なるものとしようではないか。

しかし「あなたはこのようなことはみな当たり前のことで、さも簡単にたやすいことのように言いますが、あなたが言われるように生き、愛することはいったいほんとうにできるのでしょうか」と、読者のだれかが言うかも知れない。この質問に対して私は、「キリストがそれを命令されています。あなたは従わねばなりません。キリストはあなたが従わなければ、キリストの愛の中にとどまることはできないと言われているのです」と答えざるを得ない。「しかし私はそれをやってみましたがだめでした。私はキリストのように生きる望みはありません」と、もしあなたが言うとすれば、それはあなたがこの譬ばなしの最初のことばをよく理解していないということだ。どうか過去の失敗とか、今の弱さを反省して、ただひたすらにぶどうの木に向かって進んで行こうではないか。キリストはことごとく愛である。キリストが自らが愛されたように私たちにも愛することを教えてくださるのである。

祈り
「『互いに愛し合いなさい』とあなたは言われます。愛する主イエスよ。あなたはことごとく愛です。あなたが私にお与えになるいのちは愛です。あなたの新しい戒めは互いに愛し合うことであり、またあなたの弟子であることのしるしは互いに愛し合うことです。私はあなたのご命令を受け入れます。あなたが愛する愛をもって、そして私があなたを愛する愛をもって、私は私の兄弟姉妹を愛します。アーメン。」

(『まことのぶどうの木』安部赳夫訳108~112頁より引用)

2010年11月26日金曜日

証人の雲(下) Anonymous

(シロミノコムラサキ:オーストリア・ザルツブルク by K.Aotani)
こうして歩きまわっている間、マーセラスは、ホノリウスがほのめかしたような兄弟愛の存在をたくさん目撃した。彼は、あらゆる階級、あらゆる年令の男、女、子供に行き会った。ローマで最も重い職にあった人が、奴隷程度の階級の人々と親しそうに一緒になっていた。前には残酷な迫害者だった人々が、今では昔の彼らの迫害の対象であった人々と楽しい共同生活をしていた。

ユダヤ人の祭司が守ることの出来ない律法の、そして彼によっては「死のつとめ」(2コリント3:7であった律法のくびきから解き放されて、昔は憎んでいた異邦人と手をつないで歩いているのであった。かつては福音をばかにしていたギリシャ人は今はそれを無限の知恵の書として見直し、彼が昔イエスの信奉者に対していだいていた軽蔑は、やさしいいたわりに変わっていた。

利己、野望、傲慢、そして嫉妬、すべての人間生活におけるいやしい本能は、キリストの愛の力強さの前に逃げ出してしまったように見えた。キリストに対する信仰は彼らの心を一杯にしていた。そしてそのもたらすよい影響は他のどんな場所におけるよりもはっきりと祝福されてここに見られた。決してここの住人たちのために信仰の性質や力が変わったわけではない。彼らの上に一様に襲いかかった迫害が彼らのこの世での財産を奪い、彼らを世間的な誘惑や望みから断ち切り、キリストの愛に専念させ、同じ迫害された同志という大きな共通した同情が、彼らをお互いに親しく結びつけていたのである。

「真の神を礼拝することは」
とホノリウスは言った。

「すべての偽りの礼拝と違っています。異邦人はお寺に行かねばなりません。お寺では汚れた祭司を仲介にして何度も何度も悪魔にいけにえを捧げねばなりません。しかしそれではいつまでも罪を除くことは出来ないのです。けれども、われわれのためにキリストは彼自身を下さいました。キリストは神の前に一点の汚点もなく、一度だけ、すべての人のために、永遠に罪を除くためいけにえとなり給うたのです。キリストの信者なら誰でも、今では天国にいる祝福された大祭司キリストを通じて、神に近づくことが出来ます。というのは、信者は誰でもイエスを通じて神に対して王となり、祭司となるのですから。というわけでわたし達にとっては礼拝に関する限り、礼拝堂がわたし達に与えられているか、地上から追い払われて礼拝堂がないかは大して重要な問題ではないのです。天は神の玉座であり、宇宙は神の住み給う宮です。神の子供の一人一人はどこからでも、いつでも、天の父を礼拝し、あがめる声をあげることができます。」

(中略)
「一体どのくらい長く神の民は散らされているのでしょう? どのくらいわたし達の敵はわたし達を悩ますのでしょうか?」
「これはわたし達の多くが叫んでいることです。」
とホノリウスは言った。

「しかしながら、不平を言うことは悪いことです。主は彼の民には大変親切でした。彼らはローマ帝国ないでは幾世代もの間、法に守られ、悩みもなく暮らして来ました。実際、われわれはひどい迫害を受け、それによって幾千もの人が苦しみつつ死んで行きました。(略)今までわたし達の受けた迫害のすべてが神の民の心を清めるのと、そして彼らの信仰を高めるのに役立つばかりでした。主はわたし達に一番よいことが何であるかご存知なのです。わたし達は彼の手の中にあり、彼はわたし達が耐え得る限度以上の苦難をお与えにはなりません。真面目に、いつも注意深く、そしていつも祈りましょう。マーセラス。なぜなら、今のあらしはわたし達にはっきりと、あの長いこと世界に向かって預言されていた『悩みの時』(マタイ24:21が近づいていることを告げているからです。」

こうしてマーセラスはホノリウスと一緒に歩きまわりながら、次々と神の真理の教えや、神の民の体験について話し、そして新しく学んだ。神の民の愛、清純さ、辛抱強さ、および信仰の証拠が彼の魂の中に深く刻み込まれた。

彼が感じた経験はすぐ消えてしまわなかった。新しいものを見るたびごとに、彼の、神の民の信仰と幸福に加わりたいという希望は強まるだけであった。それで次の日曜日、彼は「キリストの死にあわせられて」(ローマ6:3、4父と子と聖霊の名によって洗礼を受けた。

日曜の朝他のクリスチャンとともに彼は主の聖餐に加わった。そこでは、彼らはあの簡単で愛情のこもった主のテーブルの記念をするのである。これを通じて、クリスチャンは主の死を示して彼の再臨の時まで及ぶのである。ホノリウスは聖餐のために感謝を捧げた。そして、始めて、マーセラスはパンとぶどう酒、彼のために十字架にかかった主の体と血との聖なる象徴をとった。

彼らは賛美を歌った後、出て行った。

(『地下墓所の殉教者』81~86頁までの抜粋引用。全部で15章あるこの物語のうち、「証人の雲」は第6章に過ぎない。この後、この皇帝の命に背いてまでキリスト者となったマーセラスはどうなるのか、また彼の軍の同僚で大親友ルーセラスとの関係はいかに。終章に向かってまだまだこの物語は進行してゆく。最後にこの章の主題聖句を掲げておく。「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。」へブル11:13。訳者森田矢次郎氏は情報学の研究者で二年前に逝去されている。)

2010年11月25日木曜日

証人の雲(中) Anonymous

(ザルツブルクの花 by K.Aotani)
こうして彼らは、両側にある刻まれた文句を読みながら歩いて行った。その光栄ある名前のカタログを読むうちにマーセラスには新しい感情が湧いて来た。その文句はキリストの教会の歴史であった。ここにはえんえんと燃える言葉で、彼の目の前に浮き彫りされている殉教者たちの行ないの記録が残されている。数多くの墓を飾る粗末な絵は、どんな巧みな芸術家の最高の作品も作り出すことの出来ない哀愁を漂わせている。また墓の多くの特徴であるあらく彫られた文字、間違いだらけのつづりや文法は、福音の宝が貧しい、低い人々へのものであることの感嘆すべき証明であった。「知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはない。貧しい人々は福音を聞かされている。」(1コリント1:26

多くの墓の上にはキリストを表わす頭文字を使った一字記号があった。XとPとが一つの記号になっているのである。あるものにはしゅろの葉の絵が書かれていた。しゅろは勝利と不死の象徴である。神の座のまわりに立つ数えきれぬ群衆の手に持たれるべきあの栄光あるしゅろのしるしである。他の模様が描いてあるものもあった。(中略)

「碑文の中には死んだ兄弟達の性質を語っているものがあります。」
とホノリウスは言った。
「これをごらんなさい。」
〝キシマス――二十三年生く。すべての人の友。〟
〝キリストにあって、十一月五日、すべての人の友、そして憎むもののなかったゴルゴニウスは眠った。〟
「ここにもあります。」
彼は続けて言った。
「これは彼らの私生活や、家庭内での経験を語っています。」

〝夫シリウスは、わが妻シシリア・プラシンダのすばらしい思い出にこれを建てる。われわれは神の子救い主イエス・キリストにあって、十年生活し、一度も互いに争わなかった。〟

〝至高の神キリストに清められたバイタリスは八月の土曜日葬られた。年、二十五歳と八ヶ月。彼女は夫と十年と三十日生活した。初めと終わりであるキリストにあって。〟

〝わたしの最も美しい、最も清い妻、ドミニナへ。彼女は十六年と四ヵ月生き、二年四ヵ月と九日わたしと結婚していた。わたしが旅行がちであったので、わたしは彼女と六ヵ月以上一緒に住んでいられなかった。わたしはその間、思いのままに彼女に愛を示した。わたし達は誰にも負けぬくらい愛し合った。五月十六日埋葬。〟

〝当然尊敬を受けるべき、愛情の深い、わたしを愛してくれたクラウヂウスへ。彼はキリストにあって約二十五年間生きた。〟

「ここには愛すべき父親の作品がありますね。」
とマーセラスは言って次のような文句を読んだ。

〝ローレンスから彼の最愛の子、一月二十日に、み使いたちに連れ去られたセベリウスへ。〟

「それからこれは妻からのですね。」
〝ドミナチウス――平和のうちに。レアがこれを建てた。〟

「そうです。」
とホノリウスは言った。
「イエス・キリストを信じることによって、(それをある人は〝宗教〟とも言うでしょう)信者は聖霊から分け与えられる新しい神の性質を受け取ります。聖霊はまた、信者に神の愛を植えつけます。神の愛は信者が友人や親族に対して、もっとこまやかな愛情を持つようにしむけます。古いアダムの性質は残りますが、発展しない、いや発展出来ないのです。」

(昨日に引き続いて『地下墓所の殉教者』第6章証人の雲の69~76頁からの抜粋引用である。地下墓所は決して人間の住むところでない。ましてや、キリスト者は迫害を恐れて、ここに身を潜めざるを得なかったのであり、その一角はこのような死者の埋葬の場所であった。しかし、この墓のひとつひとつを眺めてゆく中で、新改宗者となったローマ皇帝の忠実な部下である将校、マーセラスは洗礼を受ける決心へと導かれて行く。私もまた碑文の一つ一つ<残念ながら紙面の編成上、ここでは多くのものを省略せざるを得なかったが>を同じ思いで読むことが出来た。そして人の一生と死を思わされた。90歳のご老人が今も生かされている幸いは、キリストを信じ、天の御国に引き上げられるための貴重な時であることを思った。明日はその続きである。)

2010年11月24日水曜日

証人の雲(上) Anonymous

(南フランス・アヴィニヨン円形闘技場)
(マーセラスは有能なローマ帝国の将校であった。彼は親友と円形闘技場で「見世物」を見た。人間を虎や獅子にはむかわせ、残忍な血を見る行事だ。その最後には決まってクリスチャンが連れ出され、その猛獣たちの餌食になる。しかし、いずれのクリスチャンも平静心を携えながら悠揚と死に向かう。彼を驚かさせたのは最後に引き出された少女の一団であった。その少女たちも全く同じだった。しかも少女たちは荘厳な詠唱を残して死んでいった。彼の心に、「なぜ?」と疑問が湧く。その挙句、マーセラスに地下墓所に逃げ込むクリスチャンを捜索逮捕する役回りがまわってきた。職務に忠実な彼がそこで見たものはいかなる死の恐怖にもたじろがないクリスチャンの姿であった。彼はその中で改宗に導かれる。)

新改宗者は間もなくクリスチャンについてもっと多くを学んだ。短い休憩の後、マーセラスは、ホノリウスがこの地下墓所の様子や彼らの住んでいるという所を案内してくれるというのでついて行った。

あの礼拝洞に集まっていた人々は地下墓所の中のほんの一部でしかなかった。全体の数といえば数千にものぼっていて、小さな群れに分かれて、地下墓所の広い全域に散らばり、おのおのの群れは市と連絡するのに独自の方法をとっていた。

マーセラスはホノリウスに連れられてずんずん歩いていった。彼はずい分たくさんの人々に会うのに驚いてしまった。クリスチャンの数が多いことは知っていたが、彼はこんなに多くのクリスチャンが地下墓所に住む勇気があろうとは、想像していなかったのである。

ここで死んだらしい人々も劣らず彼の興味をひいた。彼は歩きながら、彼らの墓の上に刻まれた文章のなかにいずれも同じように強い信仰と気高い希望を読みとった。マーセラスはそれらを非常な興味で読んでいった。ホノリウスもこれらの神々しい墓標が大好きだったので、彼らはたちまち意気投合した。

「あそこに」
とホノリウスは言った。
「真理のための証し人が眠っています。」
マーセラスが指さされた所を見ると、こんな文章が書かれてあった。
〝プリミチウス――幾多の苦悩を終えて平和に眠る。最も勇敢な殉教者。年三十八。彼の妻は彼女の最愛の夫のために彼の当然受くべきこの墓標を立てる。〟
「これらの人々はわれわれにクリスチャンがどのように死ぬべきかを教えてくれます。」
とホノリウスは言った。

「あちらにはプリミチウスと同じようにして死んだ人がいます。」
〝ボウルスは永遠の幸福に生きるために拷問に甘んじて死んだ。〟

「そして、あそこには、キリストが必要な時にはいつでも、彼の最も弱い弟子にさえお与え下さる勇気を示した立派な婦人の墓があります。」
〝クレメンチャ――拷問されて死ぬ。彼女は眠っているがよみがえるであろう。〟
「もし、主がわたし達を」
とホノリウスは言った。
「肉体の死をすますようにお呼びになると、魂はすぐ『肉体を離れて、主のみもとにいる』(2コリント5:8ようになります。今すぐ果たされるかも知れない主の再臨のお約束は、教えられたクリスチャンにとっては『祝福された望み』(テトス2:13です。『主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。』(1テサロニケ4:16

「ここには」
とホノリウスは続けた。
「コンスタンスが眠っています。彼は二重に試みられたけれど、二度とも神に対して変わらなかった。毒薬が始めに彼に与えられたのです。けれど効き目がなかったので、剣で殺されました。」
〝死の水薬は彼に栄えの冠を捧げ得なかったが、鋼鉄はそれを捧げた。〟

(『地下墓所の殉教者』<古代ローマの物語>66~69頁引用。この書の原名は“The Martyr of the Catacombs; A Tale of Ancient Rome”であり、やく百年前に作者匿名の物語としてイギリスで出版された。しかし現在確認されている限りではこの版の本は世界に一冊しかない。1876年1月にあった猛暴風雨で難破したアメリカの帆船からこの本が見つかった。この本が戦後間もなくアメリカで出版された。それを東京工業大学の森田矢次郎氏が翻訳された。以上は「まえがき」による。)

2010年11月22日月曜日

晩秋の昼下がり

福音の 真清水飲みて 訪れし 媼(おうな)と語り 菊愛でる幸
日曜日、近江八幡に友人の母上を家内と一緒にお訪ねした。外からお電話したが、つながらなかったので、ご在宅かどうかわからなかったが、念のため出かけた。玄関は閉じてあったが、折角お寄りしたので、呼び鈴を二度三度押した。やや間があって、やっと内側から声があった。「どなた様ですか」と。私は、ご子息の友人だと名乗り、やっと戸をあけていただいた。「裏の畑に行ってましてね、まあー、何もお構いできませんけど」と言いながら奥から座布団を出して来てくださった。齢90歳と言われたが、動作はきびきびとしておられ、とてもそんな風には見えない。

土間には丹精込めた菊の鉢植えがあった。一番裏に倉があり、明治期と昭和期にそれぞれ建てられた昔のたたずまいを残す家が奥から表へと続いている。私たちを招き入れてくださったのは表の店の間だったが、箱庭からも土間からも光が差しこんで程好い明るさだった。お舅さんが京風の和室をと願い、造られたということであった。毎日拭き掃除をよくなさっておられるのだろう。小ざっぱりとした畳や柱の一つ一つに見とれながらお母様の話をお聞きした。人一人で生きておられる気高さが伝わってき、若い私たちのだらしない生き方があぶりだされるようで恥ずかしくなった。

小半時ほどのお交わりであったが、お暇する時、私たちを見送りに、わざわざ近くのバス停留場にまで、出てくださった。そして、バスに乗りこんでも、なお丁寧に手を振って別れを惜しんでくださった。この日は外は小春日和で、史跡を巡る観光客が行き交い賑わっていたが、私たちは私たちで観光とはまた違った心の中にかすかな望みを与えられ帰ってきた。


私たちの齢は七十年。
健やかであっても八十年。
しかも、その誇りとするところは
労苦とわざわいです。
それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。
だれが御怒りの力を知っているでしょう。
だれがあなたの激しい怒りを知っているでしょう。
その恐れにふさわしく。
それゆえ、私たちに
自分の日を正しく数えることを教えてください。
そうして私たちに
知恵の心を得させてください。
(旧約聖書 詩篇90篇 神の人モーセの祈り 10~12)


モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。(申命記34:7)

2010年11月21日日曜日

聖き御霊よ きよき神よ D.H.Dolman

神の聖霊を悲しませてはいけません。(エペソ4:30)

ゴードンのある著書に、キリスト教共励会のメンバーであったひとりの少女のことが書いてあります。

この少女は思いがけず急に死んでしまったのですが、彼女の葬式の時、ゴードンはキリスト教共励会の指導者に会いました。

「メリーは救われていましたか。」

こうゴードンは尋ねました。するとその指導者は答えました。「どうもはっきりと申し上げられないのです。この前の集会のとき、彼女は最後まで会堂に残っていました。その時私は、『あなたは救われていますか』と彼女にじかに聞いてみなさいと耳もとでささやく声を聞いたのです。ところが私たちの会話は別の方面に移っていってしまったので、とうとう彼女に聞いてみることができなくなってしまいました。」

それから日曜学校の教室の入口でゴードンは牧師に出会いました。

「メリーは救われていましたか。」

ところが牧師の答えはこうでした。「それが、私も気にかかっているのです。彼女は私の気に入っていた姉妹のひとりで、なかなかの勉強家でした。またとても活動的でりこう者でした。この前の日曜日には説教のあとで私のところへやって来て、トラクト(注:福音文書のこと)を配りたいと言って少しばかり持って行きました。その時、私の書斎には、ほかにだれもいなくて彼女とふたりだけでした。私は何か彼女の魂の問題について話さなければいけないように感じました。ところがその時、私のところへお客が来たので、もう二度と再び彼女と話す機会がないということになってしまったのです。」

葬式のあとでゴードンは、悲しみにうちひしがれている母親と少しの間話し合いました。その時もゴードンは同じように聞きました。

「メリーはキリストのものとなっていたでしょうか。」

「もしそれがはっきりとわかっていさえしたらと思うのですが。あの子のなくなる一日前に私の心の中に『メリーとお話ししなさい』という細い声が聞こえました。しかし、私はあの子を興奮させてはいけないと思ったのです。私は最後の時がこんなに早くやって来ようとは夢にも思いませんでした。ああ、私があの時確かめておきさえすればよかったのですが。」

ゴードンはこの話のあとにこう付け加えています。

「メリーが救われていないのではないかと疑う理由は私にはありません。彼女がいま天国で救い主とともにいて、いつの日か彼女に再び会えたらと私は望んでいます。」

私の心を打ったのは、聖霊が三人の神の子たちをお用いになりたいと望んでおられたということです。御霊は彼らのくちびるをお用いになりたいと思っておられました。ところが、だれもこの御声に従わなかったのです。

御霊に満たされることと、力を受けることとは、神の子すべてのために備えられているものなのです。ただ単に、主に奉仕するときにこの恵みが必要なばかりではなく、自分自身の霊的な成長のためにも必要なのです。この恵みは、すべての人のためのものです。もしあなたがこの賜物を受けていないとしたら、もうこれ以上、主に対して、あなた自身に対して、またあなたの周囲の人々に対して、聖霊に満たされていないという罪を犯さないでください。

聖き御霊よ 御力もて
罪のこの心 きよめたまえ
わが魂は 長き間
罪の支配の とりこなりき
聖き御霊よ きよき神よ
わがこの心に住みたまえ
まがし思いの くらいをやぶり
ただなれのみぞ われを治めよ

(『もうひとりの助け主』D.H.ドーマン著羽鳥純二訳97~100頁より抜粋引用)

2010年11月20日土曜日

エジンバラの老婦人の手紙

(Church of the Ascension Veliky Ustyug, Province of Vologda, Russia)
of was such a great surprise to have got your letter and a present ! It was the first time in my life that I have been got something from Japan ! I am so touched that you remember me ! I will never forget you and will always pray for you and your wife with Love in my heart !

Thank you very much for the book. It must be very serious and very important for me to read it and know another proof, of the great Savior of Mankind ! May God Bless you and your wife with His Love and Light ! I will pray for you !

G.S. I keep my ....in your present that you gave me at the Edinburgh airport ! How many of my friends and family know that I have good friends in Japan !

冒頭の手紙は昨日いただいたものだ。以前、このブログでご紹介したことのあるロシア人で今エジンバラにお住まいの方からのものだ。彼女とはフランクフルトからエジンバラまでの飛行機に乗り合わせ、空港でお別れした方であった。「是非電話をしてね」と言われたのだが、電話もしないで、もちろんお会いもしないで、そのまま旅行を続け、10日ほど経ってから日本に帰ってきた。帰国早々お手紙と本をお送りした。そのお礼の返事である。手書きのもので一部不明のところがあったが、訳すと大要以下の文面であろう。

あなたから手紙や贈り物をいただくなんてこんなに驚いたことはありません。私の人生にとって日本から物をいただくなんて全く初めてです。あなたが私のことを忘れないでいてくれたなんて感激です。私もあなたのことは忘れません。あなたとあなたの奥さんのために心から愛をこめてお祈りします。

本当に本を送っていただいてありがとう。私にとってこの本を読み、偉大な人類の救い主についてまた新たな証明を知ることができるのは大変大切で重要なことにちがいありません。あなたとあなたの奥さんの上に神様の愛と光が注がれますように。私もあなたがたのことを祈っています。

追伸 私はあなたの贈り物の内に、あなたがエジンバラ空港で私に見せた○○をいつまでも覚えています。私が日本に素晴らしい友達を持てたことをどんなに多くの私の友人や家族が知っていることでしょうか。

お送りした本はBearing Fruit for Christ(A Girl Named Linde is Pruned from the Vine)『実を結ぶ命』の英語版である。その前書きには

"If anyone dose not love the Lord-a curse be on him. Come, O Lord ! "(1 Corinthians 16:22)
主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ、来てください。(1コリント16:22)

というみことばが掲げてある。この方が大切で重要な本だと知り、愛に大文字を当てておられるのも恐らく、そのことを意識しておられるのではないか。お会いしたときは私たちの英語力もあり、取り立てて信仰の話もしなかったが、このようなお返事をいただいたことを大変喜んでいる。

2010年11月19日金曜日

クリスチャンの歴史観 ハルヴァーソン

(今朝の古利根川)
歴史それ自体の中に何かの意味を見いだそうとすると、何が何だかわからなくなる。歴史の一こま一こまの背後にある、神の王国とサタンの王国の対立抗争を知った時、初めて世界状勢を正しく理解することができる。(実際人間は、自分自身さえも理解していないのだ。)義と不義との戦いという光を通して見ないと、歴史は単なる騒々しい狂人のねごとのようなものになってしまう。

世界状勢の中にある緊張の背後に、また戦争と圧制の底に、世界をわがものにしようという陰険なサタンの作戦計画があるのだ。現にある戦争、個人間の争い、家庭のいざこざ、労使間の紛争、国の内部の争い、国と国との戦いなどは、みなこの霊的戦いが表面に出たものだ。目に見えない一大決戦の外部的現われである。この戦いにあってはキリストの決定的勝利が確実なのである。

このように、歴史の外にある計画を知った時、初めて歴史の意味がわかるし、文明の意味がわかるし、人間生活の意味がわかる。

一千キロの線を想像してみよう。十万キロにしてもよい。無限を表わすためだからどちらにしてもたいした違いはない。この線が永遠を表わすものとする。その線の上に十センチの長さのしるしをつける。この十センチが歴史の初めから終わりまでの時間を表わす。さらに、その十センチの中に針でチョンと突いたような一点を想像しよう。これが歴史の中の現代の文明だ。その小さな点だけでその意味を知ろうとしたらどうなるか。これでわかるように、永遠の光を通してのみ、歴史は意味を生じるのである。

神の計画を表わす第二の線を考えてみよう。それは一千キロの線の始まりから終わりまで伸びている。その線十センチの歴史を突き抜け、小さな小さな点にすぎない現代文明を通って進んでいる。神の計画が十センチの歴史に意味を与え、一点にすぎない現代文明に意味を与えているのだ。

神は歴史の中に働いておられる。神は歴史を超越しておられるが、歴史を通して目的を実現される。神の永遠の目的からして、歴史は意味を持つようになるのである。事実旧約聖書以前には進歩の観念は存在しなかった。進歩の概念は聖書から得たものである。「歴史は神の歴史(The history is His(God's) story.」と言われるとおりである。

みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです(エペソ1:9~10)

ローマ人への手紙8:18~25を読んでいただきたい。歴史の概観をこれほど簡潔に教えたものはほかにない。その中でパウロは、滅びの束縛から解放され、今日私たちの感じているむなしさから、またすべての不安焦燥から自由にされると述べている。おしなべて人間というものは、ちょうど産みの苦しみにある婦人のように不安を持っている。そしてその産みの苦しみは、刻一刻激しさを増している。パウロによれば、これは予期されたことに過ぎない。しかし私たちには希望がある。この希望は、イエスの再臨によって成就される。その時こそ被造物全体が待ち望んでいるものが、キリストにあってもたらされるのである。

(『聖書と人生』リチャード・C・ハルヴァーソン著35~37頁から引用。著者ハルヴァーソンはアメリカ上院付きのチャプレンで合衆国誕生以来から数えると実に第60代目のチャプレンであった。すでに1995年に召された故人であるが、その3代前には、戦後、アメリカでベストセラーになった『ピーターという男』の主人公ピーター・マーシャルがやはりそのチャプレンであった。ピーターは貧しいスコットランド出身の人であった。アメリカンドリームの一つとして読まれたように思う。日本でも村岡花子がいち早く訳して流布したが、今は絶版で手に入らない。現在のチャプレンはセブンスデー・アドペンティスト出身の方のようだが、歴代のチャプレンがこのような歴史観を共有しているとすれば、これはこれでアメリカ合衆国の国際政治の動向を知る上で看過してはならないことではなかろうか。クリスチャンの歴史観を探るには岩波文庫版でアウグスティニスの『神の国』全5巻がある。このハルヴァーソンの短い小文はその本の良き手引きのような気がしてならない。)

2010年11月18日木曜日

「交わり」の醍醐味

(滋賀大学経済学部陵水会館:ヴォーリズ設計1938年)
アダムは、さらに、その妻を知った。彼女は男の子を産み、その子をセツと名づけて言った。「カインがアベルを殺したので、彼の代わりに、神は私にもうひとりの子を授けられたから。」(創世記4:25)

旧約聖書をはじめて読んだとき、何度も出て来る、この単純な「知った」ということばに震撼させられる思いを抱いた。人が人を知ることはむつかしい。人が互いを理解することはむつかしい。しかし、もし人がともに主イエスを見上げることができれば、私たちはよりふさわしい一致が与えられることを体験的に知るようになった。

ワーキングキャンプで体験したもう一つ二つの出会いについて記しておきたい。土曜日の午後、4人の方の納骨記念会があったことは以前記したとおりである。それぞれの遺族の方の証はほとんどの方が召された方が今は天国におられ、私たちもいずれは再会できるから感謝だという証であった。しかし最後に証された方は信仰をお持ちでない方のようだった。40数年前に亡くなった父君の納骨であった。父は無神論者で散骨を望んでいたが、こうして妻に勧められるまま遺骨を携え来た。天国へ行っているという他の方々に混じって、父のような異端児も加えられても、いいのじゃないでしょうか、というご挨拶であった。型破りと言えば型破りだが、ご本人の偽らざる正直な感想だと思いながらお聞きしていた。

しかし、そう言われて黙っておれなかったのだろう。お嫁さんに当たる奥様が思わず登壇された感じであった。私はしゃしゃり出るつもりは毛頭ないのですが、主人が申し上げましたように義父は無神論者であったのかも知れません。しかし、医者として多くの人に仕え、へりくだっていた人のように聞いています。心の打ち砕かれた人を主イエス様は受け入れてくださっていますので義父は間違いなく天国に行っていると思います、とつけくわえられた。

その時、私はひとりの方と隣り合わせになり、後方座席に場所を占めていた。その方は私よりも10歳程度上の男性であった。奥様はまだ信仰を持っておられない。だからいつも一人でこのようなキャンプに参加される。奥様も同じようにイエス様を受け入れて欲しいと願っておられる。自然で自由でフランクなこの納骨記念会に出てお互いに心が洗われた思いに浸りながら、会は解散したにもかかわらず私たち二人は、そのままそこに座って、さらにおよそ一時間程度お互いに交わった。

実は、金曜日に私が話し終え、その内容のまずさに自己を責めている時、この方がもう一人の方と一緒に来られて、「兄弟、今日のメッセージで今まで疑問としていたことが氷解されました」と喜んで来てくださったのだ。私はその時余りふさわしくない言葉だか、「捨てる神あれば、拾う神もあるのだ」と思った。でもその方が言われる意味が今ひとつぴんと来ていなかった。

早速、その席で互いに語らず問わずともその話の続きになった。私の拙い聖書のメッセージがどのようにその方に益になったか、くわしくお聞きすることができた。その方は持参なさった大きな聖書にボールペンで私がお示しする聖書箇所を少年のように線を引いたり書き込まれたりする。その方は様々なことが前よりはわかったとおっしゃる。ところが私もその方と五十歩百歩であることがよくわかる。その方は言われた。「兄弟、私は今までこの『交わり』ということが苦手であり、そんなに重要だとは思わなかった、しかし、このごろキャンプでこうして交わることが嬉しくなって来たのですよ。交わらないと損ですね」全く同感だった。『交わり』を通してどんぐりの背比べのような互いが、聖書を通してより深くイエス様を知ることができると思い至ったからである。

そしてこの方と知り合いになったのはまだ一ヶ月足らずであるが、前よりはその方を知り愛するように変えられていることを体験した。おそらくその方も同じ思いだっただろう。一方、私は今回のキャンプにやはり一月ほど前から主を求めて出て来られた一人の方をキャンプにお誘いしており、その方も参加されていた。この方とは私はすでに十分交わっている。だからキャンプでは他の方々に極力交わっていただきたいと思っていた。わずか一日であったがその方も必要な方と次々交わりが与えられ、問題の渦中にあるその方が帰る頃には明らかに顔が明るくなっているのを遠くから拝見できた。

そして日曜日のキャンプ解散直前の昼食の席で、また新たな一人の方のご紹介を受けた。43歳の男性だった。明るく素直な方で出席する教会に今、牧師さんがいないのでネットで家庭集会のことを知り、出席し、さらに勧められるまま初めてこのキャンプに参加したということであった。7人テーブルに加えられたその方と一緒に私たちは和気藹々と食事をしながら話に興じた。見ること聞くことすべて初体験であるその方にとってもさぞ驚きであったことと思う。

振り返り、「みことば」と「交わり」と「祈り」があるキャンプを通して、私たちは互いが互いを相知り、さらに成長するのだと思い知らされた。批判的な人々はこのような集まりを指して「ベック教」だとおっしゃる。今回、ベックさんは東京に入院中であった。そのような方は恐らく集会の主が生けるまことの神様であることをご存じないし、まだ主イエス様のみわざである「救い」を体験しておられないのだろう。

私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。(1ヨハネ1:3)

2010年11月17日水曜日

もうひとりの助け主

(早稲田奉仕園スコットホール:ヴォーリズ設計1921年)
聖書には4人の人の手になる、イエス・キリストの言行録を記した福音書がある。その中でイエス様の愛弟子ヨハネが書いた福音書の末尾に次のような印象的なことばが記されている。

イエスが行なわれたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。(ヨハネ21:25)

先週の金曜日から日曜日のことを記そうとして、まだ日曜日にお会いした新しい人との出会いを記していないのに、月曜日には都内の某所で主の導きとしか考えられないお二人の兄と弟の方に初めてお出会いし、そのことを先に書かざるを得ないからである。主イエスを信ずる者にとって一つとして無駄なことは起こらない、それを次々書いていても決して追いつかないと思わされたからである。

あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。(箴言3:6)

この兄弟であるお二人はまだ30代であろうか、今時の青年とは思われない精悍さと聖さを併せ持つ好青年のように私には思われた。お二人のお母様と私は同じ教会にほぼ40年前に集っていた。そしてその方が結婚し、牧師夫人となられるため千葉に行かれ、それ以後はお会いできなくなり、風の便りに消息をお聞きする程度であった。ところが、その方が昨年亡くなられたということを何ヶ月か前、これも偶然市内の道端で何年ぶりかでお会いしたその方の実兄からお聞きしてびっくりしたことがあった。

その遺児の方とお出会いしたのだ。互いに会うことを約束したわけでない、偶然お会いしたのだ。もちろん伏線はあった。家内が何ヶ月か前、都内の某古本店で信仰書を探していた時、はるばる軽井沢から出てきたという真面目そうな青年が同じように信仰書を探しているのに出会い、書店での立ち話をする(互いに情報を交換する)内に、その青年が自分がかつて親しくさせていただいた知人の息子さんだと知り驚かされた経緯があった。

月曜日に出かけた某所には私だけでなく家内も一緒であった。その家内が以前一度会っているそのお兄さんを数人の方の中から見つけた。事の次第を知らされた私はお二人と初めて会ったのだが、それと知り、弟さんの顔立ちを見て懐かしさがこみ上げてきたのであった。それもそのはず40年前一緒に教会で会計の奉仕をしたその方のお母さんの面影がそっくりそこにあったからである。お兄さんにももちろん私は初めて出会った。ところが、そのお兄さんには今度はお父さんの顔立ちがはっきりと刻印されていたのだ。

実は、私はその方のお母さんとだけでなく、その方のお父さんとも面識があり、京都の同じ牧師さんから洗礼を受け、お世話になっていた間柄であった。その方はもうすでに神学生になっておられたか、なっておられなかったのか、今となっては記憶が定かでないのだが、その牧師さんから紹介されたりして、その方が牧師になられてからも何度かお会いしていたので、その謦咳には触れていたからである。

嬉しくなり、その方々と同行の方に記念のために写真を撮っていただいた。そしてその日に、早速メールでお兄さんにお送りした。そして昨日そのお礼のメールが来た。メールの中にはそれぞれ兄弟姉妹4人の近況が記されていた。そのいずれの方もご両親の信仰を受け継いで主イエス様を証しておられることを知ることができた。最後に「昨年の11月16日に母は召されました」と書き添えてあった。するとお会いした15日はほぼ一年前だったことになる。

お父さんはそれよりも何年か前に召されておられる。しかし、こうして遺児の方がそれぞれはっきり主イエス様に従っておられる姿を私は深く知り、涙せざるを得なかった。こんなことを言って失礼かも知れないが、田舎の牧師さんの家庭として決して経済的に豊かでなかったのではないか。またある意味で一般の人に理解されない苦しみもあったのではないか。そのような環境の中で、ご子息がそれぞれ主の証人になっておられるからである。ここには恐らくお父さん、お母さん、また主にある兄弟姉妹の方々の「祈り」が背後にあったことと推測する。

子どもを育てることが今日ほど困難な時代はない。しかし、たとえどんなに私たちが不完全でだめな親であっても、主を信頼する「祈り」によって子どもを育てることができるのではないだろうか。私たちは人間のそのような「祈り」の根底に何物にも代えがたい主なる神様のとりなしがあることを忘れてはならないのではなかろうか。「聖霊」なる神様について的確に記した良書である『もうひとりの助け主』(D.H.ドーマン著羽鳥純二訳17頁)には次のように記してある箇所がある。

愛する兄弟がた、ここに最も敬虔な母親よりも聖いおかた、この世の最も聖いおかた、最良の父親さえも比べものにならないほど罪と汚れとを憎んでおられるおかたがおられるのです。最も優しい母の愛でも比べることさえできないほどの愛を持って、あなたを愛してくださるおかたがおられるのです。それこそ御霊の愛です。

「友よ、神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたのあがないの日に備えるためにその聖霊によって、証印をおされたのです」(エペソ4:30、ウェイマス訳)

(「刈り入れを 望み福音 の種蒔け」「生まれしは 聖霊のわざ 遺児に見る」)

2010年11月16日火曜日

食卓の交わり

(食卓の華 原題は「ケーキ大集合」 by Y.Oku)
昨日に続いて土曜日に出会った人のことを少し書きたい。その方は私より、何歳か年上の方で、かつてキャンプでお見受けしたような記憶もあるが、ほとんど未知の方であった。たまたまその土曜日はワーキングキャンプと称して、いつもは持たれる福音集会がやめになり、朝から多くの方と一緒に書籍をセンター内に運ぶ作業に従事した。集会発行の本を今まで別の倉庫に保管していたが、保管料も馬鹿にならない。何よりも折角の書籍が死蔵化してしまっている。それを改善するための作業であった。皆で協力して老いも若きも男も女も掛け声かけて楽しく作業をした。私はその時その方と一緒に作業する機会がたくさんあった。そのうちお互いに打ち解けて名乗りあうようになった。お聞きすると私の良く知っているお嬢さんのお父さんであることが判明した。

どんな場合もそうだが、ともに汗を流すというのは体を通して互いが自然と一体化することになるのであろうか。その方は私より一回りも大きい方で体格の立派な方であったが、私が作業を通して今までにない親しみを感じたのは言うまでもない。午後は召された4人の方の納骨記念会が行なわれ、その中では聖書からのメッセージがあり、ピアノ演奏も披露され(バッハ作曲のパルティータ)遺族の方がそれぞれ率直に証された祝福の一時であった。

午前の体を動かす作業、午後は聖書のみことばに耳を傾ける集会。霊肉満たされた時を終え、再び昨晩と同じ夕食の時がやってきた。私は迷わず昼間一緒に行動する方のお隣に座らせてもらった。食卓に食事が用意されるのを待つ間、しばしその方との座談を楽しんだ。その方にリタイア以前のお仕事をお聞きすることもできた。お聞きして、とある企業であることを知った。そして確か高校の同級生がその企業に勤めていたのを思い出した。その彼とは高校時代は一度も一緒のクラスにならず、面識もなかったが東京の同窓会で一二度会ったことのある間柄であった。ところが名前がトンと思い出せないのだ。その友人のことを聞こうとするのだが名前がわからないのでは話にならない。それでも何となく私と同じ姓じゃないかと思い、申し上げたがもちろん私の姓はどこにでもある平凡な苗字で、その方も、名前がわからないとさすがにわからないと言われる。

ところが、その方と話しているうちに入社年がそんなに変わらないことを知るようになり、私も真剣に何とか思い出そうとした。手元にある携帯電話で別の友人に聞くことにした。ところが生憎不在である。万事休する思いだった。しかし思い切って誰かその苗字でほぼ同期の方は知りませんか、と申し上げた。その方は人事の担当もされたことがあったようで、そこまで言われればと人事担当の沽券に関わるとばかり思い出してくださった。そのうち○○○○○○さんならいましたよ、と言われた。何とそれこそ私の姓名だった。その瞬間、私も確信し、「そう、その○○○○○○ですよ」、と思わず言っていた。その方はびっくりされたに違いない。それにはわけがある。

実は今から50数年前のことだ。高校入学の呼名の時のことだ。念願の高校に入ったのだから嬉しかった。私の在籍クラスは1年6組であった。呼名があったら、「ハイ」と大きく答えようと私は待ち構えていた。ところが6組の呼名がなされる前に、すでに3組あたりで、私の名前が呼ばれたのだ。これには慌てさせられた。そそっかしい私だから、てっきり並ぶ列を間違えたと思った。ところが、まさしく6組でも私の名前が呼ばれたのだ。ほっとしたが、もう一人同姓同名の人がいるとその時初めて知った。でもそれ以来その人とは一緒になることもなく、そんなことも忘れてしまっていた。卒業して何年か後に同窓会名簿を見るといやでも私たちは前後に並んで表示される。そういうわけで私がその同級生の職場を知っていたというわけだ。

こうなるとお互いの話は一気に盛り上がる。同君がどういう人であるか、その人自身が私よりも良く知っておられる。そして名前は正真正銘の「私」である。目の前にいる同姓同名の人と一緒にいるのはその人にとって奇妙な感じがしたと思うが、はるばる出かけてきたこの「喜びの集い」での私たちの奇遇は、二人してし主なる神様の粋な配剤と感嘆せざるを得なかった。まだその方はイエス様を信じておられない。しかしこの交わりの背後には主のご計画があるにちがいない。昨晩に続く恵みである。喜びの集い二日目のこの後の夜の集会は尊敬する兄弟が今度は話をされた。このときもまた一際祝福された集いであったことは言うまでもない。

だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。(旧約聖書 イザヤ43:1)

2010年11月15日月曜日

タクシーの運転手さん

(登山電車の車窓から by k.Aotani)
先週の金曜日、御代田駅に降り立ったのは、5時過ぎであった。もうすっかり暗くなっていて、あたりは閑散としていた。駅前には降りる乗客も少なく、暮色の迫る街中はさびれた感じがし、これから向かう西軽井沢国際福音センターまでが思いやられた。しかし、駅前には三、四台のタクシーが人恋しそうにいつまでも現われない乗客を待ち焦がれているようだった。私と妻は荷物もあり、徒歩で行くには無理でタクシーでセンター近くまで乗り込むことにした。

運転手さんは私よりは年配の方のようだった(後からしかわからずお顔はよくわからなかったが)。親切に荷物を後部トランクにと、てきぱきと軽々しく運んでくださる。行き先地は「ハイラーク」と言ったはずだのに、「スカイラーク」ですかと問い返された。いやそうじゃない、「ハイラーク」ですと繰り返したら、やや間をおいて納得されたようだ。少し耳が遠いようだった。その後、乗せていただいた手前、お互いに様々な世間話をする。

まずはお天気だ。「どうですか、寒いですか」「日中はそうでもないが夜は寒いですよ、気をつけたほうが良いですよ」などと親切におっしゃる。窓外に、メルシャンの美術館を見ながら、昼間なら浅間山が見えるんだがな、と思いながら、ゆったりと後部座席に身を沈める。そのうちに「西軽井沢国際福音センター」が話題になり、運転手さんが時々お客さんを運んで行かれることが徐々にわかってくる。そして「御代田には教会がたくさんあるんですよ」とまで言われた。今までそういうことは考えもしなかったので意外感を覚えさせられた。

その内に、この方がセンターに出席される方々からキリスト集会発行の本を乗車のたびにいただいておられることがわかってきた。運転席の隠しポケットのようなところに『医者に直せない病気』(重田定義著)まであり、それを指しながら、これもいただいたのだと嬉しそうに話される。さらに私も親しい「ハイラーク」のFさんの名前が飛び出し、その方から誘われて、今夜6時に行く約束をしているんです、と言われた。わずか10数分の乗車時間であったろうか、すっかり暗くなった浅間山麓の「ハイラーク」に降り立ったが、その車内の会話でなぜか心が暖かくなっていた。じゃあ6時にまたお会いしましょう(お会いできますね)、とお別れした。

その後、とっくに6時を過ぎていたであろうか、私たちも近くの西軽井沢センターへ今度は住人のYさんの車に乗せていただいて出かけた。センターにはあの駅前のさびしさと違い100名余りの方々になろうか、皆さんすでに食事の席についておられた。遅ればせながら、空いている席を見つけて若い娘さんたちの仲間に加えてもらった。肉じゃがのおいしい食事に舌鼓筒しつつ聞くともなく、若い方々の会話の中にいれていただいていたが、何気なく顔を上げた時、遠くの食堂入り口に一人の方が立って少しきょろきょろしておられる様が見えた。先ほどの運転手さんに間違いがなかった。少しおめかししておられるようだった。私は思わず嬉しくなって手招きよろしく駆け寄って行き、早速、席に案内した。

初めてセンター内に足を踏み入れ、しかも食事をいただくなんてと、その方はやや緊張の面持ちで「会費はいくらですか」と問われる。もともとそんなものはキリスト集会では決めていない。そういうパブリックなものでなく、各人が決められた安い食費を自己申告で払うシステムを取っているのでご遠慮なさらないで、といつの間にか席に加わってくださったKさんとともに勧める。その方も自然にお箸に手を伸ばされた。いつの間にか、娘さんたちは席を立たれ、私たち60代、70代の男だけがその一角に集い、自然な交わりが与えられた。ほどならずして招待しておられたFさんご夫妻も現われる、交わりは盛り上がる。

ところが私とは先ほどまでは(一時間前)全く見ず知らずの赤の他人であったのに、今や一宿一飯の間柄になったような思いがするから不思議というものだ。そしてすっかり話し込んだ。その方が言われるのに、御代田には教会がここ以外にもあるが、この教会の人々だけが本をくれた、私は今までいろんな宗教を見てきたが、キリストだけがほんものだとなぜか学校時代の教科書を通して考えていたんですよ、と。その他、ご自身が今のタクシーの運転手をされるまでの羽振りの良かった二十数年前の話から、バブル崩壊の犠牲の中ですってんてんになり、トラックの運転手もなさり今はタクシーの運転手だと話してくださった。

私以外にもあらかじめこの方が来られるようにと祈ってこられた男性方も交わりに加わってくださり、それぞれご自分がどうしてイエス・キリストの救いをいただいたか話してくださった。その方は皆さんの話を真剣に聞かれて、その後、私に「私は家族を信ずることは駄目だと思っているんです。それよりもイエス・キリストを信ずるのがベストだと思って、少しでもイエス・キリストを知りたいと思ってきたのです」とおっしゃった。そして「そうかと言って、私の家庭が特別仲が悪いということはないんですよ、むしろ妻はやさしいくらいですよ」と言われた。この方がいかに真剣に主イエス様を求めておられるかがわかってきて、本当に嬉しくなった。

夕食の後、7時半からの集会にも喜んで出られた。なぜか、その日の集会は私が話す番であった。私はもともと話すのが下手でくどくどと話すばかりであった。それもいつもより時間を喰うばかりであった。話し終えるや、私はそのころは200名前後にふくれあがっていた聴衆の方々にも申し訳ない思いで一杯でしばし座席で沈んでいた。その内、やおら立ち上がって最前列にいらっしゃったその運転手さんのところに立ち寄り握手をした。それだけで十分だった。この方はもはや私には兄弟に思えたからである。この方が私の話から何を知られたのかはわからない。しかし主イエス様は全てをご存知である。この日の私の引用した聖句を最後に書きしるしておく。

そこで、イエスは口を開き、彼ら(弟子たち)に教えて、言われた。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」(マタイ5:2~3)

2010年11月14日日曜日

約束のことば クララ

(「紅葉に すすきの白さ 浮き立ちて」 御代田にて)
仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。――万軍の主の御告げ。――あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊があなたがたの間に働いている。恐れるな。(旧約聖書 ハガイ2:4~5)

主イエスは復活の後、今後地のはてを目標に福音宣伝の使命をになう弟子たちに不朽の遺産として「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」との確かなお約束を与え給いました。

神が人とともにすみ、人が神とともにすむということは、人類の歴史を一貫した金線であり、また歴史の完成を意味する事実です。神が人に呼びかけて重大な使命を負わせられる時には、必ずご自身を提供し、わたしがあなたとともにいる、これがそのしるしであると仰せ給いました。

数千年の昔モーセによってイスラエルの民をエジプトから救い出し、約束のカナンに導き給うた時与えられた、わたしはあなたがたとともにいる、とのお約束のお言葉を後の代々に至るまでも神は忘れ給いません。同様にわたしどもが罪のエジプトから救い出されてキリストの支配下にうつされた今日、神ともにいますという真の事実は不変です。

われわれ親子の愛情がどんなに強くてもつねにともにいるということは不可能です。時には突発した事件が人と人とを引き離します。時と距離とは物の世界を支配する一つの法則です。しかし神は信じる者にお約束のとおりつねにともにいますゆえ、時機にかなう助けを与えうるお方であられ、まことにいと近き助けなのです。活社会の中に人と人との磨きあいに摩滅しそうな弱い魂の要するのはこの助けです。

よしや一国の首脳が世界破滅のボタンを押したとしても、さらに強い神の聖旨は信じる者への責任を放棄されることはありません。「わたしはともにいる」とのお約束にまことの平安と助けを発見できるのです。しかも神は尋ねまわらなければ見出せないような遠方にいますのではなく、叫んでも声の届かない高所に座し給うお方でもありません。信仰が目ざめたらそこに見出すのです。

ヤコブも夢さめたそこに神を見、エリヤはイゼベルのおどし言葉に恐れ、荒野の穴にかくれて眠りからさめた時そこに神の備えられたパンと水を見出し、ペテロが獄に目さめたら天使がまっていました。「ともにいる」とのお約束は今日でも決して変わりはありません。これを信ずるか否かです。信仰とは神の招きに対し自分が心の底から「主よわたしは信じます」と応答する時生ずるいきた心の働きです。

ご自分をかくしておられる神(イザヤ45:15)、かくれたところにいます神は、信ずることによって見出せるのです。ともにいます神とともに歩む信仰の生活こそ人生の奥義です。

歴史に輝く聖徒たちの生涯を心して学びます時、神が彼とともにいまし、彼は神とともに歩んだと証されています。やがて創造の完成の時が来たり「神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。」(新約聖書 黙示録21:3~4)との栄えある約束の成就を信じ、勇ましく神とともに歩みましょう!!

(『泉あるところ』小原十三司・鈴子共著 11月13日のところより引用)

2010年11月9日火曜日

二通の手紙のぬくもり

外から帰ってきたら二通の手紙が届いていた。一通は家内宛、もう一通は娘宛である。私宛のものではない。けれども中味は私にも宛てられたのも同然の内容であった。

家内宛のものはこの日曜日、日立でともに礼拝を持たせていただいた時に、懇意にしているご婦人から藤枝の葬儀に行って来た話を紹介されたことによるものだった。そしてその折、息子さんをなくされたお父さんの挨拶状を見せていただいた。一読、さわやかな香りあふれる文章だと思った。家に帰ってから、その方に、家内にも是非読ませたいから、ファックスで送って欲しいと電話で依頼した。ところが、ファックスでなくコピーして送りますとのご返事だった。私としてはすぐにでも見せたい思いでいたのに、なぜ郵便なのか解せなかった。

これは日曜日のことであったが、今日の火曜日に早速、速達でお父さんの挨拶状を二部コピーして送ってくださったのであった。ファックスでなく速達で送ると言われたそのご婦人の心がこの時初めてわかった。一枚のファックスでは味わい得ない、その方の筆さばき、文面から奥ゆかしさが伝わってきたからである。その短い手紙の末尾には次のように記されていた。

○○兄の平安な美しいお顔と又ご両親の悲しみの中にあっても主の支えの中におられるご様子を拝し帰って参りました。

この方は土曜日に茨城県の日立から静岡県の藤枝へとご夫妻で出かけられ、翌日会った私に葬儀の喜びを伝えてくださったのであった。お父さんの文章は全文引用したいが一部のみにさせていただく。

我家の、朝晩のお祈りの時の、毎日の○○の短いお祈りを紹介させていただきます。”神様。どうぞ家族、親せき、友人、知人をお守りください。自分が今日、罪を犯すことのない様お守りください。”でした。
主イエス様の救いは、全ての人にすでに用意されております。それは無料です。ただです。
どうぞここにご参列くださっている皆様も、これを御自分のものとして下さい。
天から降る雨は、どんな人にも同じように降りそそいでおります。この恵みの雨、救いの雨だけは、傘をさしてさけないでいただきたいのです。
息子○○が、皆様にたった一つお返しできたことは、人生の最後の自分の召天をとおして、救い主イエス様を御紹介できることだけでした。
今回、皆様からいただいたお悔やみの言葉と、涙してくださったことを心から感謝申し上げます。
そして今一つ、それと同じように嬉しかった言葉があります。それは東京のある信仰者に、○○が召されたことを連絡した時に、
”おめでとう。よかったね。”といわれた言葉でした。それも涙声をもってでした。その瞬間、私の中にあつい物がこみあげるのを禁じえませんでした。
これは、イエス様の救いを信じている者同志だけがかわす挨拶であります。
その意味は、○○が、イエス様の十字架の犠牲が、自分のためであったと信じているので、天国のイエス様の所に召されたたこと、永遠のみ国に入ったことを信じるが故の言葉でした。

最愛の息子さんを天に先に送られたお父さんのご挨拶が改めて胸を打つ。

あともう一通が娘に送られてきたもので、そこには娘の採用試験合格を知って我が事のように喜んでくださるご夫妻の姿が文面にあふれていた。そして今秋の二紀展出品の作品が添えてあったのだ。私は嬉しくなり、早速今日のブログに載せたいので許可を得るために御礼を兼ねてお電話をした。

私は、文面を通して、ご主人の制作を我が事としてともに苦しむ奥様の姿に打たれていたので、そのことを申し上げた。作品誕生に至るまでのご苦労を改めてじかにお聞きすることができた。制作中足を捻挫され、230cm×180cmの作品を立てかけて脚立であろうか、上り下りするのが大変であり、力の限界を覚えるなかで完成を目指されたということであった。その上、今年は例年になく猛暑が長期間続いた。制作中の湿度の調整には並々ならぬ努力を払われたそうだ。作品は決して最良の出来映えではない。まだ二工程ほど描き込みが不足している、とはご主人と一体になって制作を助けられた奥様ならではの言だった。そして作品は見る人が自由に見ていただきたい、と言われる。

ただ、主人はいつも文字こそ書かないが、この作品の背後に主イエス様の再臨を待ち焦がれる気持ちがあるんですよ、それがラッパです。その時こそ主を信じるもの全ての誕生日じゃないでしょうかとつけ足された。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると、御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。(新約聖書マタイ24:31)


聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。(新約聖書 1コリント15:51~52)

( 「誕生 寿(ことほ)ぐイエス 二文面 顕(あら)わにしたり 届け巴里まで」 )

2010年11月7日日曜日

神の働きは権威の中の組み合わせである

(熱い夏の始まる頃、庭に咲いていた花、家人は名前を知らぬと言う。創造主にそっとお聞きしたい。)
さて、アロンの子ナダブとアビフは、おのおの自分の火皿を取り、その中に火を入れ、その上に香を盛り、が彼らに命じなかった異なった火をの前にささげた。すると、の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、彼らはの前で死んだ。(旧約聖書 レビ記10:1~2)

ナダブとアビフはアロンから離れて働いた時、神から離れて働いていました。なぜなら、神の働きは、権威の中の組み合わせだからです。神は、彼らがアロンの権威の下で奉仕するように定めました。新約にはバルナバとパウロ、パウロとテモテ、またペテロとマルコがあります。これらすべてにおいて、わたしたちは一方では指導する責任者を見ますし、他方では従っている助け手を見ます。神の働きでは、ある者たちは立てられて権威となっており、他方では、他の人たちは立てられて権威に服します。神はわたしたちが、メルキゼデクの位による祭司であることを願われます。同じように、わたしたちは権威の中の組み合わせの秩序の下で、神に仕えなければなりません。

指導すべきでない人が指導し始めると、反逆と死があります。ですから、権威に触れることなしに神に奉仕する者は、異火をささげています。「だれそれにそのことができるのであれば、わたしも同じことができる」と言うのは反逆です。神が注意を払われるのは、火があるかどうかだけではなく、その火の性質にも注意を払われます。反逆は火の性質を変えることができるのです。アロンから指図されていないものはすべて、つまり神から指図されていないものはすべて異火です。

神の関心事は、単にいけにえではなく、権威を保持することにあります。こういうわけで、人は追随者であるべきです。人は常にただ補助者であるべきです。代理権威は神に従います。権威に服する者たちは、代理権威たちに従います。霊的な事柄または霊的な働きでは、それは各自の個人的な奉仕ではなく、実は奉仕において組み合わされる団体的なからだです。奉仕の単位は組み合わせであって、個人個人ではありません。

ナダブとアビフがアロンに対して問題を持った時、神に対して問題を持ちました。彼らはアロンを離れて働くことができませんでした。権威を踏みにじる者はだれでも、神の火によって滅ぼされるでしょう。アロン自身でさえ問題がそんなに重大なものとは知りませんでした。

しかしモーセは、神の権威に対する反逆の重大さを知っていました。神に奉仕していると思っている人が多くいます。しかも彼らはいかなる権威の下にも来ないで、独立的に働きます。多くの人は、神の権威に反逆しているとは知らずに罪を犯してきました。こういうわけで、過去、中国において普及していた野武士的福音伝道者たちは教会にとって大損失でした。

(『権威と服従』ウオッチマン・ニー著34~35頁から引用)

2010年11月6日土曜日

展望 ハンス・リルエ

(南ドイツ・スイス国境のボーデン湖畔:ミュンヘン行きのバス車窓より)
夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。・・・イエスは彼(ペテロ)に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現わすかを示して、言われたことであった。こうお話になってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」・・・ペテロは彼(ヨハネ)を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」(新約聖書 ヨハネの福音書21:4、17~18、19)

この湖畔の光景は、新約聖書のまったく偉大な現実性で終わっている。この静かな、澄みきったヨハネの福音書の記録が、ペテロの死の展望で終わっているのは、注意すべきことである。

おどろくべきやすらかさで、静かに、ほとんど荘重なひびきさえもって、しかも彼の死が語られている。ペテロが、復活日の朝の静けさのなかで、彼の新しい生涯の道を眼前に見ているとき、十字架の影がペテロのうえをおおっている。やすらかさのなかで、聖なる現実性をもって、彼の生涯の終焉が、彼に示される。彼の生涯が、彼の教師の栄光をもっとも高く讃美することへと集約されるその場所が――彼が主のために死ぬべきその場所が、はるかに以前から、主のちからづよい手によって彼に示される。かくして、すでに、ガリラヤの山国の丘にかさなって、彼が殉教者としてその生涯をとじるであろう、そして彼の血が主の栄光のためにその砂を赤く染めるであろう、ローマの七つの丘が見えている。そのときこそ、すべての不確実、失望、不決断が終わりをつげるときであろう。そのときこそ、あらゆる誘惑のなかをとおって、彼を天国の入り口までみちびいた主の、助力をあたえ、ちからづける真実の記念碑となったことだけが、彼の生涯にのこされているというときであろう。

イエスが愛し、この朝まだきの対話に立ち合った弟子(ヨハネのこと)のうえをも、十字架の影がおおっている。彼にもまた、彼の生涯のはたらきの終焉が示される。すなわち、聖書の最後の巻が書き終えられるまで、彼の生涯は終わってはならないのである。それが書き上げられたとき、彼の生涯の日も暮れてゆくであろう。

すべては、なんと偉大で、平穏であることだろう!

私は、かつて16歳のときに、非常に年をとり、もっとも経験にとんだ一人の宣教師の著書のなかで、すべての宣教師は、心のうちのすべての人間的な恐れや死の恐怖から解放されるために、いつでも平静に自分の死について考えることに習熟していなければならないと、書いているのを読んだことを忘れることはできない。彼はさらにつづけてこう書いている。

「あなたがたは、それは年寄りの言うことだと考えるだろう。しかし私はあなたがたに言いたい。人がその死の時を静かに見つめることを学ぶのは、まさに彼の仕事が最高潮であるときがよいのだ。そのことによって、彼のたどる道は、確実な、平穏なものとなり、彼の仕事は、目的のはっきりしたものとなるからだ」。

このような態度に似たなにものかが、この対話のなかにもある。この生涯の終わりを、平静に、そしてしっかりとした気持ちで眺めることを教えるのは、新約聖書に記されている使徒の実際生活に対して主が語りかけた言葉にある。かくして、イエスの言葉のうえには、センチメンタルな気分や哀調の影さえもない――むしろそれとは逆に、その唯一の結論は、「わたしに従ってきなさい」という、ほとんど軍隊口調の命令である。
(日本のガリラヤ湖、琵琶湖。昨冬の姿、今年も一月後にここに集う)
このようにして、ペテロと主との地上での交わりは、それがはじまったのと同じところで――すなわち、かつて彼の生涯を変えてしまい、今またあらたに正しい方向をあたえた、簡潔で威厳にみちた主の言葉で――わたしに従ってきなさい!という命令の言葉で――終わる。この明瞭な言葉で、ペテロのこれからたどる道も、そのこまごました点については彼はほとんど知らないとしても、明らかである。神の導きのもとにある限り、彼の道は、やすらかであり、確実である。

なぜなら、そのように考え、語り、行為することを彼に教えるのは、復活の主なのだから。もしも主が、死を越えて彼に語りかけるのであるならば、彼の生涯の最後の終焉を展望することが、どれほど彼を恐れさせることができるであろう? もしも主が、生を越えて、彼の生をも越えて、支配権を手中におさめたのであるならば、彼の眼前につづいている道を眺望することが、どれほど彼をひるませることができるであろうか。復活の主が現前するところには、神の永遠の意志そのものが、私たちの生に現前する。私たちは、彼が欲するより、一日たりとも長く生きることはないであろう。しかし、私たちの生涯の日も生涯の仕事も、彼が欲するより、一時間たりとも早く終わることはないであろう。それで十分なのだ。そしてこれからのちは、私たちの生涯のプログラムが、わたしに従ってきなさい!という主の言葉に集約するのを見るのは、私たちの生涯の祝福である。

そこには、湖の上を、いいあらわしようもない晩夏の日が暮れてゆきつつある。沈みゆく陽は、なおもう一度、惜し気もなく、その最後の光を、いっぱいに湖とそれをとりまく山々の上になげかけている。そしてもう一度、このみちみちた美しさの背後に、ガリラヤの海の姿がうかびでる。そして、この地上の湖のあらゆる美しさは、イエスがあるき、復活の主が転落の弟子をふたたび奉仕へと召しいだした、あの岸辺をさししめす沈黙の道標(みちしるべ)となるにちがいない。そして、この大地のあらゆる美しさは、死と罪に転落した世界に、生の力を注ぎこもうとする一人の人がそこにいるという、この一つの認識の背後にしりぞいてしまうにちがいない。世界の圧倒的な美しさよりも、はるかに偉大なものをあたえることのできる一人の人がそこにいる。この世的な体験のもつ高さや深さよりも、はるかに偉大なものを――生命と祝福とを、その手から私たちがうけとるべき一人の人がそこにいる。

こうお話になってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」(ヨハネ21:19)

(『海辺のキリスト』小川圭治訳44~48頁引用、引用に当たって二三箇所訳を変えたところがある。)

2010年10月31日日曜日

代理権威に服従する ウオッチマン・ニー

(Edinburgh Castle)
神がご自身のためにもろもろの権威を立てることは何と危険な冒険でしょう!  神の立てた権威が、神を間違って代行したとしたら、どれほど神は悩まなければならないことでしょう!  しかし、神はご自身の打ち立てる権威を確信されます。神が代理権威を立てる際の確信よりは、わたしたちが代理権威に服従する際の確信のほうがはるかに容易です。神が人に権威を与える際に確信しておられる以上に、わたしたちもやはり人に服従する際に確信すべきではないでしょうか?  

神が打ち立てられる際に確信しておられる権威に、わたしたちは服従する際に確信すべきです。もし間違いがあるとしたら、それはわたしの間違いではありません。それはその権威の間違いです。主は、すべての人はその上のもろもろの権威に従うべきであると言われます。困難は神の側よりもわたしたちの側にさらに多いのです。神が人にゆだねておられるなら、わたしたちもゆだねることができます。神がその委託について確信しておられるなら、わたしたちはさらに確信すべきです。

イエスは、・・・、ひとりの子どもの手を取り、自分のそばに立たせ、彼ら(=弟子たち)に言われた。「だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れる者です。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わされた方を受け入れる者です。・・・」(新約聖書ルカ9:47~48)

主が御父を代行することに何の問題もありません。なぜなら、父は主にあらゆるものを託されたからです。わたしたちが主を信じることは、御父を信じることです。しかし主の目には、これらの子どもたちでさえ主を代行しています。主はこれらの子どもたちにご自身を託すことができます。こういうわけで主は、これらの子どもたちを受け入れることは主を受け入れることであると言われたのです。

ルカによる福音書第10章16節で主は弟子たちを遣わし、彼らに言われました。「あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾ける者であり、あなたがたを拒む者は、わたしを拒む者です。」弟子たちの言葉、命令、決定、意見は、すべて主を代行しました。主はすべての権威を弟子たちに託したことに、とても確信がありました。彼らが主の名の中で語ったことは何であれ、主は承認されました。弟子たちを退けることは、主を退けることでした。主は全き平安をもって彼らにご自身を託すことができました。主は、彼らがその言葉に注意すべきであるとか、出て行って語る際には失敗をすべきではない、などとは言われませんでした。主は彼らが失敗をして何かが起こるとしても少しも気にかけませんでした。主には、弟子たちに確信をもって権威を渡す信仰と勇気がありました。

しかし、ユダヤ人たちはそのようでありませんでした。彼らは疑い、言いました、「どうしてこんなことがあり得ようか。あなたが言ったことがみな正しいとどうして知ろうか、わたしたちはもっと考える必要がある!」。彼らはあえて信じようとはしませんでした。彼らは非常に恐れました。

仮に、あなたがある会社で一管理職として働いているとします。そしてあなたは一人の人を派遣して次のように言うとします、「あなたの最善を尽くしてしっかりやりなさい。あなたが行なうことは何であれ、わたしは承認します。人々があなたの言うことを聞くとき、それはわたしの言うことを聞くのです」。もしこうであるなら、あなたはおそらく彼に、毎日その仕事の報告をすることを要求するでしょう。それは、何かの間違いがあるといけないからです。

しかし、主はその代理者であるわたしたちに任せることができます。これは何と大きな信任でしょう!主がご自身の代理権威にそれほど信頼されるとしたら、わたしたちはさらに一層そのような権威に信頼すべきです。

ある人は、「もしその権威が間違いをしたらどうしますか?」と言うかも知れません。もし神が代理権威とした人たちに信頼されるとしたら、わたしたちはあえて服従します。その権威が間違いかどうかは、その人が主の御前で直接責任をとらなければならない問題です。権威に服従する者たちは、絶対に服従することだけが必要です。たとえ彼らが服従したことで間違いを犯したとしても、主はそれを罪と見なされません。主はその罪の責任を代理権威に問われます。

不従順は、背くことです。このゆえに、服従する者は神の御前で責任を持たなければなりません。この理由により、人間的要素は、服従とは何の関係もありません。もしわたしたちが人に服従しているだけなら、権威の意味は失われます。なおまた、神はすでに彼の代理権威を立てた以上、神はこの権威を維持しなければなりません。他の人たちが正しいか正しくないかは、彼らのことです。わたしが正しいか正しくないかは、わたしのことです。すべての人は主に対して自ら責任を負わなければなりません。

(『権威と服従』86~89頁の「わたしたちは代理権威に服従することに確信をもつべきである」より抜粋引用 )