2024年8月22日木曜日

「蝉探訪」いつまで続けられるか

 画面は日曜日夕方の古利根川の川辺の様子です。青鷺一羽が川縁にその勇姿を潜(ひそ)めておりました。しかし、青鷺は敏捷で、橋の上からiPhoneを向けては、覗き込んでいる私に、気が付かないはずはありません。次の瞬間には翼を広げ、口惜しがる私を尻目に、悠々と飛び去って行きました。

 月曜日、火曜日と連日雨風に晒されましたが、当地は新聞TVで報道されるような被害はありませんでした。したがって特筆すべきこともなく、昨日水曜日は午後六時を過ぎていましたが、ゆっくり土手を散歩しました。ところが、驚くなかれ、このところ日課としている、「蝉探訪」は、台風一過の昨日、これまでの最高値を記録しました。何と蝉十三匹を見つけました。右岸で六匹、左岸で七匹でした。まさかこんなに見つけられるとは思ってもいませんでした。

 それも、何かと集中力をなくしている家内が見つけるのですから、私にとっては二重の喜びになりました。一本、(蝉探しに)お目当てにしている桜の木が右岸にあるのですが、私は必ずその樹幹を覗くことにしています。だから、毎回、その木に必ず目をつけ、一匹以上は発見し、そのあとプラス何匹と、その日の収穫(発見個数)を数え上げ、三十分あまりの散歩に満足するのが私たちの定番のスタイルでしたが、この日ばかりはプラスアルファがあまりにも多く、すなわち五本の指で足りず、かと言って、家内に確かめることもできず、自分の記憶で我慢するしかありませんでしたが、十三匹でした。

 あとでなぜこんなに多く発見したのか、つらつら考えてみると、それまでの「蝉探訪」が昼間で、今回は夕方であった違いにあるのではないかと、思い当たりました。そのうちの一匹に、まだ抜け殻から出てきて、十分羽が成熟していない蝉がいたからです。それだけでなく、少年時代、地面にしゃがみ込み、穴に小さな木切状の棒を差し込んでは、幼虫を引き揚げたり、脱皮している様を観察する「蝉観察」こそ、草野球と並行した夏休みの風物詩だったことを懐かしく思い出しました。

 蝉の成虫は羽化してからおよそ二、三週間だとのことです。https://www.kodomonokuni.org/nature/summer/summer_semi.html
一方、有名な芭蕉の句、「閑けさや 岩に染み入る 蝉の声」の蝉はいったいどの蝉が、「閑けさ」にふさわしいか、蝉の種類をめぐって、斎藤茂吉と小宮豊隆との間で論争があったそうです。風流さを解しない当方の句は「蝉数う 秋の到来 待つ日々」の凡句です。

 この間、『神と人と言葉と 評伝・立花隆』(武田徹著)を読みました。「雲の上の”知の巨人”」の姿に接し、私より三つ年上の立花のたどりし人生もまさに時代を反映した歩みだったのだと過去を懐かしく振りかえさせられました。それにしても、クリスチャンの両親のもとに育った立花隆の生涯が、もし、評伝作者の言われる通りであったとすれば、私流に勝手に表現すると、どうして「私はあなたを信じたいのですが、どうしてもあなたを信じられません」という呻きになるのか、私には不思議でなりませんでした。それだけでなく悲しみさえ覚えさせられました。

知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。(新約聖書 1コリント8章1節)

2 件のコメント:

  1. 「蝉数う 秋の到来 待つ日々」
    コメントしても返事がもらえないことは承知で書き込みます。
    俳句にはちょっとうるさいほうなので、ごめんなさい。
    1.俳句は途中切らないで1行で書くのが常です。どこで切るかは読者に委ねます。2.季語は大切。蝉は晩夏の季語です。言いたいことは分かりますが、秋の到来では季重なり、それも違う季節。3.可能なら575でまとめる。待つ日々→日毎待つ…とか。余計なお世話でした。

    返信削除
  2. なるほど、俳句の流儀知らないで、勝手な句を読んでしまいました。私にとっては、苦し紛れの一球でした。ちょうど立花隆の評伝の題名が「神と人と言葉」となっていますが、彼がいかに言葉を大切にしたか、すなわち「詩」人であったかが描かれていました。私にも「詩」の心がないわけではありませんが・・・。何となく納まり具合が悪いと思っていましたが、原因はご指摘のところにあったんですね。ご指摘ありがとうございました。

    返信削除