2012年3月8日木曜日

神とキリストとの祭司となり・・・

今日は朝から太陽は顔を出さない。たとえ顔を出さなくても、また冷え冷えしていても、主の民はみことばを求めて集まって来られる。すごいことだ。今日も40名余の方が集われ、市内のS兄がメッセージしてくださった。引用箇所は黙示録20:1〜6で、題して「千年王国」であった。現下の世界情勢の中で右顧左眄することなく、聖書は何と言っているか、もう一度探られる基本的な学びをしていただいた。私自身がもっとも無知識な個所の一つである。語られる方は特に神学を学ばれた方ではない。まずは聖書である。引用聖句は20余であった。このような家庭集会ではそれぞれのメッセンジャーがよく祈ってご自身と主との祈りの格闘の中で示されることを語られる。聞く私たちもわからないながらも「耳門」(バンヤン)を開き聞くのである。集会は語る人、聞く人双方のコミュニケーションがよく保たれる場である。

 その学びに花を添えるのが証である。今日もわざわざ遠く船橋からT兄が来てくださった。私の証にはドラマ性がないと言われたが、それだけに証は主がなしてくださった恵みが誰にも分かるように語られた。一冊の証の本のなかに記されていたガラテヤ2:20のことばをとおして涙が出て来たと言われた。苦しみのうちに主は兄に必要なことを語ってくださったのだ。兄が紹介された『光よあれ 』4集の54頁以下には次のようなことが書かれている。

 神は私の内にみことばを啓示された・・・。信仰の土台とは、こういうものです。千秋※さんの生活の結末をよく見て、その信仰にならうということはまた、人間の考えていることはぜんぜん大切ではなく、主なる神が何を考えておられるか、それこそが重要だ、ということを絶えず覚えることです。主なる神は真理であられますから、主なる神のみことばも永遠に真理そのものです。聖書に書かれている事実がちっぽけな人間に理解できるかできないかは、決して問題ではありません。信じても信じなくても、認めても認めなくても、事実は事実だからです。

 千秋さんの喜びの源は、神のみことば、また神の約束でした。神のみことばは最大の宝物であり、回心の種子であり、真理そのものであり、彼の足の灯であり、彼の道の光だったのです。パウロも、千秋さんも、長い間イエス様に対して無関心でした。それのみか、パウロはイエス様を憎んで迫害しました。誰も彼をまちがった道から引き戻すことはできなかったのです。しかし彼は、どうしてイエス様を信じるようになったのでしょうか。彼は次のように記しています。

いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。(ガラテヤ2:20)

 主イエスを通して明らかにされた愛は、パウロを圧倒しました。・・・

 と、あります。まさしくT兄も妻の信仰に無関心で会社生活オンリーであったが、主の愛の前に己のわがままが砕かれたのであった。みことばによる救いを体験している兄には静かで大きな何物にも代え難いドラマがやはりあったのである。

 このような地味な集会、人々がただみことばを求めて愛する集会であることを心から感謝する。 S兄、T兄ありがとうございます。

(※千秋とは往年のフジテレビのニュースキャスターであった山川千秋さんのことで、この文章はその葬儀で語られたメッセージの一文である)

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