2012年3月26日月曜日

主の働きを喜んでし続けるために・・・

 事実、霊的な無気力は決して「小さな群れ」の特質ではなかった。もしいくつかのグループ、すなわち恵みのうちに成長することに夢中になっているグループが聖書の学びを最初の課題としたのなら、ほとんどのグループが福音伝道の証と奉仕において実に生き生きとしてくるのだった。彼らもまた改宗者に工夫しながら関わり続け、その証と奉仕を貫いた。ウオッチマンは今度は一連の救いの基礎に関する文書を書いた。フーチョウの「福音シャツ」までが町や村の証の特徴として続いていた。そしてウェン・テー・リで広い地域の子供たちの日曜学校の働きが、ホールに収容できる余地がなかったので、大部分はそれぞれの家庭で気づかれないうちに続けられた。ウオッチマンのすぐれた福音文書はすでに話題になっていた。良く書かれ、色鮮やかであったので、彼らはそれらの文書の配布とそれによる話し合いを勧めた。
 
  キリスト教書店はレジや陳列台に福音文書を常時用意し、訪問客が来ても長期セールスのガラス製のカウンターの真ん中に見やすいように置いた。ウオッチマンが信者に対して、人々に罪人の友であるお方(註:イエス・キリスト)をどのように紹介するかに関して書いた明確な勧めは、彼自身が絶えず経験している例がもとになっていた。と言うのは、神が教会に数人を福音伝道者になるようにしたとしても、テモテに対して「福音伝道の働きをなす」ようにと勧めた(註:パウロの)勧告 を、ウオッチマンはすべてに結びつけて考えていたからである。
 
 少なくとも一日に一人の人に証をというのが彼の決まりであった。だから彼は12軒の路地のうちで一人のお手伝いさんが信じたとき、右側の家のお手伝いさんに働きかける決断を知って喜んだ。彼女は次々と働きかけ、その話がウオッチマンの耳に入る頃までには6人のお手伝いさんが救い主であるお方(註:イエス・キリスト)を見出していたのだ。
 
 しかし、こういうことは上海の教会の最も素晴らしい年月のうちにあって、納得づくの上であったことにも関わらず、その証は驚くべき批判の嵐に直面し続けた。批判者たちはホールのレイアウトや活動の性格が非常に融通の利くものであったので、不規則だと非難した。また特別な集会が説教者の心の重荷となり、はっきりと固定した期間でなかった時、突然延期されることがよくあったこともその理由であった。
 
 別の観点からウオッチマンの考え方に攻撃がなされた。一人の尊敬されている宣教師が「今日中国のかなり多くの人が新約聖書の信仰にもどるように教える教師また指導者としてのニー氏になびいている」ことを知ったので、彼の「重大な誤り」を攻撃する文書を発行する必要を感じた。それは、彼の先駆的な働き人は「使徒」ということばを侵害するものであり、彼には 「たくさんの弟子を引き離して、自分のあとに引き連れている」という罪があるとするものであった。そして内情を知っているとする一人の中国人がウオッチマ ンが自らの働きを支えるために外国資金の確かな流入に手を染めてきたと断言し、それら資金を用いている彼の品位を攻撃することまでも書くパンフレットを発行した。
 
 指導者としての偉業は以下の格言を思い起こさせる以外の何ものでもないように見えた。「他者のかしらを越えてかしらをもたげる者は遅かれ早かれ首を切られるであろう」(引用者註:日本の諺では「出る杭は打たれる」か)あるいはもっと適切な聖書の用語によるなら、「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」(註:新約聖書2テモテ3:12)
 
 ウオッチマンの宣教団に関する私的な評価において上位を占めていたのはクリスチャン・アンド・ミッショナリー・アライアンスであった。しばらく彼はその宣教団の一人と非常に親しい間柄にあった。とは言え、彼が自分と自分の働きを不公正だと感じるような具合に批判している記事を雑誌に載せていることを知りがっかりした。しかし彼は自己防衛に関して自身の考えを持っていた。「もし私が自分を正しいことを明らかにするなら、私の兄弟が間違っていることが明らかにされるでしょう。けれども私にとって益になることは私の兄弟が間違っていることが明らかにされることなのでしょうか」
 
 もっと大切なことは彼が私たち主にある兄弟に対してなすことは私たちに対する主のお取り扱いの実践方式に則るということを強く知っていたことだ。もし私たちがあわれみ深いなら、主があわれみ深いのだ。この理由のために彼は自らの感情を押し殺し、説教を退き、数週間チーフーからこっそり姿を消した。そこで一人の友は彼が鬱のどん底にいるのを知り、彼の心が自由にされる必要性を感じ取り、彼に強く勧めた。「君は主を賛美しようとしているの?」と。彼は「うん、そうする」と言うなり、テニスコートに出かけて行って、大きく息を吸って、あらん限りの力を尽して「ハレルヤ」と咆哮した。この処方箋は機能し、彼は間もなくもう一度講壇に戻った。
 
(『Against the tide』 by Angus Kinnear 163〜165頁より引用。霊的指導者に対する攻撃がどれだけ激しいものか、いつの時代にも言えることを改めて知らされる思いである。しかし、その時でも主の御愛は変わらないことを覚えたいものだ。)
 
あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。(新約聖書 ルカ6:36)


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