2012年3月10日土曜日

ただ聞きさえすればよい。

北海道・美瑛駅 by Y.Oku

聖書は、人間の救いを、終始「信仰」という言葉に結びつけている。だから、わたしたちは、いまこの信仰という問題に焦点をおいて、こういう問いをあげてみよう。わたしたちは、どのようにして、信仰を持つようになるのだろうか。信仰とは何か。魂の覚醒を経験した信仰者は、誰でも、この二つの問いに対する正しい解答の上に立って、自分の魂の救いをのぞみみているのである。

では、キリストは何と言っておられるだろうか。「あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている」(ヨハネ15:2)と言っておられる。また、生ける神のみ霊は告げている、「耳を傾け、わたしに聞け。そうすれば、あなたがたは生きることができる。わたしは、あなたがたと、とこしえの契約を立てる」(イザヤ55:3)と。「わたしに聞け」である。ただ聞きさえすればよい。

信仰は聞くことによって生まれる。信仰は、おのずから、自然にわきあがってくるものではない。魂の目ざめを経験した者たちが、神の語りたもうことに耳を傾けないで、ただ考えに考えを重ね、思索し、沈思黙考、推測し、哲学することは、魂を激しくかき乱し、傷だらけにするだけである。信仰は思考することによって生まれるものでもなく、いちずに、聖霊を待ち望むことによって、もたらされるものでもない。また、自分の心を、信仰に引き入れようと努力した結果あらわれるものでもない。信仰は、決して、そのようにして生まれるものではない。

イエスは「わたしのことばによって」と言っておられる。心を静めて、神のことばに耳を傾けなさい。そして、みことばを、すなおに受け入れなさい。神の御約束を信頼しなさい。神は偽りを言ったり、裏切ったりなさるおかたではない。あなたの生活が、たとい、どのように不完全であっても、あなたの心が、どのように罪によごれていても、神のみことばにたよりなさい。あなたが、神のみことばを心に受けて、神がみ子について語りたもうことを信じさえすれば、ただそのゆえ、キリストはあなたの救い主となりたもうて、信仰をとおして、あなたにあらゆる恵みと、幸をさずけてくださるのである。

使徒パウロの、意義ふかい貴い言葉を読んで頂きたい。「しかし、信仰による義は、こう言っている、『あなたは心のうちで、だれが天に上るであろうかと言うな』。それは、キリストを引き降ろすことである。また『だれが底知れぬ所に下るであろうかと言うな』。それは、キリストを死人の中から引き上げることである。では、なんと言っているか。『言葉はあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある』。この言葉とは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉である。すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである」(ローマ10:6〜10)

(『あらしと平安』ロセニウス著岸恵以訳聖文舎1961年刊行409〜410頁より引用)

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。(新約聖書 マタイ11:28〜29)

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