2012年3月29日木曜日

天国は御父の住みたもう所(下)


 そこには、あなたの心を押し流す悲しみの涙はない。そこには、心くずおれる悲しみはない。嘆き、落胆させるものはない。「あなたの心を天国に置きなさい」とイエスは言われた。そうすれば心安らぎ、喜びに満ちあふれるからである。「あなたの宝物を天国に置きなさい」とイエスは言われる。そうすれば、すべては晴れ渡り、光に輝く。

 天国とこの世とを離して考えてはならない。もし離して考えるなら、光はかげり、混乱が生じる。暗いものはさらに暗くなり、ついにその光は闇の中に失われる。イエスは、天国とこの世とを分けて考えるなと言われた。「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(マタイ6:24)

 衣食の不安、将来への懸念などが、多くの人を打ち負かし、不安をさらに倍加させ、信仰を根こそぎ奪い去って来た。主は、こうした思い煩いや不安の原因は、天にいますわれらの父を信じないことにあると言われた。

 絶対に確かな唯一の不信仰のいやしは、ひたむきな天国の追求にある、と主は言われる。「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)

 そしてイエスは、「あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます」(マタイ6:32)という事実を強調して、われわれの不安を静められた。ここには、御父、その権能、その配慮などを結びつけておられるのを見ることができる。

 父の住みかである天国が、われわれの住みかでもあることで、イエスはわれわれの心を静め、われわれの心を天国に向けさせる。

 この世のことが、われわれの目を奪っているかぎりは、心はさまよい、天国を求めることはできない。イエスにとって、天国は実在の場所である。御父の場所であり、そしてホームである。

 人は地の家を求めるがいい。
 それは、炎に飲まれ、波に洗われるのだから。
 私は、はるかに勝る住みかを持った。
 天にある御座近くの邸宅を。
 地は衰え、星は落ち、
 月や日は輝きをやめ、
 森羅万象は消え失せた。
 しかし、天の家は私を迎える。       ウイリアム・ハンター

(『天国』E.M.バウンズ著いのちのことば社訳34〜35頁より引用。この本はすべての人が読むべき価値のある本である。三年ほど前に初めて読んだが、今回は二度目である。以前読んだとき不明であったものが、今は直近のものになった気がする。同書129頁にある「天国を求める生活とは、生きるためのいのちを求める生活、死とは反対の生活である」は至言である。E.M.バウンズにはこの他『祈りの戦士』『祈りによる力』『祈りの目的』などの著書が邦訳されているが、聖書自身からそのメッセージが語られているので、聖書そのものが神のことばとして私たちに伝わってくるので感謝である。)

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