2016年5月13日金曜日

与えに与え、与え続けられるお方

空目がけ 野ばら競いし 五月晴れ※

すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。(ヤコブ1・17)

 今朝、神様があなたに対して示される偉大な親切について少し考えてみませんか。あなたにとって、神様はどれだけすぐれた良い方であることでしょうか。私は神様の愛される子どもたちのうちの一人が、一日に何度も主を見上げては、「良い方イエス様」とか「親切な方イエス様」と言うのを知っています。

 この女の子は自分でそういうことを決めているのでなく、まったく神様がたいへん良い方であり、親切なお方であるので、そう言わざるを得なかったかのように思われます。そしてその時に主を見上げて「愛するイエス様」と言うのはこれまた極く当たり前のことに過ぎません。

 どれほどの人が、終日不平を言い続けるばかりで、神様がどれほど良いお方であるかも知らず、決して神様を見上げずほめあげることをしないことでしょうか。神様が普段よりもさらに楽しむように与えてくださっている特別なもっとも輝かしくも楽しい日々。主が与えてくださる以外には私たちには一つとして楽しいことも、慰安もやって来ないのです。 

 私たちはそれを得ることができませんし、稼ぐこともありませんし、それを受けるに値しない者なのです。しかし、神様は愛をもって、親切に、ただで与えてくださるのです。だから、主が与えることを止められでもしたら、私たちがどうなるかを考えてみませんか。

谷間の生活なくして、幾ばくの山上の日々 
喜びと讃美の美しくも照り輝く記憶携え
汝の心にある墓、それぞれ「記念すべき日」を越えし
道にありしあらゆる日の光を忘れじ
主の小道はそれによりて汝を導きし

答えられし祈り、求めずして得られし喜び
不思議な祝福、引き上げられし心配事
すばらしき約束の谺(こだま)す

かくして汝の生活
汝に対する主の愛と誠実の一つの記録なり

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/may-13-he-giveth-and-giveth-and-giveth/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97298です。今日も無理を承知で文語体で詩を編んでみた。

※昨日は雲一つない青空に覆われた一日であった。森林浴とまではいかないが、少し自転車で同じ市内ではあるが、遠くまで足を伸ばし、樹林の間を歩いた。欅〈ケヤキ〉、泰山木、桜、柿、竹、ナナカマド、ハナミズキ、ポプラ、山茶花、椿などそれぞれが緑を競い合う。その中に花々は思いのまま装う。詩人ならずとも口ずさみたいところだ。ドイツのゲーテ作「野ばら」の歌詞を紹介しよう。日本語訳は近藤朔風のもの。

Sah ein Knab' ein Röslein stehn,
Röslein auf der Heiden,
war so jung und morgenschön,
lief er schnell, es nah zu sehn,
sah's mit vielen Freuden.
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.

童(わらべ)はみたり 野なかの薔薇(ばら)
清らに咲ける その色愛(め)でつ
飽かずながむ
紅(くれない)におう 野なかの薔薇 

少年が見つけた小さな野ばら
とても若々しく美しい
すぐに駆け寄り間近で見れば
喜びに満ち溢れる
バラよ 赤いバラよ 野中のバラ 

この項目は
http://www.worldfolksong.com/classical/schubert/rose.htmlから拝借した。) 

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