2016年5月29日日曜日

宝物中の宝物を所持すること

赤勝て! 白勝て!※

王さまが無事に王宮に帰られて後なら、彼が全部でも取ってよいのです。(2サムエル19・30)

 それは王がまさしく(以前のようでなく)「心砕かれて、へりくだって」(イザヤ57・15)無事に王宮に戻られた時である。すなわち王がそこにご自分のものとなった者を住まわせるために(以前でなく)入って来られたとき、その者の心は王とだけただひとりいることに満足しており、いかなるツィバにも他のすべてを取らせるように用意している。なぜなら、宝物中の宝物として意識して所有する(王とひとりでいる)ことに比べれば、他のすべてのものは全然何物でもないように思えるからである。

 このことは王がほんとうに「王宮(ご自身の家)」でありたいと望まれた空っぽの魂に「無事に来られる」ことを知って、驚嘆すべき喜びが最初にわき上がる段階においてただちに達せられる時もある。また時には非常にゆっくりと、すなわち年々主の内住を益々知り、主はどんな環境にあっても私たちを全く満足させるに十分であると何度も繰り返し知る時もある。

 家の空になっている場所は次から次に満たされる。昔の望みはどういうわけか消え去り、古き野心もなくなった。この世の古い嗜好や興味がキリストを味わい関心を持つことに取って代わられる。主が日ごとに私たちの生活をますます真実に満たされる。私たちは「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損」と「思っており。」(なぜなら私たちはほんとうに知るからだ)その結果、主は私たちを「それどころか」「すべてのもの」(ピリピ3・8)を得る天に引き上げられるばかりの喜びへと導かれる。

愛する主よ、あなたが望まれるものを取ってください。
私はあなたにあってすべてのものを持っているからです
私自身の並々ならない大きな報酬 
それはあなた
あなたご自身です 

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/may-29-possessing-the-treasure-of-treasures/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97314です。

今日の箇所もきわめて訳出するのに骨が折れた。ハヴァガルはダビデ王とメフィボシェテとの関係を根底に置きながら、主イエス様と私たちの関係を述べようとしているように思われる。2サムエル記13章以降の記事を丹念に読む必要がある。一方でハヴァガルはピリピ3・8のパウロの経験をこれにオーバーラップさせながら、今生きるキリスト者にその霊的な内容を伝えようとしているように思った。

※運動会は一気にクライマックスを迎える。得点発表の瞬間である。百の位から、アナウンスが始まる。全観衆の目は三階にあつらえられた臨時”電光掲示板”に注がれる。ともに「5」が掲示される。続いて、十の位のアナウンス。これまたともに「9」という数字が掲示される。一瞬ため息とも歓声とも思える声が会場を包む。続いて固唾をのんで、一の位の発表を待つ。最初に白から。出された数字は「3」である。次に赤組。「0」であった。かくして勝敗は決する。白組の勝ちであった。「わーっ」とばかり白組の歓声はひときわ高く舞い上がる。しかし一瞬の後、場内は互いの健闘を称え合う拍手に変った。
紅白に 別れ競いし 子どもたち 一つになりて 宴終りぬ」) 

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