2016年5月30日月曜日

沈黙は金


静寂…、そして私は一つの声を聞いた。(ヨブ4・16)
知恵ある者の静かなことばは、(愚かな者の間の支配者の叫びよりは、)よく聞かれる。(伝道9・17)

 誰がしずくの落ちる音を聞きますか。私たちの「 無作法なきよめられていない耳」にとってその音楽をどんなマイクロフォンが聞き取ることができるのでしょうか。しずくは静かに染み出ます。私たちの神のことばもまさしくそうです。信頼の沈黙のうちにそれらはもっとも繁く聞こえてくるのです。

 その静けさの中で神の沈黙せる愛は露に似た交わりへと凝縮されるのです。読まれるのでもなく、聞かされるのでもなく、御霊の直接の力によってたましいに知らされるのです。ほとんどの場合、主はこのことを書かれたみことばから何かを思い出させるという身震いさせられることを通して行なわれるのです。そのみことばはすでに聞かされていたのですが今では以前聞いたことがなかったかのように新鮮な記憶となってひらめくのです。

 もし私たちが騒音やさわがしさ・喧噪の中にいつもいるならこんなことは期待できません。しかし主はできます。時々この「語りかけ」を喧噪や困惑の大変な混乱を通して送られます。主は台風のど真ん中に静かな所をつくりその場で私たちに語ることができるのです。しかしもっと通常なやり方は露が落ちるのにもっと広範囲な静けさを、悲しみや病の何らかの静かな所に私たちを別々に招くことによってつくられるのです。

 私たちがこのようにして荒野に導かれている自分を自覚する時、即座に露に注意しましょう。そうすれば見誤ることはありません。そうすれば私たちの不毛のさばくは喜び踊るものとなり、ばらのように花を咲かせることでしょう。熱く熟した収穫畑や私たちがかつて席をはずしたこぎれいな庭園よりもはるかにもっと有望な花を咲かせるでしょう。
 
歌がある
夜のもっとも孤独なしじまのうちに
流れるにすぎない

花がある
熱帯の灼熱の光の中では
成長できない

結晶がある
器が冷やされじっとするまでは
形造られることはない

結晶 花 歌
神様のみこころを示すものとして
それぞれ 与えられている 

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