2010年2月2日火曜日
村共同体と信仰
先週は金曜、土曜と家内の母の葬儀に列席するため帰郷した。義母の家での葬儀は今回で3回目になる。最初は、結婚して何年か後に経験した家内の祖母の葬儀であった。その時はまだ土葬であった。野辺送りということばがぴったりの葬儀であった。わらじを履いて寒風吹きすさむ中、遺骸を墓地にまで運び、土下座して会葬者の前に控えたことをかすかに覚えている。その他のことは忘れてしまったが、その印象だけは鮮烈であったので未だに忘れられない。
それから時代が下り今から5年数ヶ月前の義父の時はさすがに土葬ではなかった。その後、村の申し合わせにより葬儀も随分簡素化されたようだ。しかし都会の葬儀と違い、自宅が葬儀場であり、密接な人間関係の中での葬儀なので、隣近所が葬儀の責任を負うところが大いに異なる。確かに葬儀社が入り、会場の設営はなされるが、そのほかの伝統的な葬儀の準備が組全体の参加協力で行われる。
男子は葬儀の会場の用意をはじめ力仕事にあたり、女子はこの葬儀の間の親戚一同や会場設営に当たる人々の食事の炊き出しに当たる。11、2軒の方々が組の構成員である。一糸乱れない結束ぶりは目を見張るものがあった。私のように村に育たず、小さいとは言え町で育った者には想像できない互いの皆さんの奉仕振りであった。
義父の時は炊き出しは自宅であったが、今回は自宅でなく公民館が食事の場所となった。そのために時間を見計らって食事時になると家から徒歩で5分程度の公民館まで歩いて出かけねばならなかった。葬儀後の夜の食事だけは家族・親族がお礼を兼ねて接待側に廻るが、それまでの二日間にわたる昼食、夕食、昼食の三食はすべて組の方々が接待してくださり、葬儀の喪主側に食事の支度の心配がないようにと配慮されている。
これらのことはすべて業者に任せばいとも簡単に行なわれることではある。現代日本社会は、金がすべての世情であるのに、何をそんなに手作りにこだわるのかと都会の人は思うに違いない。私はそのようにしていただく食事がいかにありがたいものかをふっと感じさせられる瞬間があった。それは、たまたま別の用事のため、そっとその場を抜けてスーパーに買物に出かけたときに感じたことだった。スーパーに入る入り口のドアーが自動的に開くことに対して不思議と感じた違和感であった。
初めて自動ドアなるものを経験したのは今を去ること40数年前のことだったような気がする。現代社会の便利さの象徴である自動ドアなるものは、ひょっとすると村社会の手触りある人間交流をなくしてしまっている典型ではないかと考えさせられたからである。そのように考えた瞬間から因習に取り囲まれているとしか見ていなかった田舎の相互扶助組織が別の面から見えるような気がした。
肝心の葬祭の実行者であるお寺のご住職はその村でもっともあがめられており、それぞれ通夜、告別式と読経に当たるだけであった。組全体が浄土真宗の教義に生き、読経は住職以外の方々もそれぞれ練達しておられる。葬祭がお寺を中心にまとまっている村共同体が義母の生まれ育った土地柄であった。浄土真宗は蓮如上人を抱き、このような自治体を各農村に次々作っていったのであろう。時代の流れに抗しながら、伝統組織を守り続けている村共同体の今を思わされた。
ひるがえって浄土真宗の信仰と私の信ずるイエス・キリストの信仰との違いも思わざるを得なかった。浄土真宗は人間の罪と死からの救済は生者の読経により可能だと考えられているように見えたことだった。それに対して、イエス・キリストはすべての人間が受けなければならない罪の価を自らに十字架刑で受けられ死なれ、その3日後に復活された。キリスト信仰はただその事を信ずるだけである。
「南無阿弥陀仏」と読経される、純粋な信仰心が、「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」(ローマ10・13)と主イエス様への祈りとなるならどんなに素晴らしいことだろうと思わざるを得なかった。村共同体の中にも様々な言うに言われない人間関係の軋轢葛藤があることであろう。だから余りにも村共同体を美化することは慎まねばならないが、麗しいまでの共同体の生き方を通して、その二日間私が絶えず考えさせられた事柄であった。
村人すべてが喜びあう社会は聖書にも登場する。私の好きな場面を最後に引用しておく。(ルツは異邦人の女性で生活の糧を得るために落穂拾いをする。その畑の持ち主がボアズという男でイスラエルの民であり、主の名を呼び求める民の一人であった。刈る者たちはボアズの土地を刈り入れる労働者であった。その彼らの共同社会が次のように描かれている。)
ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落穂を拾い集めたが、それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった。ちょうどその時、ボアズはベツレヘムからやって来て、刈る者たちに言った。「主があなたがたとともにおられるますように。」彼らは、「主があなたを祝福されますように。」と答えた。 こうしてボアズはルツをめとり、彼女は彼の妻となった。彼が彼女のところにはいったとき、主は彼女をみごもらせたので、彼女はひとりの男の子を産んだ。近所の女たちは、「・・・男の子が生まれた。」と言って、その子に名をつけた。彼女たちは、その名をオベデと呼んだ。(旧約聖書 ルツ記2・3~4、4・13、17)
(写真は亡き義母が通った小学校の位置する風景。山すそに広がる近江湖東平野扇状地の一角。)
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