2010年2月6日土曜日

復活の主を仰ぎ見て


 今日は久方ぶりにAさんのところに出かけた。闘病生活は一年をとっくの内に過ぎ、一年半になろうとする。今年になってからは二回か三回目かの訪問である。自宅で療養し始められてから行く回数は減ったが、それでも行くたびにお訪ねして良かったと思わされる。お交わりして最後は聖書を二人で輪読して一緒にお祈りして帰って来れるからだ。

 今日はピリピ人への手紙一章を二人で一節ずつ交互に輪読した。その後、先ず私が先にお祈りし、そのあとAさんがお祈りされた。いつも永遠のいのちを与えると約束してくださった主に対する感謝をされるが、今日はそれだけでなかった。祈りの初めに三つのことを言われたのだ。

 すなわち、最初に、「神を愛すること、へりくだること、隣人を愛すること」と言われた。それができますようにというお祈りだった。そして祈りの終わりには友人、家族の名前をあげてそれぞれの方の平安を祈られた。Aさんにとって病の進行は徐々に進んでいるし、将来に対する不安はあるが、それでもイエス様にある平安をいただいておられるのがよくわかった。

 2時間程度のお交わりだから互いに心を割って話し込む。私は先週の義母の死とそこにいたるまでの自分たちの証しのことを正直に話した。私たちは義母が浄土真宗に生まれながら帰依し、85年間その生活が体に染み通っていることを知った上で義母の救いを40年以上祈ってきた。しかし義母に福音を伝えることはどうしても叶わなかった。義母が病に突然たおれたことを通して、病室内で初めて福音を伝える恵みにあずかったに過ぎなかった。

 けれども義母はもはや元気な時のようなコミュニケーションは取れなくなってしまっていた。ある時は幻覚状態に見舞われたこともあった。私たちはそれでも義母の心に語り続け、枕頭で祈り続けてきた。しかし義母に果たして私たちの言葉は通じているのだろうかと思う時もあり、悩んだ。しかし、それが亡くなる二日ほど前に義妹を通して聞かされたことでハッとさせられたのだ。

 義母は病室内に生けられた咲匂う蝋梅の香をかいだのだろうか、花の名を知らない若い看護士さんが家人にこの花は何という花ですかと問うていた時に、義母の口から「ろうばい」ということばが出てきたそうだ。この話を伝え聞いて、私は「ああ、義母は意識がしっかりしているのだ。果たしてコミュニケーションが成立しているのかと、これまで半信半疑だったが、実はそうではなかったのだ。」と思った。同時に、そのニュースは、主なる神様は死んだ者の神ではなく生きている者の神であり、私たちがイエス様が提供してくださった永遠のいのちの約束を伝えることは決して空しいことでない、とルターの『卓上語録』の文章を通して新たに確信させられていたことと重なった。

 だから義母が首尾一貫して私たちの語りかけること、祈ることを元気な時のように拒絶するのでなく、逆にいつも黙って聞いてくれていたことを振り返ることが出来た。特に、最後になった1月17日のお見舞いの時に家内が祈った言葉に一々頷いていたことは、この素晴らしい福音のニュースを義母は意識して受け入れてくれたのだ、と確信できたことだった。私はそのことをAさんに申し上げた。それに対してAさんは即座に賛意を表された。

 そしてご自身のお母さんが4年ほど前に亡くなる前の話をしてくださった。彼の友人がどうしてもお母さんにお会いしたいと申し出たそうだ。Aさんは、「そんなこと言っても母はTさんのことをわかるだろうか」と内心不安に思っていたところ、お見舞いに訪れた何年ぶりかで会うTさんを見て、大分具合の悪くなっていたお母さんの口からTさんの名前がスラスラと出てきてびっくりした覚えがある、ということだった。それだけでなく、Tさんが東京から九州にある事務所に出張のため来たお見舞いだったそうであるが、お母さんの入所されていた介護施設が100mほどしか離れていない高台に位置していたということだった。

 主なる神様のなさることはいつも完全である。主なる神様に対して感謝の薄い私ではあるが、Aさんが祈られたように、主の前に、人の前にへりくだって歩みたいと思わされた今日のお交わりであった。最後に復活はないと主張していた人に対して、主イエス様が言われたことばを引用する。

イエスは彼らに言われた。「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではありませんか。・・・死人がよみがえることについては、モーセの書にある柴の箇所で、神がモーセにどう語られたか、あなたがたは読んだことがないのですか。『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』とあります。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。あなたがたはたいへんな思い違いをしています。」(新約聖書 マルコの福音書12・24、26~27)

(2月になってさすがに寒い日が続く。はるか故郷を思って、昔撮った写真を載せる。安部氏の選挙ポスターが懐かしい。撮影日は2007年3月12日とあった。)

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