2010年2月5日金曜日
出処進退
大相撲から朝青龍が退場した。道を踏みはずしたばかりに退場せざるを得なかった朝青龍。やめ方は潔いように見える。しかし内情はそんなきれいごとでもないようだ。けれども、これで、彼が仕切り前に見せるあの独特のポーズは見られなくなった。また土俵にたたきつけんばかりの激しい取り組みも見ることが出来なくなった。
この報を受けた白鵬が、唇をかみ好敵手を失った悲しみ・口惜しさを全身で表していたのが印象的だった。切磋琢磨する勝負の世界に生きる者ならではの感慨のようだ。しかしこんな相撲も日経春秋子が指摘する次のような見方がかつてあったことは知らなかった。
文明開化の香りたっぷり啓蒙(けいもう)思想を鼓吹した「明六雑誌」が明治7年、相撲をやり玉にあげて書いた。「智をたたかわせるのではなく、力をたたかわす獣類のすることです。それを見て楽しむ者も、また人類のすることとは言いがたい」
実に手厳しい。だから相撲道から獣類に堕した感のある朝青龍の退場は当然だと言わんばかりの論調だった。
しかし、この日の大方の日本人の関心は小沢氏の問題ではなかっただろうか。結局小沢氏の土地購入原資の4億円にまつわる様々な嫌疑は証拠不十分として不起訴になった。極めて黒に近い灰色だとも巷間言われている。しかし、小沢氏は政界から退場しなかった。
二人の対照的な責任の取り方について毎日新聞の余録の記事が光っている。「出処進退」ということばを用いての説明である。以下引用する。
「人というものが世にあるうち、もっとも大事なのは出処進退という四つでございます」。幕末の長岡藩を率いた河井継之助を描いた司馬遼太郎の小説「峠」の中の河井は語っている。実際の河井の言葉にもとづくというその発言は「そのうち……」と続く▲「進むと出(い)ずるは上の人の助けを要さねばならないが、処(お)ると退くは、人の力を藉(か)らずともよく、自分でできるもの」。
と、あった。小沢氏は退くかわりに処(お)ることに賭けた。相撲の世界と政治の世界とは次元が違うし、責任のありようが大いに異なる。今後、小沢氏の出処進退がどのような軌跡を描くのか。当分私達のいらいらは続きそうだ。今朝読んでいた聖句に次の聖句があった。パウロが獄中で書いたマケドニア地方のピリピ人にあてた手紙の一文である。
私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。私はこのことを確信しています・・・(新約聖書 ピリピ1・21~25)
弱冠29歳の朝青龍も私と同世代の小沢氏にも出処進退を考える時、「板ばさみ」状態にあったことは当然であろう。その中で朝青龍は退き、小沢氏は処(お)ることにした。天秤にかけられたのはどのようなことであったのだろうか、知る由もない。しかし、朝青龍と小沢氏とでは行くところを異にしたが、世論頼みの「出処進退」という点では共通しているのではないだろうか。けれども、パウロの天秤は両者何れとも異なるのであった。それは彼のこのことばの前にある次の聖句が明らかにしている。
私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。(ピリピ1・20)
この使命感こそ私達人間に与えられている究極の「出処進退」を示すものでないだろうか。
(近江電車車窓から見た、ふるさとの冬の夕景色。撮影は09.12.6である。「赫々と 四方染めぬきて 陽退く」 )
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