2010年2月26日金曜日

「火曜の晩餐」


 火曜日、84歳になるご高齢の方をお訪ねした。奥様を三年半前に亡くされ今はお一人でマンション住まいをされている。今も頭脳は明晰である。この方とは昨年6月ドイツへの旅行で初めてお会いし、その後一週間ばかりご一緒し、親しくさせていただいた。帰ってからすぐにでもお訪ねするつもりで、かれこれ8ヶ月が過ぎてしまった。その間に、しばらくしてのことだが、交通事故に会われたことを風の便りでお聞きした。しかし薄情にもお見舞いに行かず仕舞いであった。

 したがって火曜日のお交わりはこちらの非礼をわびる意味をもっていた。ところが突然の訪問にもかかわらず大層喜んでいただいた。交通事故で車に轢かれられたが、一命を取りとめられたという大変なものだったようだ。奥様の命日の前日に花を買いに出かけられての事故であった。横断歩道を青信号で渡っておられたのだから一方的に車が悪い。しかも後続車としてパトロールカーがいたというおまけつきであった、と言われた。今も両足の甲が腫れ痺れも続いており、最近やっと歩行出来るようになったという話であった。

 お父様が数学者で、ご自身も日本の最高学府の一つを出られ、その上アメリカの大学にも学ばれ、社会的にも成功なさった方である。ところが、自分の不注意で奥様を早く死なしめてしまったという慙愧の念に、今も囚われておられる。いかなるこの世の富・栄誉・力もこの方の孤独を前にしては役立たずである。晩年、奥様を通してイエス・キリストの救いを受け入れられたのだが、まだ全面的とは言えず、突然奥様に先立たれての寂しさは尽きないようである。どのみことばがお好きですか、とお尋ねしたら、壁にかけられた色紙のみことばを紹介してくださった。

人はみな草のようで、
その栄えは、みな草の花のようだ。

草はしおれ、
花は散る。 しかし、主のことばは、
とこしえに変わることがない。

1ペテロ1・24~25のみことばである。ブラームスのレクイエムはこのみことばが中心になっていてその音楽を好むのだとも言われた。時間もちょうど夕飯時になっていたためお暇したかったが、逆にお夕食を用意していただいた。いつも奥様の陰膳を用意しているのでちょうどあなたが食べてくださると助かるとまで言われるのであった。そして台所に立たれ、「女の方は立派ですね、家内も何も文句を言わないでこうして毎食・毎食、亭主の食事を用意してくれていたんですね」と言い言い準備してくださった。とても84歳とは思えない。かつて大学時代アメリカンフットボールをなさっていたので体も頑健でいらっしゃるのかも知れない。食事前に先ほどのみことばを読みご一緒にお祈りして、ありがたくお相伴にあずかった。

 食後、バッハのクリスマスオラトリオを聴きませんかとお誘いくださる。前日かNHKBSで放映されたものを録画なさっていたものだった。もともと機械にはお強い方でかつ音楽マニアでいらっしゃる。解説していただきながらお聴きすることができた。独唱や合唱の場面では一つ一つのドイツ語の歌詞が日本語で表示される。いずれも聖書にちなんだことばである。独居老人であるその方の心の慰安となっていることを知る。演奏の合間には美しい風景が放映され、いながらにして最高の音楽とことばと風景を楽しむことができると言われた。

 しばらくご一緒にお聴きしていたが途中で遅くなったので辞去させていただかざるを得なかった。奥様に先立たれ、交通事故に会い、病院に一月入院され苦しい試練の時を過され、こうして今もなおご自分で懸命に生きておられる。最晩年に福音に出会われたのは不幸中の幸いであった。しかし、どうしてこんなにまでして生かされているんでしょうね、とも言われた。人生の大先輩にご馳走にあずかりながら、奥様は天の御国という一番良い所で憩うておられるのですよ、と申し上げた。暗くなった夜道を帰宅を急ぎながら、その方の心のうちに信仰の灯が燃やし続けられるようにと、祈らずにはおれなかった。(ルカ24・32)

 今振り返ってみるとその前日古本を購入した。ところが、その中に小冊子として「天をおもう生涯」(笹尾鉄三郎)があった。昨日のブログで掲載させていただいた。それはご覧のとおり私たち一人一人に何を目当てに生きているかを問うていた。それだけでなく奥様を天に送られたその方にもぴったりの内容だった。こうして主はいつも私たちを時に叶って導かれるお方であることに驚かされる。主が私たちに願われているのは一人でも主の救いに漏れる者がいないようにいうことである。最後にもう一度その方が好きだといわれたみことばを前後のことばとともに書いておく。

あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。「人はみな草のようで、 その栄えは、みな草の花のようだ。 草はしおれ、 花は散る。 しかし、主のことばは、 とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。(1ペテロ1・23~25)

(写真は言うまでもなくレオナルドの「最後の晩餐」である。絵葉書のコピーである。この方の食卓の正面にはこの絵が飾られていた。いつもこの絵を見てイエス様の優しさを思うのだと言われた。イエス様は私たちの罪を贖い永遠のいのちを与えんと今日も手を差し伸べていてくださる。)

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