2013年4月27日土曜日

限られた人生、何を残すか(下)

K氏の棺の前に飾られた花々
かつて、20数年前、私の家に一人の日系アメリカ人の若い女性が短期間ではあったが、夏の期間ホームステイしたことがあった。彼女はキリスト者として教会で英語を教えるため来日したのだが、私はこの一人の女性を派遣してきた国、また家はどんなところなのか、できればその国、そのご家庭に行って直接教えを受けたいとさえ思い、大変感銘を受けたことがある。なぜなら、彼女の日常の所作、精魂込めて夜遅くまで教材の準備をしている姿、小事に忠実な姿、いつも笑顔を絶やさず、フレンドリーに接する彼女に驚嘆したからである。

今回、召された方の葬儀をどのようにしようか、ご遺族と話し合う機会があった。ところが、お母様も、上のお姉様家族も、下のお妹様家族も、またそのご子息の奥様も、隣の部屋に控えておられ、すべてはこのご子息一人にゆだねておられた。もちろん長女であるお姉様も必要に応じて顔を出され、意見を言われた。相談役となった私たちは(実は私ともうひとりの方がその相談に応じたのであったが)話し終えて辞去する時、帰りの車中、どちらからともなく、ご家庭に凛(りん)とした秩序があることを話題にした。すでに、お父様の亡骸は私たちが葬儀社の方を交えて話し合っているまさしくその傍に横たえられていたのだが・・・。この秩序こそ、召されたお父様がご家族に残された尊い遺産だと思ったのだ。

葬儀が終わり、火葬を待つ間、しばらく休憩室にいる時、長女の方が弟であるご子息に「今日の挨拶良かったよ」と話された。すかさず、「おねえちゃん、ありがとう。おねえちゃんのおかげだよ、おねえちゃんが良くしてくれたから」と答えが帰っていた。私はこの姉弟のさりげない会話を小耳に挟み、ますます、このご家庭を支配している主なる神さまのうるわしい秩序を見た思いがして、目が潤んだ。家族とは困難、喜び、楽しみ、悲しみを共にし、歩む共同体だ。そんな家の建設は家長の責任にゆだねられている。ここにも召された方と内助の功としてお支えになってきた奥様の祈りを主がお聞きになり祝福しておられるのだと思った。

「限られた人生、何を残すか 」と大上段に構えて自らに問うてみたが、結局出てきた答えは、自らが主なる神さまに従順であれば、自ずと答えは出てくるのだと思った。そしてむしろ、私たちには何も残すものは無い。また必要もない。それよりも、「限られた人生、何を受け継ぐべきか」と問い自身を変えた方が良いということに思い至った。葬儀に出席したすべての人に少なからざる感動を与えたに違いない、ご子息のご遺族を代表してなされたご挨拶の冒頭部分と終わりの部分を以下簡単に紹介したい。

「本日は私どもの想像を越える本当に大ぜいの方に、お足下の悪い中、ご参列いただき心から感謝申し上げます。私ども、私、信仰が無い、と言うことを申しました。キリスト教式、キリスト教じゃないとベックさん(さきほど)言いましたね、イエス様を信じる者のあるべき葬式はどうやったらいいのか、全く想像もつかないのですけれど、・・・こんな立派なお葬式をあげていただいて、本当に父は喜んでいると思うのです。」

「イエス様のもとに帰ったお祝い、喜びの集いなんだ、ということを言うようですね。なので、用意したお花も、両脇三つあるお花は白い、いかにも葬式らしい、これは贈っていただいた三つの花かご。 真ん中へんにあるのが非常に華やかなお葬式らしくない結婚式用の花(笑い)を用意している、そういうお祝いの花なんです。ですから、これは悲しみの雨じゃなくて、・・・喜びの雨が降っているんだな、という気がいたします。」

「父は○○看護士と天国で会いましょうと言ったんですけど、父の望みは、ここに一堂に会していただきました全員の方と同じ天国で再会したいと思っている、ということなんだろうと思います。それが父の望みでもあり、またこの葬儀の目的であるということが色々の方の祈り、ベックさんのメッセージを聞いて思いました。82歳の高齢でしたからね、葬式でこんなに集まっていただけるとは、本当に想像以上です。これも本当に父は多くの方に祈られ、そして多くの方の愛に支えられ生きてきたことがわかって確信しました。本当に感謝します。本日は本当にどうもありがとうございました。」

かくして葬儀は終わった。紙上でこのご挨拶をお読みになる皆様はどのようなことを感じられるだろうか。それこそ、冒頭述べた、かつての私の経験のように、このような挨拶を述べることのできた人が属する家庭とはどんな家庭か、外国人だったらどんな国の人なんだろうときっと思うに違いない。オズワルド・スミスは「The country I love best(私のいちばん好きな国)」と題して天国のことを語っている。

以上が、私があなたにお話しようとしてきた国です。あなたは行きたいと思いませんか。あなたはほかにこのような天国に匹敵するものを知っていますか。なぜ天国への旅の準備を今すぐ始めないのですか。それは困難なことではありません。あなたの心を、天国の主であられるイエス・キリストに向かって開きなさい。そして、イエス・キリストに、あなたの心の中に来て、あなたを救ってくださるようにお願いしなさい。そうすれば、あなたも私と同じように天国を愛する者となるのです。そして近いうちにこの人生の旅路が終わった時、あなたはこのすばらしい国へ行き、いつまでもいつまでもそこに住むのです。(同書9〜10頁)

K氏は82歳という限られた人生の中で、祝福された葬儀を通して、私たち後進の者に天国を指し示しながら、一足先に天に上られたのだ。かくして、お父様の天国行きは、ご子息をはじめとして遺されたご遺族に受け継がれるだけでなく、集われた方々全員への天国の招きの言葉となった。これぞK氏が求めてやまなかった子への愛の成就、主がなしてくださった大きなみわざだと言えないだろうか。

主はわたしに言われた。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。(詩篇2・7〜8)

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