2013年4月2日火曜日

ハイ、信じています

昨日、葬儀の帰り道で見かけた線路沿いの鈴蘭水仙(スノーフレーク)
洗礼を受けて一年と言うべきか、それとも結婚して11ヵ月経ったと言うべきか。その日は今日のような寒い日ではなく、陽春の日であったように記憶する。とある喫茶店で、一回り以上年上の年輩筋にあたる方と三時間余対座していた。その職場の先輩は海軍兵学校出身で大柄な体の持ち主であったが戦前は保田与重郎を信奉していたが、戦後はデカダンに陥りフランス文学を専攻し、モンテーニュだけを信ずるという姿勢を取っておられた方であった。私はこの方の人間性に惹かれるところがあったが、その先輩も何かと私を可愛がってくださった間柄であった。その方は大変な酒豪であった。

当時、私はイエス・キリストを信じたばかりであったから、この先輩にも何とかイエス・キリストを信じて欲しいと日頃から思っていた。俗っぽく言うなら、彼が信奉するモンテーニュの『判断停止』という考えはその当時私が受け入れていたキリスト信仰に対する大きな挑戦の意味をもっていたので、その先輩と一対一で話すのは信仰という点で言うと、危険と言えば危険であった。ところが「めくら蛇に怖じず」と言うべきか、私は敢えて先輩のウイスキーのお相手をしながらひとときを過ごした。

その先輩と何を話したか、今ではもうすっかり内容は忘れているが、その方が、私に向かって「○○○さんは(彼は私の名前を日頃から呼んでいてくれた)本当にイエスを信じているのか」と三度聞かれたことだけは今も明瞭に覚えている。それも三時間の間に一時間くらい間を置いては、同じ問いが繰り返されたのであった。最初の問いに対して、私は何の臆することもなく「ハイ、信じています」と答えたが、二度目、三度目と間を置いて、問われた時、「ハイ、信じています」と口の端に上りこそすれ、内心に少なからざる動揺が走っていることを意識せざるを得なかった。

結局、何らの効もなく、私たちは別れ、そのまま私も暗い夜道をバスと徒歩で3、40分かけて家にまで帰った。家では家内が心配して待っていた。いつになく帰りが遅かったからである。心配のあまり、身重の体でバス通りまで何度か往復したと言っていた。ところが明け方から家内に陣痛が始まった。もちろん双方初めての経験である。うろたえたのは私の方であった。予定日は4月18日であったのだが。これはてっきり昨夜の醜態に対する神様の天罰がくだったと思い、冷や汗をかかせられた。とにかく産院に駆けつけ、おろおろしながら廊下でひたすらその時を待った。数時間後に男子の初子が生まれた。42年前の4月2日、今日のことである。まことに目出度いことであり、主の祝福そのものであった。しかし、爾来、私は酒を断つべしと思い、今日に至っている。

そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい。(エペソ5・15〜21)

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