クリスマスローズ by Kazuko.Y |
この超現世的なあるいは天的な生命は、御子を通して神によって今一度私どもの地上にもたらされました。今や福音を聞く者はみな、望みさえすればその生命にあずかることができるのです。しかしそうするには第二の誕生を経験しなければなりません。
その奇跡はこれなのです。神は内において私どもを新たに造りたもうのです。神は私どもの内に新しい心を造りたまいます。私どもはもう一度、神と神の意志を喜ぶのです。道徳的戒めは、もはや私どもが聞きたがらない、あるいは、精々いやいやながら服しようと思う良心の上に与えられる要求ではありません。それどころか、これらは生命の律法と歓喜、つまり私どもが内的な願いと喜びとをもって完全に行なおうとする律法となったのです。
私が話したいのはこの奇跡です。
もちろん、何びとも奇跡を理解することはできませんし、したがってそれを説明することができないことを知っています。また、これは私が考えていることではありません。しかし、神が私どもの心の中に新しい誕生の奇跡を行ないたもう時、私どもがもつ経験について簡単にお話したいのです。
罪人が神の前に立っているのをごらんなさい。その人は、自分の心の状態を見たので、神を愛せずまた罪をにくみもしないことを経験から知っているのです。この人はまた、自分を回心させようと懸命にやってみたのでした。それは、この人が自分の心を変えようとしたということです。というのは、もちろん回心は心の変化だからです。この人は、このことに成功しなかったのであります。
この人は、心の全精力をもって神を愛するようやってみました。しかし正直のところ、毎日そうしようとつとめても、聖書を読むことにつかれたことを認めなければならないのです。祈りがなければ何もかも失われることを知っていますから毎日祈るのですが、祈ろうとする願いをもたないことをまた認めざるをえないのです。
さらに、罪を愛していることをこの人は認めざるをえません。事実、自分自身に次のように言い聞かせるのです。「有害な結果をひきおこさないで罪を犯すことができさえすれば、私が愛さない罪が一つだってあるだろうか」と。
この人は、今や何をすべきかを知るのに途方にくれる点に達したのです。そこで絶望しながらも、非難の打ちどころもない正直さで、恐ろしい真実の全体を神に告げるのです、
「愛しまつる神よ、私が罪を愛すること、またこの罪深い愛を克服することができないことを、あなたはごらんになっておられます。また私があなたを愛さないことをごぞんじです。あなたが近くにいますとき私はおののきます。またあなたが遠くにいますとき、私はあなたに対して無関心です。私はこれを変えることができません。あなたがお助けくださらなければ、私は永遠に滅びます」
と。
そこで奇跡は起こるのです。
神は、この罪深いみじめな者をどろ沼から引き上げてご自身の血で白くなるまで洗ってくださるのです。聖書の豊かな生き生きとした比喩を使うことをお許しく ださい。神は天の書物を開いて、そこにしるしてあるすべての罪を一つ一つ消してくださいます。神は罪を海の深みへ捨て去って、それをもはや記憶なさいませ ん。そこで神は生命の書物を開いて、その罪人の名を他の神の子どもたち全部の中に入れたもうのです。
(『私はなぜキリスト者であるか』129〜131頁より引用。「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける。」箴言28・13)
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