2013年4月28日日曜日

記念日の哲学

薔薇(アルバ・セミプレナ)が一斉に咲き揃った。花のいのちは短かし。
去る4月26日は結婚記念日であった。そのことに気づいたのは家内の方で、夕方に近かった。「今日は何の日か、知っている?」と問うてきた。そう言われて気づかないほどこちらも鈍感ではない。しかし、そこはすっとぼけて「何の日?」としらけるようなことを言う。家内も心得たもので、「結婚記念日には薔薇の花をプレゼントする人もいるのに」と言う。もう三、四年前ころか、前の家の老主人が、薔薇の花を記念の数ほどプレゼントすると聞いた。とっくに金婚式を過ぎているお方だから、50本以上になるが、本当なのだろうか、耳を疑いたくなる。10年を一本にしても五本になるが、当方としてみれば、一本だってする意志が無いのに。

しかし、これではまずいと思い、「卵焼きを作ろうか」と言ってみる。それとも、どこかへ食べに行こうかと話を持ちかける。いやいや、そんな贅沢はしておられないと、かみさんは宣(のたま)う。結局、一緒に台所に立つことにした。まずは皿洗いから。久しぶりの感がする。それでも、かみさんは機嫌が良い。分に過ぎた女房だ。メニューは家内の頭の中にある。タマネギの皮をむき出した。当方は横で、家内の指導を受けつつ包丁を一本手に取り、切りにかかる。次はジャガイモだった。そのうちタマネギを炒めてくれと言われる。「ハイ、ハイ」と、おとなしくその言に従う。ニンニクが刻まれ、かき混ぜる鍋に横合いから放り込まれる。次には人参。さらには何と言う名前か分からない野菜も刻まれ放り込まれる。最後は豚肉だった。

今晩のメニューは言わずと知れたカレーライスだ。煮加減の指導を受けながらも最終的には師範の手ほどきよろしく、二三十分もするかしないうちに夕食の用意ができた。 娘はまだ仕事から帰って来ない。二人で祈って食事する。43年間、こうして例外無く私が声に出して祈り、家内は私の心に合わせているが、最後には二人してアーメンと仲良く唱和するのだ。短いときがほとんどだが、たまに長いときもある。今晩のカレーライスはことさら美味しかった。普段より具は少ないが、私も台所に立つことができたからである。

43年前のこの日のことをともに思い出す。新婚旅行は名古屋で一泊し、翌日は上高地に出かけ、さらに美ヶ原など二泊三日だったように記憶する。出掛けにカメラを持参するのを忘れたので、負け惜しみで、心のカメラにキャッチしてあるから印象は鮮烈なんだと当時はうそぶいていたが、当方の心は、もはや、ぼろぼろでガタが来ていて、記憶しているところが断片的になっている。二日目に旅先でけんかをしたことを思い出すが、けんかの中味は双方で一致しない。一事が万事、このようであり、時の経過とともに記憶は当てにならない。ただ信州が二人の憧れの地であり、今日から連休にかけてその信州へ出かけようとしているのも不思議な巡り合わせだ。

やや時間あって、家内が、ところで、さっきの祈りの時、結婚記念日の感謝したっけと、真顔で問う。そう言えば、全然しなかったなと、互いに顔を見合わせる。三年前、子どもたちのお祝いでスコットランド、ドイツに出かけた。その時、ドイツではキリスト集会の方と一緒だったが、先週火曜日の葬儀をなさったご夫妻とはその時ご一緒だった。召されたのはご主人の方だった。奥様が葬儀の前、そのことを思い出し、「あなたがたは結婚して40年で、私たちは50年だったのよね」と言われた。そのことを家内にも話していたので、お互いにもう少し自覚があっても良かったが、つい忙しさにかまけて、双方とも、26日になっても結婚記念日であることをすっかり忘れていたのだ。まあー、お互いに、似た者夫婦であることは間違いない。でも、これからは、この日を大切にしたいと思う。
 
「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」この奥義は偉大です。(エペソ5・31〜32)

一方、今日28日は1952年に、沖縄の方々の犠牲のもとに日本の主権が回復した日である(歴史年表を見ると、安倍首相の祖父岸信介氏は、この日、公職追放解除を受けたことが分かる)。 沖縄に米軍基地が存在する限り、主権は回復したとは言えない。しかし、国家意志は過去61年間、この日を祝わなかったが、今年から祝おうということだ。そこには何らかの強烈な国家意志があるはずだ。中国、韓国、北朝鮮、ロシアと周辺諸国と未だに戦後処理が終わっていない。主権の回復と言う限りアジア各国、ましてや沖縄の問題を放置したままで祝うのは何らかの政治意図があるのであろう。そしてにわかに浮上しつつある改憲への下ごしらえの動向と無関係ではないだろう。

43年間、結婚記念日を放置してきた私は来年からはその日を忘れないようにしようとしている。政府は、今年から主権回復の日としてこの日を記念日として国民に覚えさせようとしている。難しい外交関係を抱えながら、国民に愛国の心を植えつけたいのであろうが、やや唐突で性急すぎる思いがしてならない。私たちは、地上にある限り、罪の支配を受け、様々な矛盾する現実に直面せざるを得ない。永遠のいのちのことばである聖書に励まされ、個人としても、国民としてもまことの平和を求める者でありたい。

正義は国を高め、罪は国民をはずかしめる。(箴言14・34)

0 件のコメント:

コメントを投稿