2016年9月13日火曜日

信頼

私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。(ローマ5:6) 
主よ。あなたは、私たちのために平和を備えておられます。私たちのなすすべてのわざも、あなたが私たちのためにしてくださったのですから。(イザヤ26:12)

 主なしには私たちは何一つできないが、私たちのなすすべてのわざは、主が、私たちのうちになしてくださるにちがいないという事実を確信し、また、そのことをさらにもっと確かだと思うにいたるまで、何と時間がかかることでしょう。

 このことは神様の働きです。あなたがたが主が送られた御子を信ずるのも。私たちが信じ続け、信頼し続けることも実に神様の働きです。ですから、主を、破壊されない断固とした信頼をもって信頼したいと願い求める愛する友よ、努力をやめ、重荷を下ろし、今、主に対する信仰にゆだねなさい。

 私たちが主にご自身のために取り上げて保持していただきたいと望む複雑な生活のどの部分も同じように、主はまさしく保持できるのです(He is just as well able to keep that as any other part of the complex lives which we want Him to take and keep for Himself.)。ですから、おお、「そうだ、それはいい考えだ。恐らく私もそんな大きな助けを見つけられるはずだ」という考えに満足してしまわないでください。そうではなく、「今、それをしなさい(2サムエル3:18)。」

 船乗りがただちに適切に舵を取らなければ、暗い海を横断する燈台の灯火を見ても助けにはならないでしょう。

私はあなたに信頼しています 主イエス様
ただあなただけに信頼しています
あなたに信頼すると完全な救いを得ます
それは偉大にして自由な救いです 

私はあなたに信頼しています 主イエス様
決して私を振り落とさないでください

私はあなたに信頼しています
とこしえに そして すべてを 

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/september-13-trusting/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97421です。英文を併記したところは誤訳だと思うところである。この部分が一つのポイントであるはずなのにふさわしい訳が思い当たらない。読者のご指導を仰ぎたい。

※Godhold Beck(22)
 日に日にベック兄が召された日が遠ざかって行く。けれども、たくさんのベック兄が語られたメッセージのテープがあり、それをお聞きしているととても召されたとは、思えないくらい、ベック兄を身近に覚えられるのは文明の利器とは言え、有難い。

 ベック兄が召されて初めて、たくさんあるテープをどうしようかと思い、整理をし始めた。先ずは1990年から1994、5年のテープであるが何百本あるか分からない。そしてお目当てのベック兄のテープもさることながら、実に多くの方が集会を訪れ、メッセージをされたその事実に改めて感謝の思いを新たにさせられている。

 それと同時に、その当時の私たちの集会の中にいる一人一人の救いの喜びの声が満載しているのにも驚かされている。ベック兄も何年のメッセージであったかは忘れたが、昨年は一年に二百数十名の人が洗礼を受けたと語っておられる。折しも今日の学び会では1991年〈平成3年〉3月3日に洗礼を受けた私たちの仲間が、自らの救いとご両親の救いを喜んで証された。

 その救いへのスタートは、知人からお会いしたいと連絡を受け、全く見ず知らずの私どもの家の前の路上で会うことから始まったようだ。何も知らずにその知人の方に誘われるままに出席した家庭集会がきっかけとなり、その間に一つの聖書のみことばに出会われる。そのみことばとは「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。」〈箴言29:25〉であった。才能ある絵描きであったように見えたその人にも悩みがあった。それは評論家を初めとする人間の評価であった。

 一人一人の救いは家庭集会の交わりから始まると言うのが、日本人の救いのために長年労された結果得られたベック兄の結論であった。上掲の方はその一つの例であろう。くわしくは『神の愛』下巻284頁以下に書かれている。) 

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