2016年9月5日月曜日

豊かな賛美のためにある私たちのくちびる

 大きく蛇行する狩野川(伊豆の国市 神島付近)※
わたしは、異なった舌により、異国の人のくちびるによってこの民に語る(1コリント14:21)

 主がみことばを伝える人々のくちびるを満たされるのには七つの順序があります。第一にくちびるがきよめられねばなりません。祭壇から取り出された燃えさかる炭がくちびるに触れられねばなりません(訳者注:イザヤ6:6)。

 すると「これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた(イザヤ6:7)。」と主は言われるに違いありません。

 それから、主はくちびるの実を創造されます。このことはすばらしい平安の使信となるように思われます。「平安あれ。遠くの者にも近くの者にも平安あれ。わたしは彼をいやそう」(イザヤ57:19を見てください)。

 次に「主よ。私のくちびるを開いてください(詩篇51:15)。」という祈りが生じ、その確かな成就をみることができます。というのはその時、「今、わたしのことばをあなたの口に授けた(エレミヤ1:9)。」というお約束が成り、「これらをみな、あなたのくちびるに備えておく(箴言22:18)」ようになるからです。

 次に、もちろん「 正しい者のくちびるは多くの人を養い(箴言10:21)」ます。というのは、霊の食べ物は主ご自身が与えてくださるものだからです。

 すべてのことは賛美に導かれます。だから、次に私たちは「私のくちびるは喜びにあふれて賛美します。ああ、私はあなたを思い出し(詩篇63:5〜6)」と言うのです。
 
 そして、わたくしたちが、「時」は、その通りに必ずしもならない、またなり得ないと考えるといけないので、私たちがイエス様を黙想することが、賛美に対して新たな光を投げかけるものだと知るのです。「ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、絶えずささげ(欄外:告白して)ようではありませんか(ヘブル13:15)。」「主の御名」に。

あなたはイエス様を証するひとことも持たないのですか
世の人が主をほめたたえることができるでしょうか
もし、あなたが沈黙しているなら誰が話すのでしょうか
主の御名を知っており愛しているのはあなたではありませんか
あなたは主によって召し出され
主ご自身の証人となるように選ばれているのです
あなたはあなたのやさしい主であるお方に
「主よ 私たちはあなたを代弁できません」
とでも言うのですか 

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/september-5-our-lips-for-fruitful-praise/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97413です。

※Godhold Beck(14)
 伊豆半島をバスで天城山まで縦断した。この写真はその帰路の写真である。運転手の方は土地の方らしく乗客の私たちにくわしく狩野川台風のことなどを語ってくださった。山が二つに分かれるほどの被害があったと聞いた〈狩野川台風は1958年9月26日〜28日とあるから、まだまだ油断できない〉。途中「韮山」があり、我が勤務校が甲子園の二回戦で敗れた相手校の所在地だと21年ぶりに自覚する。

 天城山に出かけたのは1970年ごろに一回、今回は昨年に引き継いで都合四回目だった。いずれも天城山荘が宿泊地である。40数年前は主イエス様を信じない者として、すでに救われていた婚約者に誘われたことと、何となくネームバリューに惹かれてであった。

 時めぐり、静岡喜びの集いが三年前から天城山荘で開かれるようになり、さらに知人が伊東市、下田市におられることもあって今年も出かけた。一昨年は40数年前を思い出し、感無量であった。今年はまさかベック兄が召されるとは想像していなかったので寂しさは禁じ得ず、これまた思い出を新たにした。

 この地でもベック兄の死を悼む声が聞かれた。そしてこの地から一週間前にわざわざ葬儀のために長野県の御代田まで遠出された人がいることを知り、改めてベック兄が一人一人の魂をいかに愛されたかその証拠を見る思いがした。「愛は結びの帯として完全なものです」〈コロサイ3:14〉) 

0 件のコメント:

コメントを投稿