2016年9月2日金曜日

手は心をあらわす

昨日遠方から送られてきた地の産物※

「私の心があなたの心に結ばれているように、あなたの心もそうですか。」ヨナダブは、「そうです。」と答えた。「それなら、こちらに手をよこしなさい。」(2列王紀10:15)

 これはまた、確信、愛、自由、忠誠、幸せな奉仕に対する何という呼びかけでしょうか。そしてそのヨナダブが受け入れられた結果は古の哀歌とどれほどちがっていることでしょうか。古の哀歌はこうでした。「私たちはくびきを負って、追い立てられ、疲れ果てても、休むことができません。私たちは足りるだけの食物を得ようと、エジプトやアッシリヤに手を伸ばしました(エレミヤ哀歌5:5〜6)。」

 これらの他の神々に仕えるには、たとえそれらがどんな形であらわれようとも、私たちが「両手に労苦を満たした(伝道4:6)」という意味を何ほどか体験したことでしょう。私たちは手にどれだけ多くのものを取り入れたことでしょうか。as we say, which we expected to find an agreeable task, an interest in life, a something towards filling up that unconfessed aching void which is often most real when least acknowledged;

 しばらくして私たちは厄介な骨折り、とこしえに続くたましいのいらいらをふくむものに変わったことを知ったのです。事物は地からのものであり、世のためのものだったかもしれません。私たちの多くの者にとって自然に生ずる仕事の衝動でさえ満足させ得なかったとしても不思議ではありません。

 それともそれはそれ自身にあって十分正しく、私たちが崩壊した動機以外はすべてにわたって彼らの善性や非利己的な態度と理解した限り、他の人々の良さのためのものであったかもしれません。しかし私たちはそれがこみいったいらいらで満ちていると知りました。なぜならそれを支えた手は単純に神にささげられなかったからです。

 いいでしょうか、もしそうならこれらの汚れたもつれをつくる両手を主のところに持ってきて、私たちの手をも心をも天におられる神に向けて上げよう(エレミヤ哀歌3:41)。」と主が彼らをきよくしきよめられるように求めましょう。「あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです(2コリント3:3)。」

主に主が私たちの心に思われることを
ご自身の誤りのないペンで書いていただきましょう
私たちの心は主ご自身のものです
岩から主の選択的な恵みによって切り出され
主ご自身のご栄光のために備えられているからです

主に書いていただきましょう
主は一つのやさしいことばも取り消されないことを
確信しましょう 
主をほめたたえとこしえに輝くお方を
心に銘記するにまさって
さらに美しく刻みこんでくださり
そのようにして
私たちの心のもっとも深い願いを実現してくださることを
確信しましょう


最初の涙あふれる目は
「苦痛への束縛」という節を読むことができます
しかし 主は涙を拭い去ってくださいます
「自由に仕える」というとこしえに輝く文字を読むまでです
御子が自由にされるのはまことの自由であるからです

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/september-2-hands-reveal-the-heart/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97410です。非常に今日の訳出には困難を極めた。一部英文のまま表記せざるを得なかった。どなたか他の箇所もふくめて適切な訳を教えていただきたい。ハヴァガルは恐らく心の内面で非常な苦難・戦いを経験したのではないだろうか。そう考えるとこの一字一字刻み込むように書き上げたハヴァガルの悩みとそこから脱出する喜びが何となくわかるような気はする。

※Godhold Beck(11)
 1991年か、1992年か、ベック兄が四国に行かれる時、一緒について行ったことがある。その時、床を並べたことがある。しかし、その時どうだったのか、一切思い出せない。私は教会生活が20年あり、いわゆる牧師と言われる方々とやはり一晩寝食を共にしたことがある。その時は決まって牧師さんが音頭を取って、「祈りましょう」と言われ、殊勝に一緒に祈ったものだ。ところがそういう記憶がない。

 実に自然体であった。やはり忘れられない思い出である。

 自然体と言えば、昨日の遠路運ばれてきた野菜は自然そのものに、送り主の愛が加わったものだった。松ぼっくりもあり、ピラカンサスの実も添えてあった。気がつかないでいたが、バッタも一匹潜んでいた。地の産物と一口に言ったが、ジャガイモあり、ピーマンあり、トマトあり、カボチャありで、その他合わせて12種類ほどあった。「心ある 手のわざ詰めし 小包に バッタひそみて 挨拶せるか」 ) 

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