2016年9月16日金曜日

権威そのものであるお方を王とせよ

これまで、サウルが私たちの王であった時でさえ、イスラエルを動かしていたのは、あなたでした。(2サムエル5:2)

 神様によって選ばれ、油注がれ、私たちをつねに導き心配してくださる方。その方が私たちに与えられたが、私たちによって受け入れられず、冠も受けられず、あまつさえ王の御位に着かせられなかったお方。私たちの心からなる忠誠、実際の奉仕は別のものに向かっていた。

 自我が私たちのサウルだった、私たちの中心的な暴君だった。そして、多くのものがあらゆる分野でその暴政ぶりを発揮する小役人の支配下にあった。しかし、あなたがたは、自我、サタン、この世の「したいと思っていることを行ない、好色、情欲、酔酒、遊興、宴会騒ぎ、忌むべき偶像礼拝などにふけったものですが、それは過ぎ去った時で、もう十分です(1ペテロ4:3)。 」と言われている通りだ。

 私たちは一人のお方のご意志以外のいかなるものにも支配されて、「地上の残された時を、過ごし(1ペテロ4:2)」たくない。私たちは決然と、その王権の強奪者を引きずり降ろし 、「授ける権威を持つ(エゼキエル21:27)」」方に王冠を差し出そう。この方こそ私たちを血で贖い、死の証印を押された権威をお持ちの方なのだ。

私は長年弱さと苦しみのうちにあなたに仕えてきました 
それはあなたが知らしめてくださった永遠の喜びのためでした

私はあなたのために長年仕えてきました 
あなたは私のために時を費やすように命令なさいましたか

おお あなたのいのちが与えられますように
主のためのあなたの年々が費やされますように
世の足枷はすべて破砕されますように 
そして悩みのうちに喜びが与えられますように
 
私はあなたに私自身をおささげしました
私にあなたご自身をお与えください 

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/september-16-enthrone-him-whose-right-it-is/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97424です。

※Godhold Beck(25)
 昨日のパートナーシップにちなんでベック兄との関係で忘れられないもう一つの思い出を書き留めておく。それは彦根の家庭集会に1991、2年ごろだと記憶するが、都合4、5名の男性陣が多くのご婦人方に混じって出席した時であった。それぞれその男性陣が仕事を休んで、わざわざ遠くからその地に来たのは、いずれもベック兄のメッセージをお聞きするのが目的であった。

 ところが着くなり、ベックさんは宣〈のたま〉わった。「ここにいる皆んなでみことばを語ろうじゃないか」という意味のことを言われたのだ。私たちは互いに顔を見合わせるばかりで、「そんなことできません」という顔でいた。その時、ベックさん曰く、「一人で御神輿〈おみこし〉担ぐのは大変でしょう。皆んなで担げば一人一人にとっては軽いもんですよ」。これには参った、ドイツ人におみこしと言われたのではたまったものではない。説得力があった。ユーモラスでもあった。出席した男性陣は皆んなベックさんに促されるまま、それぞれみことばを語らせていただいた。どんなことを語ったか覚えていない。しかし、その録音テープは今も手許にある。聞こうと思えば聞けるのだ。

 それはともかく、これがベックさんのパートナーシップであった。私はいつもこのベックさんが示してくださった私たち不完全で無力な者に対する深い愛と信頼は忘れることができない。今日の問題があろうと思われる私のど素人の訳も、私よりもはるかに専門家である読者諸氏がここの訳はこうした方が良いと教えて下さったら、随分私も気が楽になるというものだ。ハヴァガルの霊想はこうして皆んなのものとなるのでなかろうか。) 

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