2016年9月22日木曜日

もうすっかり用意ができた

完了した。(ヨハネ19:30)

 たといあなたがイエス様のいかなる他のことばも信ずるに値しなくとも、あなたは主が死ぬ際におっしゃったおことばを疑うことができただろうか。いや疑うことができるだろうか。確かにそれらのことばはあらゆる信じることのできることばの中で価値のあるものだ。そのおことばとは何か。「完了した」。では、何が完了したのだ。「あなたがわたしに行なわせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げました(ヨハネ17:4)。」

 そのわざとは何か。端的に言えば私たちの救いのみわざだ。それがもうすっかり天では用意ができている理由だ。なぜなら、イエス様はそのすべてをふくんだみわざを成し遂げられたからだ。事終われる時、どれだけがまだなすべく残されているのか。この際、その質問は余りにも馬鹿げて聞こえる。

 私たちは「なるほど、なぜ何も残っていないのか」という質問に答えるべくほとんど苦労することはない。イエス様がわざを成し遂げられた時、あなたになすべきことがどれだけ残されていると言うのか。あなたはわからないのか。もちろん何もない。

 あなたはそのみわざをほんとうに成し遂げられたものとして受け入れ、そうだという主の死の宣言を受け入れさえすればよい。あなたはその上さらにどんな確証を持ちたいのか。これで十分ではないか。あなたは心からハイと言うのか、それともイイエと言うのか。

おお主がそのことをなさったと信じなさい 
何ゆえにぐずぐずしているのですか
何ゆえに疑うのですか 
真っ黒い罪の雲を全部
主ご自身が拭い取ってくださったのです
主が成し遂げられました
来て主を賛美しなさい
壮大な感謝の叫びを大きくあげなさい
いついつまでも

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/september-22-all-things-now-ready/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97430です。

※Godhold Beck(31)
 昨日少しご紹介したベック兄の祈りの末尾に次のような言葉がある。

 自分のからだは聖霊の宮であるという事実を絶えず覚え、この事実こそが自分自身を根本的に変えられますように。
 今日は、あなた様の再臨の日となりますように。あなたの御顔を見、あなたの御前にひれ伏すことを心の奥底から憧れています。
 この幸いなる希望によって、私はあらゆる束縛から解放されますように。
 もうちょっと、もしかすると今日、私はあなたと一緒になることを待ち望んでいます。

 アーメン、主イエスよ、来てください。」

 このようにベック兄が祈りをささげられる根底に今日のハヴァガルの霊想にある「完了した」とおっしゃったイエス様の尊い贖罪死がある。それゆえにわがからだもまた聖霊の宮である。そしてその主イエス様が再び来られるという預言を日々待ち望まれる信仰がベック兄の生涯を支えていた。二千年前にすでにそのみわざを完成された主イエス様は今度はその来臨を待ち望んでいる人々のために来られる。一人でも多くの人が主イエス様に立ち返るようにと忍耐してその日を延ばしつつ待っておられる。

 All Things Now Ready〈もうすっかり用意ができた〉 ) 

0 件のコメント:

コメントを投稿