2016年9月4日日曜日

確信と完全な受容

朝があった。第一日。(創世記1:5)※

正しい者たち。主にあって、喜び歌え。(詩篇33:1) 
喜びをもって主に仕えよ。(詩篇100:2)
 
 自分自身や他の人々のために、主の命令に対するいかなる不服従にも、だまって従うことがないようにしましょう。主のご命令がどれほど完全であるかを考えてみなさい。はっきりとした恐ろしい主の非難を考えなさい「 あなたの神、主に、心から喜び楽しんで仕えようとしないので、・・・主があなたに差し向ける敵に仕えることになる。主は、あなたの首に鉄のくびきを置き、ついには、あなたを根絶やしにされる(申命記28:47〜48)。」

 神様に感謝しなさい。私たちの体験が神様のお約束の基準ではありません。神様のお約束はキリストイエスにあってすべてがアーメンであります。私たちの移りゆく、また不十分な体験はお約束の忠実さや豊かさに影響しません。

 うしろのものを忘れ、キリストと主の喜びをますます確信し、ますます完全に受け入れなさい。その時、必ず「いよいよ切に、賛美し(詩篇71:14)」「恵みが恵み(ローマ11:6)」となり「恵みの上にさらに恵み(ヨハネ1:16)」が加わり「力から力へ(詩篇84:7)」さらには「栄光から栄光へ(2コリント3:18)」とさえ賛美することができるでしょう。

「栄光から栄光へ 」
神に感謝せよ 
地上にあってさえ
星空のことばは輝き出し
天上にあって元気づける 

影の間にあっても
圧倒的な輝きが照らし出され 
近くにいます光なるお方から
さらに強力な輝きが
いつも流れる


※Godhold Beck(13)
 ベック兄が召されてからの最初の喜びの集いが、土曜、日曜と二日間にわたり、伊豆天城山荘で開かれた。淡々とこれまで通り、5人の方がみことばのご奉仕にあずかった。そして夜は夜でそれぞれみことばを中心に主にある交わりを遅くまで続けてそれぞれの交わりの輪には喜びがあった。

 写真はその天城山荘内に掲示されていた書。創世記1:5とは、今日のハヴァガルの霊想に本質的に通じないわけではないと思い、あえて掲載した。山荘の方に書家はどなたか尋ねたがはっきりしなかった。島村亀鶴氏の書かとも言われたが・・・。1970年ごろ島村氏はご健在で、そのラジオから流れる福音放送では必ず俳句を読まれたその独得の語り口を今も思い起こすことができる。

 一方ベック兄のメッセージテープ、CDは数多ある。その声をお聞きすると召されたとはにわかに信じ難い思いである。私の聖書には今年の1月家庭集会に来られた時に引用聖句を私に示すために手渡された紙片が挟まれてある。ドイツ語で「1Kor.1,4-9 15,1-4.55 16,13-14」とある。ただこれだけのアルファベット文字・数字では何の面白みもなく、亀鶴氏の向こうを張れないが、私には捨て難いベック兄の紙片である。単なる紙片でなく、そこにはやはりベック兄ならではの特徴があらわれているからである。) 

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