2016年9月9日金曜日

後退は敗北を意味します

Godhold Beck by Toshihiro.H  2014.1.12※

わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。(ヨハネ15:5) 
私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。(ピリピ4:13)

 ぶどう園の中に大変素敵で小さく静かな日陰の一角がありました。私たちはそこに腰を下ろし、やわらかいぶどう房の間で除草や水やりに勤しんでおりました。ところが、その時、主人がやって来て、私たちを重労働に引っ張りだし、私たちが決して出かけて行こうとは考えもしなかった野原の一角に置き、さらに一払いできるようにと、私たちの手にもっと大きい道具を持たされます。

 私たちは、このような働きをするためには(自分が)足りないことを知っています。その道具は私たちにとって重過ぎ、光線はまばゆ過ぎるし、ぶどうの木の丈は高過ぎるように見えるからです。ああ。しかし、私たちはほんとうに初めの生活に戻りたいですか。主は、もう私たちと一緒には、昔の日陰のある、あの一角にはおられないのです。なぜなら、主が私たちを前進させようとされるときは、主はすでに私たちよりも先に出て行かれたあとだからです。ですから、私たちが主と一緒にいることができるのは、すぐ主のあとを追って行くことによってだけなのです。たとえ私たちが依怙地になってこわがり、昔の働きへと走って戻ったとしても、主なしには、恐らく何もすることができないでしょう。

 主とともにあれば、私たちは、新しい働きを、「強くしてくださる」方によって(ピリピ4:13)、「どんなことでもできるのです」。私たちの力でなく、主の御臨在が私たちにやりとげさせてくださるのです。

私はあなたなしにはできません
どんな他の友も読み込むことはできません
聖霊のもっとも深い願い、必要とする解明を
どんな人間の心と言えども
私の心の薄暗い奥まった部屋に
入ることはできないでしょう

だから心を和らげなさい 
静かにしなさい 
落ち着かせなさい

ああ 祝福される主よ
私はあなたのものです!
(And soothe and hush and calm it. O blessed Lord, but Thine!)

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/september-9-retreat-means-defeat/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97417です。

※Godhold  Beck(18)
 今日一人の友から惜別の写真と題してベック兄の4枚の写真が送られてきた。そのうちの一枚である。精悍そのものに見えるベック兄の姿である。この時ベック兄は「どういう心構えで集うのか」と題して、マルコ1:21〜28から語っておられる。

 さて、今日は一週間前に主のみもとに召されていった方の葬儀があった。予想外の多くの方が出席され、嬉しいてんてこ舞いであった。その中でその方の2001年の富山喜びの集いでの出来事が奥様の言葉として披露された。内容は以下のものであった。

 ベックさんと夫が一対一でお話する機会がありました。そこで夫はベックさんに「『ベックさんのお陰で離婚せずに済みました。』とお礼を言った! 俺はお金を持って行った訳じゃないのに今まで、俺にあんなふうに接してくれた人はいない、おれも一瞬、信者になろうかと思った!」私が「なれば良かったのに」と言うと「俺はまだいい! やることがある! でも、何かあった時は行くところがわかった!」と言いました。

 その時は先週の木曜日でした。奥様を通して福音が伝えられ、その方は信者となったのです。翌日召されました。何かあった時とはその方にとっては15年後の2016年のご病気だったのです。ハヴァガルは主なしには何もできないと言ったが、この方は死を前にして主なしには一歩も前に進めなかったのだ。その仲介はすでに15年前のベック兄との交わりから始まっていた。その上、ベック兄が召されたのは8月23日、この方が召されたのは9月2日であった。)

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