相変わらず、鴨の観察を続けています。 今日の写真は昨日のものです。実は、今日の写真を載せたかったのですが、遠方でiPoneにはとらえきれませんでした。ただし、この二、三日観察する人が増え、ちょっとした通り行く人々の「観察」スポットになっています。
近くで野良仕事をなさっておられる地主さん(腰が屈んで伸ばすことができないお婆さん然とした方)に、思い切って、お話をお伺いすることができました。その方がおっしゃるのには「鴨は日が暮れると、(水田の奥にある)林の方に移動するんじゃないか。」こうして、私の数日間の幼稚な疑問は一挙に解決しました。彼らには宿がちゃんとあったのだ、ということでした。もっともその地主さんもどこでどうしているかを確かめられたのではないようでした。
さらに続けてこうも言われました。「雄は遠くから見張っているし、母鳥は子どもの面倒を見ている、人間社会と同じです。水田の水は、毎朝早く起きてポンプで古利根川の水を汲み上げては、田んぼに流しているのですよ」ということでした。
また、バズーカ砲のごとき望遠レンズを構えて連日お会いする人の言によると、「もう数日すると、(古利根)川に戻って行くよ。まだそれだけの力がないから親が、この水田で、面倒みているんだ」という話でした。現に、水田を上がって、行こうとするようですが、まだその力がないのは見ていて明らかでした。またこんな話を別の方から聞きました。「散歩していたら、目の前にカラスが舞い降りてきて、(生まれたばかりの子)猫を口に咥えて飛んで行きましたよ」とびっくりするような話でした。
道理で、母鳥は10羽の子どもから目を離さないで、見守っているのですね。確かにカラスが二、三羽居て、遠巻きにうかがっている感じです。油断できません。近頃は蛇も見かけるようになりました。地主さんに言わせると、他の家の水田より田植えが遅くなって、今年はもう植えてくれないのかと思っていた(耕作は人に頼んでいるものだから)。
今の苗の成長ぶりから、鴨がこの水田で子育てをするに条件がぴったり合ったんだなーと私なりに思っています(普通の水田に比べれば、遅植えでしたので、鴨たちが行き来するのには困らない)。10羽の子どもたちは苗と苗の間の隙間を上手に利用して、プールよろしく、互いに追いかけごっこをしているようで、みていて興味が尽きないです。この鴨家族が古利根川にどのようにして帰って行くのか、まだ当分目が離せません。
私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。(新約聖書 ローマ人への手紙8章22〜23節)
狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草を食べ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。(旧約聖書 イザヤ書11章6〜9節)
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