2024年6月6日木曜日

鴨家族に躍動するいのちの証

お母さん鴨に見守られて
 古利根川の川縁には、過去の俳人の方々が詠まれた句が、随所に掲げてあります。江戸時代の松尾芭蕉は日光街道の粕壁宿に泊まっていますし、近代に至っては、加藤楸邨という水原秋桜子門下の俳人であった方が、粕壁中学(旧制)の教師であった時期があり、その影響でしょう、春日部にはたくさんの俳人脈ができているように思います。

 だから古利根川を散歩するたびに、それらの俳人の方々の俳句を味わいながらも散歩を楽しみにしておりますが、今日は小林一茶の句が気になりました。「古利根や 鴨の鳴く夜 酒の味」鴨料理に舌打ちながら、鴨が鳴いている夜、酒を酌み交わしているのであろうか、その味は如何ばかりなのだろうなあ、と一茶の思いを勝手にたどっていました。

 ところが。土手を降りた水田の意外な光景に出くわしたのです。すっかりいなくなったとばかり思っていた鴨夫婦がいたのです。それだけでなく奥の方には、何やら黒い塊状になっている生き物がいたのです。鴨夫婦の子どもたちです。大きい水田の奥の方にいるので肉眼では最初中々掴みづらかったのです。そのうち、黒い塊が動き出して、手前の方に近づいてきました。驚くなかれ、10羽の子どもたちでした。途端に、半時間ほど前に見た一茶の句が俄かに現実味を帯びて迫ってきました。「古利根や 鴨の子どもたち 育(はぐく)む田」(写真手前がお父さん鴨、右側がお母さん鴨、右奥の塊が子どもたち)と下手な句を考えました。

 私たち無力な夫婦はそれでも五人の子どもに恵まれました。それぞれが今も良くしてくれます。しかし、この鴨家族はどのようにして生計を立てているのでしょうか。先週の土曜日から今週の火曜日までには、春日部にはいませんでしたので、ついぞ古利根川に出かけることはありませんでした。それにしても、私はこのブログで一週間ほど前の5/28(火)には、鴨夫婦がいなくなったのを嘆いていたのです。とすると、私が古利根川に行かなかった間に、彼らには何かが起こったのでしょう。それにしてもそんな十日間余りで水田でたむろできるまで成長できるのでしょうか。

 こうなったら、明日も見に行きたいです。帰りにガード下のコンクリートの隙間にちょっぴり小さい花(ペチュニア)が咲いていました。ここにもいのちの躍動がありました。

 昨日もこのところ気分的に滅入っている家内に、友達が「絵を描いているか」と励ましの電話をくださいました。家内はたくさんの花の絵を描いては20年ほど、多くの方々にあげていました。それがコロナ禍以来、すっかり絵筆を握ることもなく、日を過ごしています。その友人曰く「聖書にソロモンよりも野の花は着飾っていると書いてあるじゃない、だから私は毎日花の絵を描いているのよ。あなたのように花の絵を描く人はそうはいないよ、だから絵筆をまた握ってよ」と電話の向こうで励ましてくれました。ありがたいことですね。人間にはこうして言葉でもって励まし合うことができるのですね。

 でも、それ以上に神様を信ずるということは、こんなにも素晴らしいことなんだと、私はその友人の電話の言葉をそばで聞きながら、思わされました。

なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。(新約聖書 マタイ6章28〜30節)

0 件のコメント:

コメントを投稿