2016年7月11日月曜日

今や一切が変わった

Asako Iimori Afternoon tea Concert 2016.7.10. Sun 15:00~※

ああ。反逆の子ら。――主の御告げ。・・・彼らはエジプトに下って行こうとする(イザヤ30:1〜2)

 しかし、私たちはエジプトにあって何が欲しいのか。エジプトでの奴隷状態と昔からの奴隷頭がいる家の何が魅力なのか。私たちは十分それらのことを体験したのでなかったのか。だから、私たちは喜んで「国々(2サムエル7:23)」「から(2列王記10:28)」出て、「 国々の民のならわし(エレミヤ10:3)」や「むなしい生き方(1ペテロ1:18)」の暴政から贖いを受け入れ、それゆえ「あなたの民は私の民(ルツ1:16)」と言うのではないだろうか。

 神ご自身が私を神々から贖い出してくださった時「もう、わたしは偶像と何のかかわりもない。(ホセア14:8)」そうだ、私を贖い出されたのだ、主は言われる。「天よ。喜び歌え。主がこれを成し遂げられたから(イザヤ44:23)。」キリストが「私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い(テトス2:14)」出すためであった。 

ながらく別の神々が権勢をふるっていました
今では耐えられるのはあなたのお名前だけ
あなたの敬愛するお声だけに従い
それが私の日ごとの、毎時間の祈りです
私は天においてあなた以外に誰を持つのでしょうか
私の喜びはあなた以外に何物もあり得ません。 

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/july-11-its-all-different-now/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97357です。

マライア・ハヴァガルの伝記 2章 学校生活(1)

 1833年の8月、ほぼ12歳になった時、私はグレート・キャンプデン・ハウスの姉のミリアムと一緒になった。静かな田舎の教区からロンドンの学校へ60人から80人の少女たちと一緒になるという変わりようだった。
 〈私はかつてそこでの生活について詳細を書いたことがある。1863年の「家庭における日曜日」に印刷された。私は昔のキャンプデンの学友やカーナーヴォンのダウジャー・カウンテスからのたくさんの親切な手紙をいただいた。〉
 いくつかのもっと詳細なことが私の頭に思い浮かんでいる。ひとつのすぐれた考えは特権としての申し出がなされたことにあった。ほんとうに読書と祈りを求めていた数人にとって静かに半時間だけ教室から退出できることであった。そのことは差し出がましくなく行なわれた。私たちの敬愛するテード夫人のテーブルの上に、夫人の部屋で面談を保証する鉛筆書きのノートがあった。彼女の部屋は良き羊飼いであるお方がよく小さき者に会われ、覆われるまさにうってつけの書斎、聖なる場所であった。
 もし私たちの願いが真剣なもののようであったら、私たちの名前、時間、部屋の名前がカードに記入され、私たちの聖書には私たちのパスポートとして静かに教室を退出するために挟まれていた。私のものを拡大すると

         MARIA            HAVERGAL
                                11:30  to 12 o'clock
               Queen Anne's Room.
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                                        "Grow in Grace."

で、これは主に年長の少女のためのものであったが、年少の少女たちは先生や年上の少女たちの一人二人の者と「幸せな時」を過ごしたのだ。

※昨日吉祥寺で礼拝の後、狛江まで高校時代の同級生H君と一緒にHご夫妻の車に乗せていただいて非公開の室内コンサートに連れて行っていただいた。初めて聞く、シマノフスキ、ヴィエニャフスキ、プーランクを前半お聞きし、後半にはバッハ、モーツアルト、シェーンベルク、シューベルト、クライスラーの同じみの曲をお聴かせいただいた。アンコールもありタイスの瞑想曲まで披露してくださり、感謝・感激であった。何か上述のマライア・ハヴァガルの学園での静謐な時間の過ごし方と共通するものを感ずる。なおカードの下にあるGrow in Grace.は「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい(2ペテロ3:18)。」である)

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