2016年7月20日水曜日

主は覚えていてくださる・・・私たちはどうするのか

この夏も ブッドレア咲く ドイツ産

わたしは、あなたの若かったころの誠実、婚約時代の愛、荒野の種も蒔かれていない地でのわたしへの従順を覚えている(エレミヤ2:2)

 主は、あらゆる罪、あらゆる信仰の後退、あらゆる私たちの心の冷やかさを忘れて、それら全部を海のもはやもとにもどることのない深みにまで投げ込んで、私たちが最初に「私の愛を受け取ってください」と言ったその時のことを覚えているとおっしゃる。主は今も、この瞬間も覚えていてくださる。主はご自身の計り知れない記憶、そこには過去が現在のようにあるのだが、その記憶にそのことを書かれた。

 主ご自身の愛は変らざる愛であり、そのように私たちがかくして主から心が離れることはその願いや意志からしてあり得ない。「さあ、主に立ち返ろう(ホセア6:1)。」けれども、このように立ち返っても、私たちの徐々に消えて行く愛が再び駄目になることから守られる望みが少しでもあるのだろうか。

 主が仰ることを聞け。「わたしはあなたと永遠に契りを結ぶ(ホセア2:19)。」そして再び、「これから長く、私のところにとどまって、(もう姦淫をしたり、ほかの男と通じたりしてはならない。)私も、あなたにそうしよう(ホセア3:3)。」

 私たちはこの主のおことばに信頼できないのか。そのおことばは私たちが受け入れるに価する価値があるのかないのか。おお、王なる方のこのおことばにとどまれ、そしてこの日から、主にあなたの愛を守っていただこう。そうすれば主は守って下さる。
 

主が召される 主が維持される その彼らは主の栄光を見る
主はあなたを召された誠実な方 主はそのことをなさる 
恐れるな そなたたちよ だから 聖なる兄弟 進め 
かくして そなたは その召しを 確かなものとするのだ
この高き召しのご褒美を求めて 終りまで勇敢に耐え忍べ 

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/july-20-he-remembers-shall-we/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97366です。

マライア・ハヴァガルの伝記 2章 学校生活(9)

 「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです(1ペテロ1:23)。」「あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです(ヨハネ15:3)。」同じことばが、聖霊の力によって、たましいの内に新しい霊のいのちの目に見えない種と胚芽となるが、その結果、いのちは同じ手段、みことばによって養われ、成長しなければならない。
 『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』(マタイ4:4)私たちの主はこのことを確証される。「わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです(ヨハネ6:63)。」そして主の最後の祈りでは「わたしは彼らにあなたのみことばを与えました(ヨハネ17:14)。」と言われた。
 これ以後、それぞれの経験に不平を言い、自らの短所に悲しむ信仰のこどもや巨人とともに、問いがやって来る。それはあなたは正直に純粋で簡潔な聖句を「求め」、「探し」、瞑想しているかという問いだ。)

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