2016年7月26日火曜日

進むことと成長すること


あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。(マラキ4:2)

 私たちにとって進歩にともなう自然な喜びのすべては、以下の点、つまり停滞がなく、死の水準にはいたらないというところに満足を見出す。私たちは絶えざる進歩の原因と深く関係がある常勝の側にある。この点に関する典型的な光はダビデの物語のなかに輝いている。彼は「ますます大いなる者となり(2サムエル5:10)」あるいは欄外註が示しているように、「出て行くことと成長すること」である。そのことを私たちは自分自身に対する約束と簡単に結びつけやすい。

 けれど、その時、ダビデは「ますます大いなる者となった(1歴代11:9)」と語られている。欄外註は「進み増し加わり続けた」とある。しかし私たちは単に傍観者であってはいけない。まず私たちの心の主の王国のうちに増大する繁栄があることを覚えたい。主が治めるだけでなくその統治範囲が広くあるように祈ろう。次に私たちがまわりにあるすべてのことにおいて主の繁栄を促進することができる限りなしていることを覚えよう。私たちの「あなたの御国が来ますように」という日ごとの祈りを、その繁栄を求めて日ごとに燃えあがり熱くなる行動へと移そう。

あの「それよりもさらに大きなこと(ヨハネ1:50)」 
はるかに大きなことを
私たちの待望する目は見ることであろう 
私たちはどんなに「さらに大きなこと」がなるかを
待ち驚嘆する以外に何もできない
けれども栄光ある達成感を喜びをもって勝ちうるのだ
すべてにまさる御名の力を嘆願しながら 

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/july-26-going-and-growing/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97372です。

マライア・ハヴァガルの伝記 2章 学校生活(15)

 私はテード夫人の神ご自身のおことばに根ざした信仰ある祈りと信頼に対するもっとたくさんの答えを思い起こすことができる。様々な場合に夫人の愛する学生たちは共感を示さず、むしろ反対して家に戻って行った。 こういうことに対して彼女は服従と快活で敬虔な家庭を助言した。友だちと深い仲になることを妨げられた人が心強いメッセージを寄越した。「神を全く無視する私の家庭ですが、主は私と永遠に続く契約を結んでくださり、あらゆることに秩序と確証をくださった」
 テード夫人の私に対する影響は有益であり終生続いたものだった。彼女の逝去の日(1858年の1月5日)は輝ける確固とした信仰のうちに真の日没を迎え、代わりに罪滅ぼしをされた血に基づく喜びあふれる期待の日となった。彼女の臨終のことばは次のようだった。「私は家路を急ぎます。けれども私にはイエス様の血潮が私の必要をすべてみたしてくださることを知っています」
 そしてとうとう1838年6月の17日に私はキャンプデン・ハウスの生活に別れを告げた。さようなら、王立の教室、チャペル、テラス、散歩道よ。さようなら、聖なる教え、祈り、賛美歌。さようなら、私が地上でいつまでも尊敬しもっとも愛する友よ。さようなら、賢い先生方のみなさん。さようなら、少女らしい美しさと愛くるしさを兼ね備えていた85人の友よ。さようなら、キャンプデンのコーラスよ、ああ、おまえのこだまはとこしえに響き続けよう。

     ”栄光、誉れ、賛美と力は
     とこしえに子羊にあれ
     私たちの贖い主イエス・キリスト
     ハレルヤ 主を讃えよ”                ) 

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